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「山縣農場はほとんどを小作人にわけてしまったので、農場の土地はほとんどないんです。もう残ってるのは山林だけですね。私の血を引く者の縁者がそれで今は林業をしております」
「そうですか」
「でも、矢板に行って、林檎がなっていたのを見たときは、ああ、良かったと思いました。私がしたことが現代にも息づいているのだと」
矢板の林檎は大正時代に山縣が東北から技師を呼んで、矢板の気候に合うものを選んでもらい、根付かせたものである。
それが今でも残っていて、矢板には多数の林檎農園がある。
ちなみに前述の三島も早くから那須野が原の開墾に熱意を燃やし、三島農場を開設して、長男を社長として、入植者を募り、那須野が原の地を開墾させた。
山縣も同様に、農家の次男三男など土地や職のないものを積極的に入植者として集め、開墾に従事させた。
当時、入植した人たちはその後も那須野が原の地に残り、古くから那須野が原に住む人々の中には、この頃の入植者の子孫も多くいる。
「それと矢板には私の資料館、山縣有朋記念館が出来てました。私が小田原で長く住んでいた古稀庵を矢板に移築して、記念館にしていましたよ。中には私が明治天皇陛下にいただいたものや、勲章、かつて着ていた将官服などが飾ってありました」
「山縣さんはたくさんの勲章をもらっていましたし、見応えがありそうですな」
「ええ。綺麗に保存しておいてくれた子孫たちにも感謝です」
自分のことを語るのが楽しいのか、山縣はうれしそうに話す。
ドッグパークに行くたくさんの犬連れとすれ違った後、山縣は乗馬場に気づいた。
「ポニーに乗れるんですか?」
「子供用はポニーですが、千本松牧場には大人が乗れる馬もありますよ。きっと、従道くんが見たら喜ぶのではないですかな」
「横浜根岸の競馬場で優勝した日本人初めての騎手ですからね、彼は」
松方はもちろん、山縣も馬に乗れる。
特に山縣は北海道視察の際、馬で移動するときには落馬する者もいる中、悠々と馬を乗りこなしていた。
ただ、競馬となると従道に譲る。
西郷従道は明治8年秋に横浜根岸の競馬場で、愛馬「みかん号」に乗り、外国人騎手と対決して優勝した。
それほど従道は馬術に長けているのである。
「千本松牧場には源泉かけ流しの露天風呂もあるのですが……さすがに入っている時間がありませんな」
残念そうな松方に山縣が小さく笑う。
「それはまたの機会にお邪魔しましょう。ああ、そうだ。足湯もあるそうですね」
「ええ。足湯ならすぐ入れますし、それに入って飯を食って、それから黒磯の道の駅に行きましょうか」
「そうしましょう」
松方と山縣は並んで足湯に向かった。
千本松牧場には無料で入れる足湯があるのだ。
「足湯も温泉の成分は千本松温泉と同じなんですよ。神経痛や疲労回復に効きます」
その後、山縣と松方は千本松牧場に残った松方別邸を見て、本州で初めてジンギスカン鍋を提供した店『ジンギス館』で食事をし、『道の駅 明治の森・黒磯』に向かった。
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