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13 闇の中で
気づけば、闇の底にいた。
宇宙の暗闇にも似た、命の気配がまったく感じられない射干玉の檻。
もう肌に馴染んでしまった悪夢。
またあの症状を発症したのだろうか。
それとも今度こそ俺は、本物の地獄に堕ちたのか。
――ちがうよ黄龍、君は死にかけている。
ふいにすぐ近くで、誰かの声が聞こえた。
死神だろうか。若い男の声だった。
なるほど、と妙に納得する。なんだか全身が泥に沈むようなのに、片足の感覚だけが妙に希薄で軽い。
――君の身に、なにがあったんだ。護衛艦で天音と別れたあと、あのISSOMで。
声はそう問うてきた。責めるでもなく、悲しむでもなく。
天音。ISSOM。
その単語を聞いて思わず額に手をやる。
なんだか首の後ろが火を当てられたように熱い。
次の瞬間、殺してくれと叫びたくなるほどの頭痛で、脳みそが焼けたようになった。
そうだ、俺は双頭鷲と……あの『梟』と対峙するためにISSOMに戻ったのだ。
小型機を降りた時にはすでに、相当数の味方が東ゲートから内部に入りこみ、衛星の中で壮絶な戦闘が始まっていて――すでに一般人の多くは死傷するか紛争抑止軍に救助されていた。
しかし問題は、研究者の三割ほどが中央管制棟に閉じこめられていたことだった。
あれはいかにも『梟』のやりそうな作戦だった。
人質を集めて出入り口を封鎖し、占拠することで軍の動揺を誘う。
それから奴は無差別に無抵抗の人質を処刑してゆき、その首を切り落として中央管制棟の出入り口に並べるという双頭鷲流の脅しに走り、人の恐怖を煽った。
あの時まっさきに処刑されたのは、天音の敬愛するマルティン・シュバイツァー教授だった。
所長でもある教授が膨大なISSOMの研究データを渡すまいと、最後まで抵抗したのが奴の反感を買ったのだ。
刃向かう者はこのように、容赦なく殺す――。
そう言った『梟』はいつもどおりに全身を黒装束で覆い、目をのぞく顔までを隠していた。腰には剣の代わりにサバイバルナイフを吊し、自分は選ばれた神の戦士だとわめいて勝ちどきを上げる。
ISSOMの明け渡しや宙域の通行権、サザンでの自由交易など要求を呑まなければ、さらに人質の命を奪い続けると宣言した『梟』は、そのまま棟内に引きこもって籠城の構えに出た。
それから双方のにらみ合いが数時間続いた。
しかしそれは唐突に衛星に鳴り響いた大轟音により破られることとなる。
奴は戦術家で、こちらがわを撹乱する襲撃のシナリオをきちんと計画していた。
皆が気づいた時にはもう、北ゲートに大きな宇宙貨物船が半分突っこんで止まっている状況で。この凶行で双頭鷲鎮圧までのタイムリミットは完全に半日となった。
ISSOMから酸素が抜けてしまえば、宇宙服の用意がない人間の命は絶たれる。衛星中がパニックに陥り、軍はついに人質回収を諦めて中央管制棟への強行突入を決断した。
戦闘は言わずもがな、血で血を洗うような最終戦へとなだれこんでいき――。
――それで君はどうした。その時、どこにいたんだ。
声に聞かれ、俺は、と頭痛を押して思い出す。
そうだ。
俺はあの時、すでに潜入部隊をひきつれて、中央管制棟の地下通路から空調ダクトの中を移動していたのだった。
敵の裏をかく特攻はバイドアでも散々やってきた。
五階の会議室エリアから内部通路に降り、手だけで合図して部隊を少人数にばらけさせる。
すべて作戦通りだった。
狙うは『梟』ただ一人。――奴さえ落とせば、このISSOMでの戦いは終わる。
初めからずっと、そう部下達にも言ってきた。
――そうやって、君は『梟』を追い詰めたのか。
そうだ。『梟』には手練れの部下が何人もいたが、そいつらは表からなだれこむ抑止軍との消耗戦で指示系統についていた。
だから『梟』の側に最後までついていたのは、屈強なアルジェリア人の男だけだった。
そいつもふいをついた講堂での銃撃戦の末に蜂の巣になって倒れたので、残るは自分と部下三人と奴だけになって。
奴はたくみに八階の実験棟に逃げた。
そこの照明が全部落ちているのを知っていたからだ。
非常灯がまたたく暗闇の中、銃撃は続き、部下二人が命を落とした。
だがこの施設は、もはや勝手知ったる身内の庭のようなものだった。残った一人と部下の屍を乗り越え、自分たちはようやく『梟』を小型気象衛星の試作機が置いてある吹き抜けにおいつめたのだった。
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