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1. 須田大悟 I
教室のざわめきをこの身に感じることができるのは、あと何回あるのだろうか。
須田大悟は考える。
いけない、柄にもなく感傷的になっている。
青い空には真っ白な入道雲がぼわんと浮かぶ。
小さい頃はあの雲に乗ってどこまでだって飛んでいけるのだと本気で考えていたっけ。
その頃から考えれば俺は大分物を知り、大人になったのだと思う。
小学校の6年間はあんなにも長く感じられたというのに、中学の3年間は想像以上にあっという間に過ぎていく。
入学したのなんて本当についこの間くらいの気持ちだったが、やれやれ。時の流れは残酷だ。
気が付けば俺は三年生の教室で当たり前に飯を食っているし、愛用している鞄からはもうあのパリッとした新品特有の匂いなど微塵も感じられない。
「大悟は明日だっけ?進路面談。」
パックのレモン牛乳にストローを差し込み、向かいの席で恭平が気だるそうな声をあげた。
「そう、明日。まあ俺は進学組じゃねえから正直要らねぇんだけどな。面談とか。めんどくせ。」
「いいじゃん大悟はまだ進路がはっきり決まってるだけさ。俺なんてヒヤヒヤもんよ?」
「…お前に関してはなんも言えないわ。」
「うえー。ひでぇ。」
ふてくされたように恭平は頬を膨らませる。
その姿はまるで小さい子供のようで、なんとなく、彼の自由奔放さを羨ましいと感じた。
「恭ちゃんはてっきり地元進学なのかと思ってたけど、そうじゃないの?」
隣の席でひなのは購買で買ったクリームパンの封を開け、大きく一口頬張った。
その傍らには恭平とおそろいのレモンのマーク。
「まあそう思ってはいるんだけどねぇ。うちの家は親不在でばあちゃんと二人なわけじゃん?そう思うとちょっと悩むんだよね。」
「へぇ、恭平にしてはちゃんとそういうの考えてんのな。意外。ただのバカかと思ってた。」
「おまっ…。バカとはなんだバカとは!」
くだらないやり取りに三人で笑い合う。
平和な昼下がり。
それを打ち消したのは扉の開く音だった。
ガラリと強めに扉が開いたかと思うと、教室の入り口から担任が顔を覗かせた。鬼の形相とはこのことかと言わんばかりの表情だ。
「おい、山本!今日の面談13時からだってあれほど言っておいただろうが!」
「あ、やば。忘れてた。」
「ひなのたまにそういうウッカリするよな。」
恭平が茶化すとひなのはぷぅっと頬を膨らませる。
「恭ちゃんに言われたくないし!」
担任の視線がじっとこちらに向けられる。
ひなのは「ごめんサトセン〜」と謝りながら担任の元へと向かった。
進路担当の佐藤先生はサトセンの愛称で呼ばれている。「こら、サトセンじゃなくて佐藤先生だろ」なんて言葉では怒っているものの、その表情はいつも満更ではなさそうだった。
「相変わらず二組は賑やかだな。」
教室を出て行くひなのと入れ替わるようにして隣のクラスの英司がやってくる。
コロッケパンをこんなに爽やかに食べる男を俺はこいつ以外に知らない。
「そりゃ特進クラスに比べりゃどこも賑やかだろうよ。それにしても珍しいな、今日は英司ひとり?翔子は?」
「翔子もこれから面談だって。終わったらこっち来るって言ってたよ。」
「ああ、なるほどね。」
「ここ、座っていい?」
英司は先程までひなのが座っていた席を指差す。
「もちろん。それ、購買の人気パン、よく買えたな。」
「俺年上ウケいいから。朝こっそりお願いして取り置きしといてもらった。」
英司は昔から立ち振る舞いが上手かった。
自分がどう見られているのかの判断に長けていて、常に最善の選択をしていたような気がする。
俺は思い出したように食べかけていた昆布のおにぎりを平らげ、手持ち無沙汰になった片手でスマホの画面を見た。
親からの何時に帰るかというメッセージが一件来ているのみで他には何も急ぎのものはない。
今日明日は進路面談があるため午前中で授業は終了する。
塾でそそくさと帰る者、だらだらと話をしながら時間をやり過ごす者、皆過ごし方はさまざまで、それは俺達もまた同じだった。
各々の時間を過ごしながら翔子とひなのが戻ってくるのを待つ。
窓際の自席からは校庭がよく見えた。
どこかの運動部が大きな掛け声を響かせながらぐるぐると白線に沿って周回している。
あれは時間を競っているのか、距離を競っているのか、はたまたただの基礎トレーニングの一環なのか。
その答えは分からないし、実際自分には関係なく、至極どうでもいいことだった。
桜が散り、夏が来て、紅葉が雪に姿を変える。
そうしてその雪が溶けてしまえば、今目にしているような日常の光景も終わってしまう。
今の自分に大切なのはそういうことなのだ。
小学校の頃から俺達5人はずっと一緒だった。
クラスが違っても待ち合わせて遊んでいたし、長い休みがあってもなんだかんだ誰かが言い出してはみんなで集まっていた。
ずっと続くと思っていたが、いざ卒業を迎えてしまえばいよいよもってさよならだ。
俺達はいつか必ず別々の道を歩むことになる。
こうして5人で過ごせる時間もきっとあっという間に過ぎていくのだろうなと、切実なものとして感じてしまう。最近、そんなことが多い。
「なんだか、やるせないな。」
ぽつりと呟く。
その時、教室後方のドアが開いた。
「やっぱりみんなここにいたのね。」
翔子は俺達を見て苦笑する。
後ろにはぐったりした様子のひなのの姿もあった。
「もう疲れた!ねえ、帰りにどっか寄って行こう。甘いもの食べたいー!」
「さっきも甘いの食べてたじゃん。」
「恭ちゃんうっさい。好きなんだもん、いいじゃない!」
「はいはい、わかったから帰るよ。」
英司がその場を丸くおさめ、俺達は教室を出て行く。
気が付けば自分達以外に教室に残っている者はいなくて、振り返るとガランと静かな空間だけがそこには在った。
「ほら、大悟も早く行こう?」
ほかの奴等が我先にと教室を出て行く中、英司がにこりと笑って俺を呼ぶ。
「おう、今行く。」
俺は鞄を手にして、すぐに皆の背中を追いかけた。
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