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噂
繰り返される日常の中で、今日は何故か、王宮内がざわついているような気がした。
この国の立太子―― 鈴香牧は、その些細な空気を見逃さなかった。
「何かあったか?」
「変ね。特に来客があるとは聞いていないのだけれど」
牧の妻で、現在、国で唯一の王女という立場にいる鈴香華菜が頬に手を当てて応えた。
「また何か、問題を起こしてないだろうな」
「だとしたら頭が痛いわね。雅、悪いけど確認してきてくれる? 私達が動く訳にはいかないから」
そう言うと、雅と呼ばれた男―― 本田雅史が、「承知しました」と軽く目礼して確認に動いた。彼は華菜のボディガード兼教育係だ。そのせいで、現在の王宮内では少々動き辛い所もあったが、当人達よりはマシだ。というのも、牧も華菜も国王に煙たがられている。その為、王宮内でも積極的に堂々と彼らに関わろうとする者は、ほぼ皆無だった。
現在の国王は、鈴香一則という名の華菜の叔父。
子供ができず妻に先立たれた為、前国王の一人娘である華菜を、本人の意志も確認せず勝手に養女として迎えた。
ゆえに華菜は、王女としての地位にとどまっている。
本来ならば、華菜の父親が崩御した後に国王になるのは牧だったはずだ。それが何故こんなことになっているのかと言うと、話せば長くなる。
華菜の父親である第86代国王、鈴香紘聡陛下が亡くなった時、牧はまだ大学院生だった。その為、彼が大学院を卒業するまではと、王妃が政務を肩代わりし、併せて国王の仕事を牧へ教え込んだ。
牧は入り婿だ。華菜の父である紘聡に末期がんが見つかったのは、彼が大学3年生の冬だった。
娘の花嫁姿を見て逝きたいという希望を叶えるため、慌てて結婚式を挙げ、伊澤牧から鈴香牧になり、王太子の身分を拝して、国王の仕事を学ぶ傍ら大学を無事に卒業。政治経済をもっと深く学びたいという牧の希望もあって大学院進学が許されたが、紘聡は彼が卒業するまで持たなかった。
華菜の母は、「折角入った大学院なのだから、きちんと卒業しなさい。そんな長い間国王不在になるわけでもないから、その間は私が国王代理を務めます」と政務を引き受けた。
そして牧の修士論文が通り、卒業が確定した晩冬。
王妃は“これで即位させられる”とホッとした。夫を亡くし悲嘆に暮れる暇もなく、国民が困らぬように国を統治するため国王代理として立ち、立派に国を治め続けてみせた。
やっと、肩の荷が少し下ろせる。
そんな気の緩みがあったに違いない。
牧の即位式の準備をと動き始めた矢先、急逝した。
原因は心臓発作だと言われているが、彼女は心臓を患ってはいなかった。暗殺の二文字が、疑惑と共に浮上する。
どう考えてもおかしい。誰が彼女を弑したというのか――?
悲嘆に暮れる妻を支えながら、牧はそれを調べようとした。
怪しい人物は身近なところにいた。
妻である華菜の、叔父である。
異常なまでの選民思想。権力にやたら執着するその思考回路と言動。
統治者としては危ないタイプの性格だったから、牧は自分が即位したら、彼を政治の世界から遠ざけようと考えていた。
あまりに急なことだったので、四十九日の喪が明けてから即位式を執り行おうと、宰相で神官の晋槻博明と相談していた。
が、そんなある日、華菜の叔父である鈴香一則が反旗を翻した。国王なき謀反である。
その始まりは、牧の食事に混ぜられた“毒”だった。
シアン化カリウム。別名、青酸カリ。
ミステリーの定番とも言える毒物を盛られ、彼は危険な状態に陥った。不幸中の幸いは、致死量を口にしなかったこと。また、本人が毒を盛られたと気が付いて、口に指を突っ込み、胃の内容物を自ら吐き出したことと、処置が早かったこと。
そうして彼が動けず寝込んでいる隙に、王太子として既に儀式を終えた牧の身分を、王太子の儀式を以前に受けただけの者という意味の、立太子に落とし、王位継承権第一位の身分を剥奪。前国王の弟だから、王位継承権第一位は自分だと主張し、自分におもねる大臣達を起用し、佞臣ばかりで王閣を固め、牧は助かっても後遺症が残る可能性が高く、最悪死ぬかもしれない。待っていては国民の生活に影響が出ると、無理矢理勝手に即位したのである。
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