3 黄龍

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「かしこまりましたー、ファンロン中尉っ」 「悪ふざけはやめろ、オリビエ」 思わず昔のように(きび)しい声が口をついて出た。 バイドア――それが、オリビエと初めて出会った駐留地の名だ。 日常茶飯に砲弾を撃ちこまれる野営地で、腕のいい従軍医は貴重だったから、すぐに顔を覚えた。 (あそこで何人が命を落としたろう) エチオピア・ソマリアの国境線を(めぐ)る争いは、百年前から断続的に続いている。ここに先のユーラシア戦争で使われた武器を流したのが、悪名高き双頭鷲(ドッペルアドラー)だった。 『この世のあらゆる場所を標的(ターゲット)にする』と豪語するテロ組織の勢いは、今や飛ぶ鳥を落とす勢いだ。 これに対処するため、国連傘下の双頭鷲(ドッペルアドラー)専門対応局は、二十年ほど前から多国籍軍(United Nations Forces)を組織している。 このUNFは表向き各国から輩出された精鋭たちの見本市である反面、裏ではさまざまな諜報や政略の駆け引きにも利用されており、いたって黒に近い特殊組織だった。 毒を制すには毒を、というわけだ。 そして俺はロシアから、オリビエはノルウェーからそれぞれUNFに派遣されて奇しくも同じ部隊に所属していた。俺はある作戦の実行部隊長、オリビエは医師として。 (あの頃から、俺とオリビエの立ち位置は変わっていないな……) 指令があればためらいなく人殺しをする自分と。その横で着々(ちゃくちゃく)と命を救うこいつと。 (しょせん、俺の両手は血塗られている) この身体には(かせ)がはめられているのだ。逃れることはできない。 暗澹(あんたん)たる思いがこみ上げ、思わず奥歯をかみしめた。 一本だけな、と断って懐から疑煙草(フェイク・シガレット)を取り出す。 ISSOM内は禁煙だ。地球に降りるまでは、このよくできた疑似品で我慢するしかない。 「ソラはいい子だよー、ファンロン」 唐突(とうとつ)にまるで寝言のように、オリビエがうめいた。 「絶対に君とは相性がいい」 「……なにを(やぶ)から棒に」 「彼女、すごく気が利くんだ。静かだし」 「だろうな。だから、なんなんだよ」 「いやー、別にぃ。君には派手美人よか、そういう子が合ってるだろうって話さ……」 疑煙草(フェイク・シガレット)が吐き出す透明な陽炎(かげろう)を目で追いながら、馬鹿やろう、と毒づく。 だがオリビエの目はとろんとして焦点が合っていない。 今はなにを言っても無駄なようだ。(あきら)めて立ち上がり、床に放り出されていた(かばん)をひろうと台所へむかった。 台所の自動扉が開くと、天音は子供がお化けでも見たように肩を()らした。 調理台の上に並んだ料理は保存容器に移されている最中で――その皿の多さに、不思議なほど心がいらつく。 「あ。黄龍」 天音はまた、さっきの笑みを唇に貼りつける。 「お腹、すいていない……ですか?」 (食い物がこれだけあれば、数日は生き()びられる……) 内心、舌打ちした。脳裏に(よみがえ)る、両手を差し出して物乞いする()せこけた子供の姿。 「あ、お腹がいっぱいなら、なにか飲み物を入れますけど。コーヒーとか」 わかっている、ここは戦場じゃない。あのバイドアからはるか彼方(かなた)、上空の(きわ)みにある宇宙空間、先進的な国際研究施設の中だ。 だが一言言わずにいられない。 「……天音。一つ言いたいことが」 「はい?」 微笑んだまま、(かばん)の中からとりだした書類の束をオーブンの上に放り出すと、思いのほか大きな音がした。リスのように身を(ちぢ)める天音を見てぐっと腹に力を入れる。
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