(Love is a piece of paper)

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(Love is a piece of paper)

 山田(やまだ)は激怒した。  必ず、かの邪智暴虐(じゃちぼうぎゃく)の幸子(さちこ)を殺さなければならぬと決意した。  山田は恋愛が分からぬ。山田は、ただのストーカーである。気に入った女を見つけたらコソコソと身辺の情報を調べ上げ、こっそりと付け回り、その女との戯れを妄想して暮して来た。けれども失恋に対しては、人一倍に敏感であった。  山田はその青春と一生を賭して、三十歳の今日になるまで愛の告白など行ったことなどなく、一世一代の勇気と挑戦精神、少なくとも自分なりの誠実さをもって、10円ガムを6つと野に咲く四葉のクローバー、原稿用紙換算枚数50ページ相当の想いのたけを綴った肉筆ラブレターを手土産に、口呼吸も乱れ鼻息も荒く幸子に愛の宣言の誓いを、幸子からすれば全くの初対面であるにも関わらず、山田は一方的に声高々にしたのだが、幸子はただ一言「キモい!」と言って、にべもなく山田の想いを受け入れる事はなかった。  山田は愛を語れる言葉を持っていなかったのだ。  恋を、愛を、人を知らぬ山田には、紡げるメッセージを持っていなかったのだ。  以来、山田の逆恨みは日に日に強くなり、積もり積もって幸子への憎悪、やがてそれは殺意に変わった。  既に山田は幸子の一人暮らしのアパートを知っている。幸子は大学生。故に幸子の大学やバイト先も熟知している。そして、彼氏がいない事も……と幸子のパーソナルな部分を思い出しながら、山田が刃物片手に夜半、幸子の住むアパートへ着いた時だった。  幸子のアパートのゲートから息を取り乱しながら一人の若い男が急に現れた。何やら上半身は赤色に染まっており、目はすわり血走っていた。そんな男と山田の目が合った。だが、すぐに男は走って去って行った。  どうにも不可解な思いに駆られた山田だったが、山田は幸子を殺しに来たので、そんな小さなハプニングは気にせず、幸子の住む部屋へと向かった。  すると幸子の部屋のドアが全開している事に山田は気づいた。一瞬、不審に 思った山田だが、ゆっくりと全開した幸子の部屋のドアに近づき、その部屋の中を覗いてみると、何とうつぶせになり血まみれの姿の幸子がいた。  刹那、山田はたじろいだが、悲鳴などは発せず徐に倒れた幸子の方へ向かった。  死んでる。  山田は微動だにしない幸子の様子を窺い直感した。そして、このまま自分がこの現場にいるのはマズイと判断して、すぐに幸子の部屋から猛烈にダッシュして去って行った。  後ろを振り返る事なく黙々と走る山田。呼吸は乱れ、汗は止まらず、激走する。だが、一方で後方から何らかの気配を感じた。いや、幸子のアパートを出た時から、付近の電柱の影に人の気配を覚え、それからずっとその人影が追って来ているようだった。  息も切れ切れ、山田は何とか自宅の独居アパートに帰ると、すぐに刃物、所謂、出刃包丁をキッチンに投げ置き、山田は呼吸を整えながら自分の部屋の窓から外を覗いてみた。すると電柱越しに怪しい人間が隠れていた。  やはり尾行していた。何者だ?  山田はすぐさま窓のカーテンを閉め、ウロウロと室内を歩きながら考えた。そして、すぐに尾行してきた人物の謎が解けた。  アイツだ。アイツが幸子を殺したんだ。恐ろしい偶然かも知れないが、僕が幸子を殺そうとした日に、奴が先に幸子を殺した。だから、幸子のアパートの前で出会い頭に僕と遭遇した奴は、僕を目撃者扱いして僕を付け狙っているんだ。何の理由で奴が幸子を殺したかなどは分からないが、兎に角、僕はとばっちり的に奴のターゲットになっているんだ。  山田はそう推理しながら思考する。ターゲット。謎の、奴、は自分を口封じために殺そうとしている、と。  しばらくしてもう一度山田が外を眺めてみると奴の姿はなかった。  居なくなったか。奴はこのまま諦めて俺を付け狙う事事はないのか。いや、殺人事件の目撃者扱いを奴は俺にしてるはずだ。警察に届ける? そうなると僕がどうして幸子の家に行ったかを聞かれるはずだ。俺と幸子の接点はないし、変に怪しまれるのも嫌だし、そもそも警察とは関わりたくないしな。  山田は考えた末に、暫しの間は様子を見てみるか、と身の危険を鑑みながら生活をする事に決めた。  