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「かしこまりましたー、ファンロン中尉っ」
「悪ふざけはやめろ、オリビエ」
思わず昔のように厳しい声が口をついて出た。
バイドア――それが、オリビエと初めて出会った駐留地の名だ。
日常茶飯に砲弾を撃ちこまれる野営地で、腕のいい従軍医は貴重だったから、すぐに顔を覚えた。
(あそこで何人が命を落としたろう)
エチオピア・ソマリアの国境線を巡る争いは、百年前から断続的に続いている。ここに先のユーラシア戦争で使われた武器を流したのが、悪名高き双頭鷲だった。
『この世のあらゆる場所を標的にする』と豪語するテロ組織の勢いは、今や飛ぶ鳥を落とす勢いだ。
これに対処するため、国連傘下の双頭鷲専門対応局は、二十年ほど前から多国籍軍を組織している。
このUNFは表向き各国から輩出された精鋭たちの見本市である反面、裏ではさまざまな諜報や政略の駆け引きにも利用されており、いたって黒に近い特殊組織だった。
毒を制すには毒を、というわけだ。
そして俺はロシアから、オリビエはノルウェーからそれぞれUNFに派遣されて奇しくも同じ部隊に所属していた。俺はある作戦の実行部隊長、オリビエは医師として。
(あの頃から、俺とオリビエの立ち位置は変わっていないな……)
指令があればためらいなく人殺しをする自分と。その横で着々と命を救うこいつと。
(しょせん、俺の両手は血塗られている)
この身体には枷がはめられているのだ。逃れることはできない。
暗澹たる思いがこみ上げ、思わず奥歯をかみしめた。
一本だけな、と断って懐から疑煙草を取り出す。
ISSOM内は禁煙だ。地球に降りるまでは、このよくできた疑似品で我慢するしかない。
「ソラはいい子だよー、ファンロン」
唐突にまるで寝言のように、オリビエがうめいた。
「絶対に君とは相性がいい」
「……なにを藪から棒に」
「彼女、すごく気が利くんだ。静かだし」
「だろうな。だから、なんなんだよ」
「いやー、別にぃ。君には派手美人よか、そういう子が合ってるだろうって話さ……」
疑煙草が吐き出す透明な陽炎を目で追いながら、馬鹿やろう、と毒づく。
だがオリビエの目はとろんとして焦点が合っていない。
今はなにを言っても無駄なようだ。諦めて立ち上がり、床に放り出されていた鞄をひろうと台所へむかった。
台所の自動扉が開くと、天音は子供がお化けでも見たように肩を揺らした。
調理台の上に並んだ料理は保存容器に移されている最中で――その皿の多さに、不思議なほど心がいらつく。
「あ。黄龍」
天音はまた、さっきの笑みを唇に貼りつける。
「お腹、すいていない……ですか?」
(食い物がこれだけあれば、数日は生き延びられる……)
内心、舌打ちした。脳裏に蘇る、両手を差し出して物乞いする痩せこけた子供の姿。
「あ、お腹がいっぱいなら、なにか飲み物を入れますけど。コーヒーとか」
わかっている、ここは戦場じゃない。あのバイドアからはるか彼方、上空の極みにある宇宙空間、先進的な国際研究施設の中だ。
だが一言言わずにいられない。
「……天音。一つ言いたいことが」
「はい?」
微笑んだまま、鞄の中からとりだした書類の束をオーブンの上に放り出すと、思いのほか大きな音がした。リスのように身を縮める天音を見てぐっと腹に力を入れる。
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