13 闇の中で

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と、脳に直接衝撃が走るような(しび)れがあって、ふいに視界が開ける。 そしていつの間にかこの身体は、勝手知ったるISSOM宅の居間にいた。 「なんだ。これは夢か?」 いや、夢じゃない。この声は俺の声、これは現実だ。 タートルネックにジーパン姿でソファに座ったまま、両手には鉄アレイ、口には疑煙草(フェイク・シガレット)を咥えている。 サイドテーブルには天音の書いた論文が散らばっていて。 ああ……思い出した。 これはエリュシオンから帰った直後くらいか。 泣きたくなるほど幸せな、光の記憶――。 ほどなく背後からぱたぱたと軽い足音が(ひび)いてきた。 天音だ。 ブラックコーヒーとカフェオレが入ったマグカップを両手に持ち、鼻歌を歌っている。 歌の主は机の(はし)に二人分のカップを置くと、そのまますぐ脇のソファに子リスみたいに飛び乗って、脇に(はさ)んでいたチラシをこちらの目の前でちらつかせた。 「ね。コーヒー入れたよ、黄龍」 「おう、ありがとうな」 日本人とは、そうとう風呂好きな民らしい。 シャワーだってあるのに、天音はしょっちゅう湯浴みをしている。 今は風呂上がりらしく、さっぱりしたタンクトップにジャージ姿で、洗い髪は頭の上で大きな団子(だんご)になっていた。 「あのね黄龍。ちょっとお話が――」 「っ、危ないぞ天音。いきなり近づくな」 (あわ)てて鉄アレイをソファの下に置いた。 ぶつかったらどうする、何キロあると思ってるんだ。 だがこの女は、そんなことはどうにかこっちが対処(たいしょ)してくれるはずと言わんばかりに隣にくっついてくる。 「ねえ、無視しないで、ちゃんとこれ見て下さいっ。エレンがくれたんだけど、今度、倉庫街でお祭りがあるんだって。でね」 髪と肌から甘い香りが立ち上り、鼻孔(びこう)をくすぐる。ささくれた心を(うるお)すように。 こいつの肌がいつもむきたての卵みたいなのは、頻繁(ひんぱん)な入浴の成果なのかもしれない。 「この店と、この店の料理が絶品なんだって。黄龍、イベントがある週末って時間ある? 私、行ってみたいんだけど、一緒に行かない?」 疑煙草(フェイク・シガレット)を口から(はず)し、(わき)に置いていた携帯灰皿に放りこみながらうっすら考える。 もし……このまま腕を回してこの細い身体を引き寄せたら、天音は嫌がるだろうか。(やわ)らかな唇に口づけたら驚くだろうか。 もしも抵抗されなかったら。あの時の夢と同じように髪に手をさしいれ、押し倒して深く舌をからませ、白い肌に指を這わせて……何度だって望みのかぎり、いくらでも甘い愉悦を味わわせてやれるのに。 天音。あんたが涙目になって恥じらう顔を見たい。切羽つまって俺の名を呼ぶ声が聞きたい。何度でも。 ()れたい。(さわ)りたい。抱きたい。愛したい。 天音がもしも、怖がらずに俺を受け入れてくれるなら――。 最近はこいつがそばにいると、すぐよこしまな念ばかり()いてしまう。 情けないことに、つまりそれくらい好きになってしまったわけだが、正直なところ、天音は俺をどう思っているんだろうな――。 どのみち一度でも抱きしめたらそこから先、歯止めがきかなくなりそうだったので、腹の奥でじりじりくすぶる熾火(おきび)を残念な気持ちでもみ消し、答えた。 「とか言って、ついてきて欲しいんだろう。いかにも迷子になりそうだからな、あんた」 にやりと笑ってみせると、天音は魚のふぐみたいにほっぺたを()らませる。 すかさず(ほお)の両側を手ではさむと、ぷ、と息を吹いて、ますます怒った表情になった。 「おお、おもしれえ顔」 「もうっ、意地悪! 真剣に聞いてるのに!」 本人はめいっぱい不愉快なのだろうが、俺はじつのところ、こいつのこういう紅潮した顔もかなり可愛いと思う。 瞳がきらきらして、裸足(はだし)をばたつかせる様子も、小動物みたいで。 「悪かった。怒るなよ、行ってやるから……っ」 くつくつ笑いながらマグカップへ手を伸ばす。 しかし、もうそこにあの見慣れたカップはなかった。 「……天音?」 ずきりとこめかみが刺されたように痛んだ。 そしてふりかえるとそこはもう、全然ちがう風景の中だった。
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