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四.
ハルセは、眉をひそめてユキを見る。
「誰だい」
「ユキ、と名乗っています」
ユキは冷静に、そしてセナツへ向けていた微笑みと同じ表情を浮かべる。セナツは二人が何の話をしようとしているのか、うろたえるようにして交互に顔を見ていた。
「そうか。セナツに旦那を連れて帰ってくるとか言ったのも……」
「はい、私です。ですけれどね、ハルセさん――いいえ、雪女」
「ゆき……おんな?」
「セナツ。この人は妖怪なのです」
「妖怪!?」
唐突にユキから教えられ、セナツはますますあわて、驚いた。母親を妖怪呼ばわりされた彼は、ハルセを背中にするようにして両手を広げてユキの前に立つ。
「お母さんはそんなんじゃないです!」
「……どいて」
「お母さんはお母さんだ!」
「ハナヤハルセなんて人は存在しないのですよ!」
ユキが声をはる。様子を伺うように黙っていたハルセのまつげがわずかに動いた。
「どうしてユキさんに分かるの? おいらはっ、お父さんを連れてきてくれるっていうから……」
「ハナヤハルセは、そこの雪女が殺したから」
「え?」
「亡くなったハルセに頼まれたのです。セナツが雪女に奪われた、どうにか助けてくれないか――と」
セナツは黙ってしまった。嘘だと信じたいが、ユキの目つきは本気だ。まっすぐに彼を見つめている。いや、まだ本当だと決まったわけではない。
「そ……、そんなの嘘だよ。だって、それならユキさんは……」
一体誰なのだ。
「この村に雪が降らないなんていうのは嘘。セナツは、さっき雪がふったのを見たでしょう?」
「あの白いのが雪……だったの?」
「そう。雪女は、本来雪を降らせる力を持つのに、この村には雪が降らない。おかしい話です」
ユキには、その理由はもう分かっているようだった。そのことを察したハルセ―ユキいわく雪女―は忌々しげに舌打ちをする。セナツはおそるおそる、後ろの雪女のほうを振り返った。やはり、ハルセの風貌だ。
「ハナヤハルセ、そしてアキナを殺したのは雪女、あなたでしょう。雪女としての力が衰え、雪を降らせることもできず、ただ老婆となって死んでいくだけとなってしまったあなたは、目についたセナツの家を襲った。違いますか」
疑問符はつかず、もはや断定する言い方であるが、雪女は認めたのか仕方なさそうに小さくうなずいた。
その動作と同時に、雪女の着物は乾いた地味なものから、白地に空の色に近い薄い青色の流線が規則的に入った着物へと変貌した。
セナツは目の前で起こったことを信じられず、食い入るように見つめる。先ほどまでハルセだったその人が雪女であることを示すかのように変化したことに目を瞬かせた。
「人間を喰らうことで生きながらえるのは悪いことかい? 生きるのに必要だというのに」
「食べるものは人間でなくても良かったはずです。確かに、他の食料より人間は魂がある分おいしいですし寿命ものびますが」
互いの正論が衝突する。それはもはや、セナツにとっては理解できる範囲を超えていた。しかし、彼は雪女に両親を殺されたと知ってもなお、責める気にはなれなかった。
記憶にないことよりも、もっとずっと重要な事実があった。
「ユキさん。この人は、お母さんなんです」
「セナツ、何を言っているか分かっているの?」
「ユキさんのいいたいことはわかります、でも……おいらの記憶にあるお母さんは、育ててくれたのはこの人だ」
殺そうと思えば殺せたはずだった。子どもなのだから、なおさら。
「ユキさんから、お母さんだったハルセさんに、伝えてもらえませんか。おいらは、この人と生きることを望んだって」
「セナツ!」
「お願いです! なんでもする、なんでもやる、だから、おっかぁをとらんといて、お願い、お願いしますけん……」
普段、セナツが使わない言葉が出てくる。体裁といったものを厭わなくなってきた証拠だった。ただ、必死に、“雪女”をこのままにしてくれと懇願する。
「どうしてそこまで……」
「……夜、さみしゅうなったら、お母さんって、おっかぁどこ? っていえば、“なんだいセナツ”って、“お母さんはここだよ”って腕に迎えてくれた。明かりがない真っ暗な家の中でも、おっかぁは光になってくれたんだ。雪女だとしても、本当のおっかぁやおとぅを殺してたとしても一人にはしんかった、おいらを育ててくれた……」
セナツは、涙をためた純粋な瞳で雪女の顔を見上げた。
「なあ、おっかぁは、これからもおいらと暮らしてくれるよな?」
しばしの沈黙のあと、雪女はゆっくりと口を開いた。
「……ずっとは、無理だけど。そうだねぇ、雪が降るまでなら」
その答えを聞いたユキは観念したようにため息をついた。
「ハルセは……、ハルセとセナツは、私のところへ毎日来て掃除してくれた。だからその礼もかねて助けるつもりでしたが……」
「え?」
「あの祠にこれからも来てくれるなら、雪女とセナツが暮らすのを許しましょう」
そういわれて、セナツはようやく気がついた。ユキは、毎日行っているあの祠の……おそらく、神様とよばれる部類なのだ。どうりで不思議な言動も多かったわけだ。
「セナツ、アキナを連れてくると嘘をついてすみませんでした」
「……はい」
「雪女。先ほどの言葉、しっかり聞いていましたから。もう、誰かを食べて生きようとせずに妖怪として死ぬことを選びなさい。そのほうが、セナツのためなのだから――」
ユキはそう言い残すように吐息とともに吐き出して煙のように跡形もなく消えた。
「本当にこのまま、ハルセとして暮らしていいのかい?」
「うん」
雪女の問いに、セナツがうなずけば、彼女の姿はさきほどのハルセの姿となった。いや、少し老けたか。
「私は、セナツも、他の人間も食べないと決めたんだ。だからセナツを育ててきた。もう少し、がんばるから」
「うん、うん。お母さんと、一緒がいい」
「ああ。雪が降るまで、一緒にいよう」
雪が降るときは、彼女が死ぬときであり、セナツが一人となってしまうときだ。
セナツは心に決めた。雪女、もとい母親のハルセとずっと一緒にいることを、その姿が雪にとけて消えるまで隣にいることを。
その数年後、どこからともなく聞こえてくる横笛の音色とともに、老婆となった彼女の上に雪が降り積もるのを見ながら、セナツの背中が小さく震える光景を、あの人はそっと見守っていたという。
かたわらにある光は、方法を違えていても、形を変えていても、セナツの行く道を照らしていた。
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