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13一10 ●ふーすけ先生の恋●③
のんびりしている暇などない橘は、足を組んで親父さんを凝視した。
「俺は義理を通そうとした、ギリギリまでな。 でも無理だった……申し訳ない」
「何故に」
「歌音も現状は無理だし、俺も歌音とは結婚出来ない事情が出来た」
橘の言葉に親父さんは一つ溜め息を溢し、お茶を手に取った。
使用人三名の視線が二人に熱く注がれているのは分かっていたが、構わず橘もお茶を啜る。
「それでも結婚は予定通りだ。 どこの馬の骨とも分からん男に歌音は嫁がせたくない」
「だから、出来ねーんだよ。 いくら親父さんの頼みでも」
「そうなると……両家の関係がこじれるな」
「家の事なら俺は橘の姓は捨てるからそれで勘弁しろ」
「……ふん」
言うと思った、と橘は背に凭れて天井を仰いだ。
絶対に橘家の事を持ち出してくるだろうと思っていたが、案の定それを切り札のように出してきた。
分家ではあるが、橘は代々続く名家の家柄の長男だ。
この家とのパイプが無くなれば、不動産業で潤っている本家が傾く恐れがあると親父さんは踏んでいるのだろうが、橘には関係ないと苦笑する。
元々、本家の橘家と分家の橘家はそこまで繋がりがない。
見せ掛けの付き合いはあっても、仲良しこよしで通じているわけではないのだ。
やはり一筋縄ではいかないか、と目前の親父さんを見たその時、玄関先のチャイムが鳴った。
相手を確認すると、使用人達がバタバタと玄関へ走っていく。
誰かと思って振り返れば、歌音と怜の父親が二人揃って現れた。
「……お父様……」
「失礼致します。 いつもお世話になっております」
───来たのか。
二人がここへやって来た意味が分からない橘ではない。
ようやく、事態に進展が見られる日がきたのだ。
使用人達から座るよう促されても腰掛けようとしない事から、二人は覚悟を決めてここへやって来た。
橘がここで結婚の意思が無いと言えば、「何故だ」の話になる。
そうなると歌音達の交際まで暴露しなくてはならないと焦ったのか、それならば自分達で話そうと思ってくれたようだ。
どちらにしろ親父さんにはバレているが、橘は歌音達の事を匂わせはしても暴露するつもりは無かった。
一年待ってやると言った猶予が、まだあと少し残っているからだ。
その前に二人が決意してくれれば、橘自身のわだかまりも無くしたいので全力でアシストするつもりだった。
なぜもっと早く動かなかったんだとイラつきはしても、腰の重いこの二人がここへ来た意味合いはかなり大きいので、とりあえずは安堵した。
「何の用だ」
「お父様、……あの……」
「社長! ……私園田と歌音さんは、結婚を前提にお付き合いさせて頂いています! ご報告が遅くなって申し訳ありません!」
「………………」
怜の父親が震える声で歌音の言葉を遮り、並々ならぬ男気を見せた。
必死の思いで二人で頭を下げている様を、親父さんは恐ろしい形相でジッと睨んでいる。
「歌音の婚約者はここにいる橘風助だ。 お前に用はない」
「…………社長……」
「お前のような男にうちの歌音を嫁がせるわけがないだろ。 馬鹿も休み休み言え」
愕然とする二人を尻目に、親父さんの瞳は揺るがなかった。
思っていた以上に取り付く島がない。
そう簡単な問題ではないと分かっていた橘は、ある切り札を用意していた。
この家に関する、完全に恫喝紛いの強請りのネタだ。
これが世に出回れば確実に会社の存続は危うくなり、親父さんは臭い飯を何年にも渡って食う事になるだろう。
分からずやには極論しかないかと、車内の金庫に入れてあるそれを取りに行こうと立ち上がろうとしたのだが、再び玄関先のチャイムが鳴って場の重苦しい空気が解かれた。
呆然と立ち竦む歌音と怜の父親は、複雑な胸中を隠そうともせずに顔を見合わせている。
「誰だ……?」
使用人の一人が、チャイムを鳴らした相手を確認して首を傾げた。
残りの二名も同様に玄関先へと行くのを渋っていて、橘と親父さんはほぼ同時に声を上げた。
「どうした」
「なんだ、誰だ」
問われた使用人達三名が「さぁ…」と首を撚るので、橘は立ち上がってインターホンのモニターを確認しに行った。
この家はどんな来客があってもおかしくないだろうに、三名ともが同じ反応なのは気になる。
「…………っっ!」
───なんでここにいるんだ……!
モニターに映った人物を見た橘は、あまりの驚愕に珍しく瞳を開眼した。
その人物は、なんの縁もゆかりもないこの家の玄関先のカメラを覗き込むようにして立っていたため、使用人達が首を傾げたのも頷けた。
「……悪い、鍵を開けてやってくれ」
そう言いながら、橘自身が足早に玄関へと向かう。
モニターでその姿を見てから、橘の周囲に居た者達の存在が一瞬で消えた気がした。
───なぜ、……なぜ由宇が……。
興味と恐れが共存したポメラニアン顔の少年が、何故かこの家の敷居をまたいでいる。
歌音と橘の結婚の話がどうなったのか、直接聞きに来たとでも言うつもりなのだろうか。
扉を開けて本物の由宇を拝んだ橘は、中へ招き入れるよりも、この場へ来た意味を問うよりも先に、小さな身体をこれでもかと強くかき抱いていた。
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