第三章

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 世間の砥石に擦れた記者にありがちな荒んだ言動や態度もなく、アクセントはもとより物腰にも受けた教育の高さが滲み出ていた。 「仰有る通りです。他者が立ち入るべきことではないが、しかし加藤さん一家のことを私は親しい友人と思っているし、あの方たちも同様です。ですので私からも先生に、皆さんのことをお願いしたいと思います」 「承知しました。先程はあのようなことを申し上げましたが、貴方のご心配は心からのものと拝察しました。きっとそのお気遣いはお二人にも届いているでしょう」  歩く二人の足元で、枯葉が音を立てて崩れる音がした。  はかない落葉を繊細に惜しんだか、踏み締めた己の靴にアンドリューは視線を落とし、そんな彼を興味深く見遣った流夏は、日本に来て何年になるのかと問い、四年になるとの答えが得られた。 「以前から断続的に来日はしていましたが、支局には私以上に日本語に堪能な者がいないのと、臓器移植法案が成立した日本の医療界の最先端技術を取材しようと言うことで長期滞在になりました。政治情勢を追うことも大切ですが、これからの社会は医療界への取材も欠かせなくなりますから」 「日本の現状は、アメリカのそれと比べてどうお思いになりますか」 「沖田先生は臓器移植医療に興味がおありで?」  驚き混じりの問い返しは取ってつけたような相槌ではなく、純粋な疑問の語調であり、つまりは日本における移植医療への意識をも自ずと示していた。流夏は緩やかに首を左右にして否と表した。 「興味があってたまらないという訳ではありません。ただ、貴方の意見を伺ってみたかっただけです」 「意見、ですか――」  アンドリューは顎に手を当てて考え込む顔付きをしてから、おもむろに語り始めた。 「日本では、輸血や腎臓移植、あるいは生体肝移植と言ったところまでならある程度受け入れられはしても、和田教授の事例を見ても判るとおり、脳死移植となるとそうは行かないという印象を受けます。レシピエント側、ドナー側、医療陣への誹謗も耳にしますが、これは世界中にも同様の意見が少なからず存在しますし、日本だからではなく、むしろ各人独自の宗教観や倫理観の違いによるとしか説明出来ない類のものでしょう。私も妹の時は随分迷いましたが……あ、すみません。アメリカにいたころ、大学四年生だった妹が交通事故で脳死になりまして、ドナーになったのです」 「加藤さんから伺ったことがあります、移植医療取材に関わるようになったのもそれが発端だと」 「ええ。妹は生前から万一の際は提供者になるとはっきり表明していて、そのこと自体は問題ではなかったのですが、いざという段になって両親も私も躊躇ってしまったのです。もう脳は二度と蘇生せず、妹は妹として生きられることはないのに、身体は人工呼吸器の助けを借りてではありますが、元のまま維持されていました。医者からは絶望を宣告されていても、まるでほんの僅かの時を眠っていてすぐに目を覚ますのではないかと期待してしまう妹の姿を見ると、とても簡単に断を下せるものではなかった」 「―――」 「ですが、最後は母の一言で決まりました。『あの子がそうしたいと言っていたのだから、その通りにしましょう。あの子の心臓や肝臓が他の人の命に繋がるのならば、その人と一緒にマリーの意志も生きられるから』と。人工呼吸器を外したのは、その翌日でした。心臓と腎臓、肝臓が直ちに他の方に移植され、いずれも成功したと遠耳に聞いています」  瞼をふっと閉じ、当時の光景を思い返すかのように極めて重い沈黙を落としてから、アンドリューは続けた。 「移植医療は宗教観だけでなく当事者の人生観そのものを問う、非常に難しい問題ですが、私は双方の『生きて欲しい、生命を大切にして欲しい』という願いがプラスに結び付いたものだと捉えています、妹がそれを望んだように――しかしミズ加藤は他の人から心臓を貰うということに、当初はひどく悩んでいました。我が子を病から救いたい反面、そういうつもりはなくとも人の死を待っているようで、それが嫌だったのでしょう。彼女だけでなく、同様の感情を抱くレシピエントの方にも何人かお会いしました。私は母の言葉を引いて、提供する側は完全な好意と自由意志で決めているのだということを伝え、だから気に病む必要はないと彼女たちに言ったものです」  キリスト教圏と仏教圏では死生観が異なり、従って『身体』へ抱く感情も異なる。海外で日本人が亡くなった際、遺体の引き取りや対面について現地の捜査機関と軋轢が生じることもその一例である。  流夏は日本の血を濃く継ぎながらも西洋で暮らした以上その相違はよく判るし、アンドリューの論理もレシピエント側の逡巡も充分に納得が行く。  第三者が述べればただの空々しい理屈でしかないが、妹がドナーになった体験を経ているアンドリューの言動は真実味を帯びており、その説得により佐絵を落ち着かせしめたであろうことも予測が付いた。  逆に言えば記者としての好奇や探究心だけではなく、ドナーの家族としての経験が彼にはあるから、取材される側も心を開いて接し、日本での長期取材を続けられるのだろうと。  千の人間がいれば千の考え方があり、万の人間がいれば万の考え方がある。 それらを一つに統合し同一を見ることこそが難しい、人類の麻薬と言われた手法でも用いない限りは。  だが神の術を代行する叡智、すなわち生命を左右する技術の恩恵は救済と同等の懊悩を少なからずもたらすものであることは、万人に等しく降り掛かる重い軛に他ならず、誰一人として逃れることは敵わない。  さながら生命という甘くも重い蜜に足を取られ、もがいている姿と喩えるべきかも知れなかった。    ポケットベルで呼び出され、丁寧な別れの挨拶をしてから社に戻るアンドリューの後姿を見送りながら、流夏は彼が妹のことを語った時の、苦悩を乗り越えた静かな瞳を思い出していた。
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