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すると声は急に息せき切って話し始めた。
――なんだって、僕がわかるのかファンロン? なら伝えたいことが山ほど有る。どうか聞いてくれ。
そう言ってオリビエは、とつとつと黄龍の身体を回収しにきた時の状況を話し出した。
ISSOMに突っこんだ船が爆発した顛末。
勝手知ったる中央管制棟には緊急シャッターが降りてまだ空気があったこと。
今は宙域にある救急艇にいて、俺の第七頸椎に埋めこまれた器具と、医療機器とをつないで意思疎通を図っていること。
ようやくそれで納得した。
ようするに俺は出血多量、致命傷を受けて昏睡状態にあり、身体はぎりぎりの延命治療中だったわけだ。
オリビエは教授からすべてを聞いたと言った。
黄龍の生い立ちや経歴、アルバトフ研究所が人体実験まがいの枷をつけたこと、今回の八脚神馬極秘任務まで。
まったくおしゃべりな老人め。余計な話までつらつらと。
――黄龍、水くさいじゃないかっ。
どうして前に一言、僕に有機デバイスを強制装着されたって言わなかったんだ。
君が白人種を嫌ってるのは知ってた。だけど、そんなに白人は信用ならないのか。
僕が僕でもダメか?
声は怒りのあまり、すすり泣いているようだった。
――『サーヴィカル・システム』は脳や神経を損傷する恐れがあるし、なによりプライバシーを多大に侵害している。
僕の国じゃ、今や国際法で規制するための議論がさかんに行われてるんだぞ。
俺はまだ延々と続きそうな医師の文句をさえぎった。
すまない、オリビエ。
悪いが、なんだかさっきから意識がじょじょに薄れてきている。
おまえの愚痴をこれ以上聞いてやれる余裕はなさそうだ。
だから先に、必要なことだけ伝えておく。いいか。
ISSOMのデータはいくら探しても、俺の頸椎にはないぞ、と切り出す。
いやしかし、教授はたしかに君の体内デバイスにデータチップの情報を移したと話していた、とオリビエがまた説明し始めたので、
ちがう、探せ。
奥歯の中だ。
俺が体内に保有するデバイスは一つじゃなく二つなんだ。
鈍い痛みを訴える頭を押さえながら、慎重に言葉を選んだ。
いいか、奥歯の中に、一本だけ義歯があるはずだ。
義歯と言ってもIP細胞から造られた、神経もつながっている代物だから、本物と識別するのはむずかしい。
しかしそれは頸椎のデバイスとも連動しているから、ちゃんと調べればわかるはずだ。
今から暗証番号を五種ほど伝える、反応を見てみろ。
その屈辱の枷こそが、幼い日にこの身体が否応なく装着された、もう一つの有機デバイス――英才データ集積装置だった。
義歯はいわば巨大容量のドライブレコーダーみたいなものだ。
被験者は英才教育にかかる費用を免除される代わりに、死ぬまで脳波や身体機能を義歯で測定され続ける。
そのデータは頸椎の『サーヴィカル・システム』で研究所へ定期的に提出する。
そうやって英才と呼ばれる人間たちの経験値を蓄積し、次世代の人工知能開発に生かすのが、あの研究所の存在意義なのだ。
『ファンロン、君のデータは随一だ。本当にすばらしい。誇りに思いたまえ、君は今、大いなる人類の進化と発展に貢献している』
これまで俺の人生は、すべてスペツナズのーーあの研究所の斡旋ありきだった。
宇宙飛行士育成プログラム履修も、ソマリアへの派遣も。
乾いた気持ちのまま、それもまた良しだと思っていた。
この欺瞞に満ちた人生で、他にしたいことはなく、守りたいものもなかったからだ。
だがこの悪しき枷に、まさかこんな、有益な使い道を見出す日が来るとは。
ISSOMの全データを、俺の体内に埋め込まれた枷に移植して国連軍のしかるべき部署に提出する。
生まれて初めて、本当に人の役に立ったような気がした。
笑って、最後の気力を振り絞る。
おそらくこれが気の良い医者の友への最後の伝達になるだろう。
なあオリビエ。
そのくだらない歯から、どんな記憶を引き出してくれてもかまわない。
だが、頼むから天音との思い出だけは奪わないでくれ。
これから旅立つ処へ、わずかな光の記憶くらいはつれて行きたいんだ――。
終わることに恐怖は感じない。
皆、いずれはこうして身体を手放していく。
応える声が聞こえたが、なにを言ったのか理解はできなかった。
オリビエ、悪いな。もう限界だ。今はただ眠りたい。眠らせてくれ。
それから……世界は、無明の闇に包まれた。
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