大山参道

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 西那須野(にしなすの)には大山参道、大山巌(おおやまいわお)墓所だけでなく、和風の建物と洋館が繋がった大山記念館や、かつて大山が開いた農場である大山農場が高校敷地内に残っている。  大山の名前を冠した大山通りがあり、その近くには乃木希典大将の名前を冠した乃木通りがあって、その先には乃木神社と乃木農場があった。  西那須野駅はかつて従道と巌が自分たちの農地の一部を寄付して、明治19年に開設した駅である。  巌はフランス、ジュネーブでの経験から鉄道の重要性をわかっていた。  また、巌の縁者には鉄道関連の仕事をしている者もおり、その関係もあって、栃木に鉄道を敷きたいと考えていた。  明治時代、日本の地方では『鉄道忌避(てつどうきひ)』という鉄道反対が多くあったと言われ、大田原城下の人々も蒸気機関車の火の粉を恐れて敷設に反対したという話もある。  それを薩摩の権力者である従道たちが権力を振りかざして駅を作ったという逸話もあるが、果たしてどうだろうか。  鉄道の研究をされている青木栄一氏は『鉄道忌避』の存在を否定している。  地形や技術の問題で鉄道を敷けなかった地はあっても、実際に鉄道が忌避されたという資料はないという話もある。  慎重ではあるものの協調性が高く、堅実性の高い栃木の人々は、東京との移動距離が近くなる駅と鉄道を歓迎したのでないだろうか。  少なくとも現在、東北本線を使っている人たちにとっては、この時に駅が作られ、鉄道が敷かれたことは良かったことだろうと思っている。  大山公園のそばを通りながら、大山巌の墓所に向かう。  車道とアパートが並んだ街の一角に木々が聳え立つ参道があり、そこを通って、鳥居と木の門がある墓所に辿り着いた。 「近くには行けないの?」 「公開日以外、普段は鍵がかかっているみたいだから、なんとかその隙間から見て」  茶色の扉の上側は隙間のある部分があり、従道(つぐみち)は背伸びをして、中を覗いた。 「大丈夫? 肩車いる?」 「背伸びとジャンプで行ける気がする」  元気な返事が返ってきて、従道がぴょんとジャンプをする。  ジャンプから降りた従道は不思議そうな顔をしていた。 「なんか変わった形にお墓してた! あれ、何? 壺?」 「弾丸型という言い方をする人もいる。確かに珍しい形だな。もっと色んな人が見られるようになるといいんだけど……」 「無理なの?」 「前に起きた東日本大震災の時にだいぶあちこち崩れてしまってな。直してくれる人たちもいたのだけど、その後、台風の影響などで林の木も折れたり、なかなか……」 「そっか……。いつか綺麗になってたくさんの人が訪れるといいね」  もう一度ジャンプして墓石を見た後、従道が(きびす)を返した。 「よし、それじゃ待ち合わせ場所に行こうか」 「そうだな。少し早いが……」  巌は頷き、ふと、従道のいたあたりがどうなっているのか気になった。 「従道が療養のために逗留していた別邸は今はもうないだろうけれど、何かないのか?」  西郷従道は病に倒れた後、西那須野駅近くの土地、今の桜通りに面したところに建てた別荘に移動し、この西那須野の地で半年間療養をしている。  今はその別邸はないが、碑が残されている。 「大山通りをまっすぐ行くと、西郷神社があるよ。兄さぁじゃなくて、僕を(まつ)った神社が」  ちょっと照れくさそうに従道が笑う。 「そうなのか。どんな神社だ」 「ええと……すごくぶさいくな狛犬(こまいぬ)がいる」 「ぶさいく……」 「いや、特徴的で愛嬌がある狛犬だと思うのだけど、見ていく人はぶさいくだって言ってた記憶があって……。そうそう、神社の社殿は立派だよ。高遠の名工の品だからね」 「なんだか気になってきた。行ってみていいかな?」  巌に求められ、従道はスマホの時計を見た。 「まだそこそこ時間あるし……大山通り歩けばそんな遠くないし、行ってみようか。連絡だけ入れておくから」 「うん。悪いが、青木どんたちに連絡だけ入れておいてくれ」  従道はメッセージアプリで青木周蔵(あおきしゅうぞう)に連絡を入れた。
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