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2.山本ひなのⅠ
この街にはお洒落なカフェも流行りのスイーツのお店もない。あるのは昔からこの土地に根ざしているであろう古い商店街と、大して可愛くないマスコットキャラクターのいるショッピングセンターくらいのものだ。それだって別に近所というわけでもない。要するに、不便な街なのである。
以前パパが都心に仕事で出向いていた時、一度だけ新宿の駅周辺を歩いたことがある。
全てのものがキラキラと輝いて見えた。
雑誌で見た覚えのあるブランドのお店が所狭しと並んでいたし、行き交う女の子達の手には大抵ホイップクリームの乗った心踊る飲み物が握られていた。
当時まだ小学校高学年くらいだった私はひどく羨ましく思ったものだ。
パパに何度もずるいずるいと泣きついた。
でも、憧れこそ抱くものの、この街から出たいとは微塵も思わなかった。
ここには恭ちゃんが、それに皆がいたから。
甘いものなんて、駄菓子屋だっていいのだ。
そこに恭ちゃんがいてくれるなら、私には他のことなんてどうでもいい。
「ひなの、ほらこれ見て。かわいくね?」
学校帰りに甘いものが食べたいという私のリクエストは商店街の中の駄菓子屋に立ち寄ることで果たされることになった。ここは昔からよく遊びに来ていた勝手知ったるお店なのである。
恭ちゃんは大きな飴のついた指輪を指差していた。赤いのはイチゴ味、緑のはメロン味、紫色はぶどう味。
「あ、本当だ。可愛い。ねぇねぇ恭ちゃん私には何色が似合う?」
「ひなのは赤っしょ。」
間髪入れずに即答。
無邪気に笑う顔は本当に反則だ。ずるい。
「よし、俺からひなのにこれ買ってやる!」
恭平が赤い指輪を取ろうとすると、横から英司が顔を出した。
「なに、プロポーズでもすんの?恭平。」
にやにやしながら英司がからかうと、恭平は真っ赤になって首を横にふる。
「ちげーよ、俺はただこういうの好きかなと思っただけで別にそういう意味じゃ…」
「ふぅん、まいいや。ちょうどあと30円欲しかったんだよ小銭作りたくなくて。一緒に買ってきちゃっていい?」
「わかった、今度また来る時は何かおごるわ。」
英司は「うん、今度な」と言って指輪を手にレジに向かった。
ふと恭ちゃんを見ると先程までの楽しそうな表情から一変し、どこか気持ちが曇っているように見えた。
「恭ちゃん?どうかした?」
私の視線にようやく気が付いた恭ちゃんは「なんでもないよ」と言って、またいつもの恭ちゃんに戻っていた。
「私もいくつか買ってくるね。」
小さいどら焼きが3つほど入ったお菓子とニンジン型の袋に入ったお菓子をレジに持って行く。
『お会計』と書かれた看板の下で、小柄なおばあちゃんが私に手を伸ばしてきた。
私は商品を手渡して、店の奥を眺める。
奥は居住スペースになっているのかこじんまりとした台所と白い蛍光灯の光が見えた。
切れかかっているのか、時折チカチカと瞬いていた。
「久しぶりだねぇ。随分と大きくなって。」
「おばあちゃんも元気そうでよかった。」
昔からちょくちょく顔を出していたこともあって、私達5人はもうすっかり顔を覚えられていた。おばあちゃんは私の顔を見て、なんだか悲しそうな表情をしていた。
「あれから、随分経ったねぇ。」
「うん。」
薄暗い店内ではおばあちゃんの小さな体はなおさら小さく見える。消え入りそうな声に、私は言葉をなくしてしまった。
「ひーちゃん、大丈夫かい?」
おばあちゃんは昔から私のことをひーちゃんと呼ぶ。ひなのだからひーちゃん。
「うん、私は大丈夫だよ。」
笑ってみせる。
おばあちゃんは少し安心したようだった。
商品を小さな袋に入れて私に手渡し、私はちょうどの金額をおばあちゃんのシワシワの手に乗せた。
「ひーちゃん」
おばあちゃんは帰りがけ、もう一度私の名を呼んだ。なんだかペットの名前みたいだななんて思う。
「なに?おばあちゃん。」
首をかしげる私におばあちゃんは優しい目をして言った。
「しっかりね。何かあったらちゃんとみんなを頼るんだよ。」
私はもう一度先程と同じように笑い、おばあちゃんに手を振る。心配いらないよ、安心してねという気持ちを込めて。
「うん、わかってる。ありがとう、おばあちゃん。また来るね。」
店を出るとみんながもう外で待っていた。
「遅かったわね、何か話してたの?」
翔子に聞かれて、私は首を横に振った。
「ううん、なんでもないよ。ごめんね、お待たせしました。みんな何買ったの?」
私達はお互いの袋の中身を見せ合って「これ好き」だの「あ、それ買えばよかった!」だのと言い合った。
みんなと別れ、帰り方向が同じ恭ちゃんと二人オレンジ色に染まる道を歩く。
この時間は私のとっておきの時間だ。
勝手にご褒美タイムと名付けてしまうほどには浮かれている。言わないけど。
「ひなの」
恭ちゃんが唐突に私の名前を呼んだ。
並んで歩く横顔が夕日に照らされて赤く染まる。
どきりとした。
「なに?恭ちゃん」
恭ちゃんは私の目をじっと見つめた。
いつもとは違う真面目な表情だ。
私は思わず赤面してしまう。
「ううん、なんでも。背伸びたなーって思っただけ。」
「なにそれ」
恭ちゃんは何事もなかったみたいにさっさと歩きはじめた。
私は慌てて彼の後を追ったが、並んで歩いてもまともに顔なんて見れやしなかった。
それから家に帰って私はやっと気が付いた。
あ、指輪結局もらってないんだけど。
恭ちゃんのバカ。
私はベッド脇に寝転がるぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて先程の恭ちゃんの真面目な顔を思い出した。
いつのまにか、あんな表情をするようになっていたんだな。
恥ずかしさを誤魔化すようにゴロゴロとベッドの上をのたうち回っていると、部屋の扉をノックする音がした。
扉の向こうからはママの声がした。
「ひなの、ちょっといい?」
扉を開けるとママが立っていた。
どことなく何か言いにくそうな顔をしている。
「なに?ママ。」
「ひなのにね、大事なお話があるの。」
私はママの言葉を聞いて、
世界が急に色を失ったように感じた。
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