〖自殺、その前に〗

1/1
前へ
/30ページ
次へ

〖自殺、その前に〗

 Kはとあるマンションの屋上の端に立っている。  弱風が騒めく中、Kは靴を揃えて脱いで、防護壁を越えて虚ろな目で、遥か彼方の地面を眺めていた。  こんな天気の良い日の真昼間に自殺したら、それはそれは爽やかな血しぶきが、まるで印象派の絵のように、味気ないアスファルトにフォビズムすらも交えたような、紅色を主とした色彩を散りばめられるんだろうな。  そんな奇妙な心理をもって、近く起こすであろう自らへの殺戮行為、つまり、自殺、の手前の位置に来ていた。  もはやKには生きる気力がなかった。  やることなすこと全てが裏目に出て失敗の連続の人生。大学受験にも2度失敗して、二十歳となった現在では浪人生と言う肩書きながら、実家暮らしで親のスネをかじり、受験勉強に見せかけて、出会い系サイトとマッチング・アプリに嵌まり込み、それでいて女性との接点もできず、時間の不毛な浪費ばかり。  またロリコンの癖(へき)もあり、近頃では幼い子にも手を出しては、危うく捕まりそうになり、変質者出没注意! の張り紙の主にもなってしまった。  そして、常になる趣味としては、AVサイトのサンプル画像をオカズに股間の鍛錬の日々。勉強の苦からは逃避して、性の快楽に溺れる日常。  Kはそんな自分の生活、生き方に嫌になっていた。  さらに、何よりもKの重荷になっていた現実。  どうせ俺は一生童貞のままなんだ!  その思いが募りに積もって、童貞への羞恥やドロドロの欲求不満がヘドロのようにこびり付き、幼児猥褻直前、性犯罪寸前にまで膨れ上がり、そして、溜まりに溜まった自信喪失による自己嫌悪やストレス、社会的疎外感と同時に抱かれるる、目には見えない人生への圧迫感が混在して、脳内パニックになる既(すんで)の所で自暴自棄にして、ヤケクソな自殺へのトリガーとなってしまった。  Kは間もなく自らによってその若い命を絶つ。  悔いなどない。  否、悔いだらけで何も充実感など経験した事が無い。  そして、遂にKは叫んだ。 「我が生涯に、一億片の後悔ありまくり!」  そう力強く叫ぶと、重力に自然と導かれるように、Kはふわりと飛び立った。  落ちた直後、Kは所謂、死の寸前には走馬灯が駆け巡る云々に期待した。それはそれは懐かしき思い出に浸れる居心地の良い……って何も良い思い出なんかねえよ、とノリツッコミを内心して、墜落していくK。  そうだ、落体の運動は落下距離が落下時間の2乗に比例するって、ガリレオが言っていたな。俺はそれを自身でもって体現しているんだ。何て物理学の未来に貢献してるんだ。やはり俺は、俺の短い人生は無駄じゃなかったんだ。太く短い蝋燭をして完全燃焼型の生き様だったんだろう。しかし、それにしても落下する時間が長い気がするが……  Kは地面へと徐々に落ちながら、やたらと回想する時間があるな、と違和感を覚える。死へのダイブというものは、このような超感覚にも似た知覚を与えられるものなのか、と一応はKは得心してみた。堕ちながら。  だが、妙な嫌いがある事も否めない。  違和感? もう俺には何も失うものもなくて、後悔などもなく……いや、あり過ぎて困るぐらいだが、何かどうにも後悔とは別個な、そう、何か大切な、それこそこの今起こしている飛び降り自殺という行為より重大事項が…… 「あっ!」  それはKが地面に激突する直前のKの叫びだった。  一方でその刹那、Kの心の叫びもKは発していた。  今日はロリ顔超巨乳の期待の新人セクシー女優の滝川マンチョリーナの新作アダルトDVD『マンチッチでアッチッチ💖』の発売日記念握手会&サイン会が、エロ専門DVDディスカウント店で開催する日だった事を忘れていたぁぁぁぁぁぁぁっ! サノヴァビッチ! 「はんぶらびっ!」  Kの断末魔。  そんな人生最期にして人生最大の悔悟の念をはせ、Kは無残にも自らの肉体を、重力による自由落下という自己殺戮行為によって結びにした。  肉体の各部所は飛散し、顔面から地面に突っ込んだため、眼球は食い出て、鼻はバナナが握り潰されたように倒壊し、頭部からは大脳や小脳に付随する前頭葉や側頭葉や海馬などなど、それら臓物が激しい出血を伴い無造作に入り乱れ、ある種のボディアートを形成していた。あまりにグロテスク故に、Kが請うたような美術画とは程遠いが、それなりの色彩がアスファルトという名のカンバスに描かれていた。  突如、空から降ってきて血まみれの四股もへしゃげた若者を周囲の人々は、大地に舞い降りた天使とはさすがに勘違い出来なかったが、幾分はやぶさかではない悲鳴と騒擾がその場では起きた。  だが、誰一人として気づかない事があった。それはたった今、絶命したKですらも失念していたこと。  Kが数週間前に戯れに買った十枚の宝くじ。それはポケットに入っている財布に収めていたのだが、落下の衝撃で財布は丸投げになり、宝くじもそれぞれ地面に散らばってしまっていた。そして、本日はKはすっかり忘れていたが、宝くじの当選発表日であった。そんな日に自殺を決行してしまったKであった。  それに付け加えて、Kは自分が買った宝くじの中に、前後賞合わせて三億円が当たった番号券があった事も知らないままKは逝ってしまった。  恐らく死後、天国だか地獄だかは分からないが、Kからしてみれば滝川マンチョリーナとの握手及びサインが貰えなかったこと、さらにはそのイベントで行われた抽選会の賞品である、滝川マンチョリーナの三日間着け続けたシミ&匂い付きパンティの方が、宝くじの当選よりも口惜しがっているだろう……とは既に生物からタダのモノとなってしまったKから窺うのは酷な話だった。                          了
/30ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加