第二章

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 思いもかけない中身に、各務は軽く片眉を持ち上げて驚きを表して見せる。  恋人が言いたいことを流夏も充分察し、判っていると先回りして告げた。 「もちろんここは託児所じゃない。だがその兄弟を大谷組が狙っているんだ。何となれば、上の子供が園衛操の実の孫でね」  関西にも広い情報網を持つ各務はそれを聞いただけで背景の大部を察し取り、不快そうに顔をしかめた。 「園衛貢には離婚歴があると聞いているが、その息子か。三歳にしかならない、それも病気を患っている孫を、祖母が筋者に狙わせているというのか」 「そう、気に入らない嫁が生んだ孫は“血縁”じゃないらしくてね。孫の病気が珍しい症例なもので、後見をしている洛南大の医者が診たがっているのを幸い、モルモットよろしく渡そうとしているんだ、親権譲渡を盾にしてね」 「噂以上に性根の悪い女と見える」 「まあ、血の繋がりなんてものはあてにならない時はまったくならないさ、俺の曽祖父が娘を孫もろとも殺そうとしたようにね。家名の名誉の、そんなものに取り憑かれた人間は恐ろしいものだよ」  流夏は他人事のようにさらりと言ってのけたあとで、続けた。 「とりあえず今は加藤夫妻が二人の保護者だが、あんたも知っての通り大谷組と園衛は北森成一弁護士を介して持ちつ持たれつの間柄だから、どんな強硬手段に出られるか判ったものじゃない。循環器病センターの警備なんてあってなきが如しで役に立たないし、警察も頼りにはならない。この大阪中で大谷組の手が届かないもっとも安全な場所は、ここしかないんだ」 「確かにな」  各務は皮肉な同意の笑いを唇の端に刻んだ。  瑞邦会内ならば、警察の留置所以上に大谷組が踏み込める領域ではない。関東最大と呼ばれる勢力の恐ろしさは同業者こそが一番良く知っているはず。そして若頭の各務が大阪入りしている現在、警備も水面下では普段の倍の態勢が敷かれている。そこを含めた上で流夏は依頼しているのだ。 「上の子が暫定的に滞在できるレベルの医療用器材は俺が用意する。二人を一週間でいいから匿ってやって欲しい」 「俺は構わんが、親が納得するか? ここが瑞邦会の息の掛かった会社だということは一般市民も知っている。縁戚や知人というならともかく、見ず知らずの筋者に幼い子を二人も任せる堅気の親はいないと思うが」  ごく常識的な見解に、流夏は確信に満ちた態度で首を振った。 「母親は子供たちをここに預けるのは戸惑うだろうな、けど父親は世故に長けている男だから事情を説明すれば納得するはずだ、心配は要らない――そしてその一週間の間に俺が全部ケリを付ける」 「そういうことなら良かろう」  各務は交換条件を呑み、恋人としてではなく一対一の取引として、流夏の交渉を受諾した。お互いプロであるからこそ公私混同は絶対にしない。こういう時のシビアさを絶対的に使い分けているから、私的な関係は持続する。  流夏は拳銃の表面を丁寧に拭い取って指紋を除くと、何の変哲もない白布に包んで置き直しながら訊ねた。 「加藤健の面倒を見る医者と看護師は俺が手はずを付けてもいいけど、あんたがこの建家の中に得体のよそ者は入れたくないだろうと思ってまだ準備はしていない。どうしようか?」 「いや、お前の言う通りだ。そちらは俺の方で手配しよう。三歳で心臓病と言うなら、それなりの人間が必要だな。すぐに探させる」  電話を取るなり各務は斉藤を呼び、三十秒も経たないうちに忠実な部下は扉の向こうでノックを叩いた。  無駄のない動きで室内に滑り込んで指示を待つ斉藤に、各務は端的に命令を下す。 「心臓病を持つ三歳の子供をここで一週間預かることになった、専門医と看護師を身内から探せ。医者はK大病院に香取という俺の知人が居るから、そいつに訊ねてみろ。器材は山内が持って来るから心配は要らん」 「畏まりました、直ちに」  なぜそのような子供を匿うのかとか、なぜ身内から探すのかとか、斉藤は余計な質問は一切せずに承服して下がった。上の命令は絶対服従が至当の渡世人世界である。たとえ問い返されたとしても、各務は一言の下に遮ったであろう。  用件が一段落付き、始めてグラスを取り上げてブランデーを飲む流夏を見上げながら、各務は意味ありげな問いを放った。 「流夏。お前、俺に隠し事をしていないか」 「っ――」  肩の力を抜いた空隙をするどく突く質問に、流夏は危うくむせそうになった。
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