数日後。  山田は逐一、自分の後ろで人の気配を感じ続けていた。普通に散歩する時も、バイトに行く時も、コンビニに働きに通う際にも。それ以前に奴は不定期な時間ではあるが、毎日のように山田の自宅前の電柱に身を潜め、その様子を山田自身気づき見かけていた。  完全にストーキングされてる。  山田は自らが幸子に行っていたストーカー行為も省みず、自分自身をストーカー被害者として扱い、困惑と恐怖を覚えていた。  第三者から見ればストーカーがストーカーに狙われているという珍妙な光景。一方で高まる山田の自己防衛本能。  殺られる前に、殺れだっ!  山田の緊張感と忍耐力、そして、殺意は頂点に達した。  そして、ある雨の日、奴を殺る覚悟ができ、また、奴も雨の日だというのに、相も変わらず傘もささないまま、山田の自宅前の電柱裏で、全身ずぶ濡れのままじっと山田の部屋の窓を見つめていた。  それにしてもあの幸子とかいう女はとんでもないビッチな女だったんだな。あんなストーカーの変態男に狙われていたなんて、尋常でない恨みを人様から買うような性悪女だったか。僕のような、いたって健全な好青年と結ばれてはいけない、と神様が気を利かせて幸子との断絶を下したのかも知れない。うんうん、きっと、そうだ。だが、僕の調べた情報では普通の女子大生の体(てい)で通っていたんだがな。それともカレ氏? 元カレ? いや、どちらにしてもあの女を追っているような男の存在はいない、僕の知る限りでは……調査が甘かったか? 媚態極まる女豹は狡猾にて用心深いからな。  という思惑を山田は抱きつつ、飛び出しナイフを取り出し、雨中の外に出ると、周りを軽く見まわして人気のいない事を確認後、ダッシュして電柱に隠れる奴に向かって走り出し、驚く奴の表情を他所に山田はカジュアルな感じで奴の心臓にナイフを一刺し。さらに胸部全体をメッタ刺しにした。  はい、これで終わりぃ。  山田の中では全てはパッケージングされ、一連のストーカー被害は終了とし、雨に長い間濡れているのも嫌なので、すぐに家に戻ろうとした。  だが、奴がまさに息絶えるその寸前に、最期の渾身の力を込めて、山田の足首を掴んでこう遺言した。  幸子という女は俺に惚れていたんだが、俺はアンタ、そう、山田さんが好きだったんだ。だから俺はあの女から離れる為に幾つもの努力をした。だが、あの幸子って女はしつこくて、徐々に俺に対するストーキング行為が激しくなり、俺の山田さんへの想いすら踏みにじろうとした。ただの邪魔なだけの存在だったんだ、俺にとって幸子は。だから殺すしかなかった。そうしたら何だろう、奇跡的に俺が幸子を殺した日に、アンタとあそこで偶然バッタリ出会ってしまったんだ。俺は幸子を始末した達成感もあり、これで正々堂々と山田さんに告白できる、交際できる、と思い込んでずっと片思いし続けた。そう、片思い。だからこそ一定距離以上には君に近づく事が出来なかった。なかなか次の一歩を踏み出す勇気がなかった。だから長い間君を追いかけ告白しようと待機したままで、俺の切ない想いは募るばかりで……なのに、どうして……どうして、アンタは、君は、あなたは、山田さんは俺を……?  それだけ告げると奴が掴んでいた山田の足首を絡めていた手は緩み解け、眼を見開いたまま失命した。  半ば不意打ち的な奴の激白。  奴は言葉を持っていた。  自分に対する愛の一言一言を。  信じ難い展開における、奴の台詞に畏怖の念を抱き始めた山田。  僕は愛を告げる術だけじゃなく、愛を送り返す声すら持ち合わせていなかったんだ。  奴の想いを受け入れた山田は、突如、絶望以上の無望(むぼう)とも言える気持ちに襲われた。  すると山田の膝は崩れ、血まみれのナイフを落とし、息を引き取ったばかりのフレッシュな紅く染まった奴を抱き、瞠目している奴の目の瞼をそっと閉じた。そして、インドラ(ヒンドゥー教の雨神)が叫喚しているような豪雨の中、雨傘さして不思議そうに眺める歩行者も気にせずに、何ら恥も外聞もなく泣いた。雨が奴の大量出血と混じり合い、その水溜まりができた中で、山田は号泣を続ける。  ストーカーは、ひどく滂沱(ぼうだ)した。                       了
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