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久松商事が輸入を担当していた欧州からの宝飾品と貴金属が税関を通過したとの報せを受けた各務は、一ヶ月間に渡って神経を尖らせていた大物取引が最後の難関を通過したことに安心し、時間が空いたことから健と勇太の様子を見に行った。
荷が国内に到着して通関するまでが山場であったために、子供たちの状態も斉藤からの報告で把握するに留まっていたのだった。
もともと各務が大阪入りをしていたのはその取引の指揮のためで、ロシアからアムステルダムを経由することで出所を浄化し、東南アジアに渡ったあとに空路で日本に入ることになっていた。
輸入した品はすべて東証一部上場のさる企業に渡されることになっており、先方の取引担当部長がこちらからの報せを受けてすでに大阪府内で待機していた。
斉藤を従えて階下まで下りたが、夜の八時過ぎということもあって健はすでに眠っていると看護師の奥伊から聞かされ、ならばと勇太を確認することにした。
部下に扉を開けさせて中に入ったものの、各務は子供を囲んで展開されている光景に険しく片眉を上げた。
和泉とその兄貴分の河野がワイシャツとスラックス姿で座布団を挟んで暇潰しの花札を広げており、あろうことかまだ寝ていない勇太までが余った札を持って熱心に遊んでいるのである。三木たちも止めるのを諦めた様子で、傍で眺めていた。
「……お前たち、何だこれは」
「か、カシラっ」
呆れと怒気を含んだ各務の物静かな声は、弛緩していた場の空気を引き締めるに充分過ぎるほどだった。
ノックの前触れでは隠すも間に合わず、二人の男は札を放り出すと同時に背筋を伸ばして正座するが、その程度で見逃されるわけがない。
「――人様から預かった子供の目の前で花を遣るとはどういう了見だ、河野」
「も、申し訳ございません」
「子供は周囲に染まりやすい、下らんことを教えるなと言っておいたはずだぞ。まして花など論外もいいところだ」
花札は賽と並んで賭場の道具として用いられてきた。一般家庭でも遊ばれることは多いが、その歴史ゆえに品ある遊戯とはみなされない。
舎弟たちがどこの賭場や溜まり場で金を失おうと会に迷惑をかけない限り各務は何も言わないが、こと表裏の線引きに関しては潔癖なくらいに厳しかった。
築地にも向き直り、お前たちが付いていながらどういうことだと鋭く叱責すると、女たちも両手を突いて深く頭を垂れるしかない。
各務はなおも眉根を寄せたまま、花札を直ちに回収させようとしたが、従兄弟が顔を出したと知った香取が能天気な顔で入室して『よう』と手を上げたのでそちらを向いた。
こわばった部屋の雰囲気をひとわたり見てとった医師は、従兄弟にちょっと肩を竦めてみせる。
「一歳半の子供にゃ、たしかに花札はちと早過ぎるかもなあ、皓」
「本気で言っているのか? 早過ぎるどころじゃない」
「まあそう言うなよ、俺なんざ三歳の時から新品の札を叩いて遊んでたぞ」
「馬鹿馬鹿しい。お前と一緒にするな」
二人で心置きない会話を交わしていたが、和泉たちがそれまで自分と遊んでくれていたのに、いきなり現れた男に平伏したままでいるのを不思議に思ったのか、勇太が小首を傾げながらこちらを見ているのを知り、各務はふっと顔を和らげて『もういい』と言い渡した。
瞬時に全員が力を抜き、さらなる激怒と懲罰が落ちなかったことに密かに胸を撫で下ろす。
そのひとことで空気の緊張が解れたのを目の当たりにした香取は、軽口を言い合ってはいても従兄弟の底力に我知らず舌を巻いた。入って来た時の室内たるや、拳銃を眼前で突き付けられでもしているかのように皆が蒼白になっていたのだから。
自分自身も、人の生命を預かる者としての覚悟を据えて生きてきた者として、どんな相手であっても簡単には負けない自信はある。だがやはりこの従兄弟は一味違う男だと痛感するしかなかった。
先刻とは打って変わった優しい表情で膝を屈めた各務は、勇太がしきりに齧っている花札を口元からそっと離してやった。
「坊や、それは食べても美味しくないだろう」
「ン」
歯型と涎が付けられてしまった臙脂の骨牌はすでに用をなさなくなっている。紅葉の手から札を取ろうとすると、勇太は駄々をこねて遮った。
「いの、いの」
「―――?」
たどたどしく口にされる単語に手元を確かめれば、萩に猪の札であった。
もしや、と座布団に乗っている他の札を各務が差し出すと、舌足らずながらも見事に「鹿」や「蝶」を言い当てる。子供がここまで覚えるからには、どれほど長いあいだ和泉たちが花札勝負を展開していたかは想像するまでもない。
覚えたての単語を披露する勇太の自慢顔と、舎弟たちのバツの悪そうな悲愴顔の対比に、香取は思わず吹き出してしまった。
「一歳にして猪鹿蝶を覚えられたら大したもんだ、こりゃ。俺の祖母でも免許皆伝を出すぜ」
「まったく頭のいい坊やだが、困ったものだ」
各務が苦笑しながら抱き上げて頭を撫でてやると、勇太はにこにこ笑ってされるがままである。
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