1一5

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 本鈴が鳴って、あの強面教師がスーツ姿で教室へと入ってきた。  見た目の厳つさもあるが、長身で威圧感があるので男子達は一様に緊張した面持ちだったが、女子達はまた反応が違った。  由宇の隣の席の派手目な女子生徒が、さらに向こう隣の女子と「ヤバっ!」「カッコよくない!?」とヒソヒソと話しているのが聞こえる。 「昨日自己紹介はしたから名前は省くぞ。 早速教科書の十ページ開いて」 「え~センセー、自己紹介してくださいよぉ」 「名前忘れちゃったもーん」  隣の席からそう黄色い声を飛ばすも、強面教師は一切表情を変えない。  教壇の上に居るからか、昨日よりさらに大きく見える。 「あとで知ってる奴に教えてもらえば? それか俺は…そうだな。 田中でいいや」 「え~! センセーてきとー!」 「ヤバ~ウケる~!」 「静かにしろ。 あんまうるせーとお前ら一番に答えてもらうぞ」 (ちゃんと名乗らずに適当に「田中でいいや」なんて言うからだろ)  由宇は冷めた目で強面教師を見つめた。  ちょっと…いやかなり高圧的で、すぐに眉間に皺が寄って怖い顔になる、昨日のまま何も印象は変わらない。  当てられるのはヤダ、とおとなしくなった女子達は、教師の隙をついてやはり「カッコいい」と興奮していて、とてもうるさかった。  すると由宇の後ろの席である怜が、その子達に小声で「ねぇ」と話し掛ける。 「シーッ、だよ」  唇に人差し指をあてて微笑むと、今度こそ本当にその子達は静かになった。  怜もまたイケメンだからか、彼女等がポッと頬を染めながら前を向いたのを、由宇は見逃さなかった。  チラと怜と目配せして微笑み合い、前を向く。  漆黒の髪を揺らしながら、淡々と黒板に数字を書いていく様を睨むように見てしまう。  苦手な数学を苦手な教師から受けるという苦痛を強いられているから。  今日は初回ともあって中学のおさらいのようで、皆のシャーペンの動きもスムーズだ。  けれど困った事に、由宇は進みが遅かった。 (どうしよう、この公式ド忘れしてる…!)  サラサラと難なく走る生徒達の書き記す音が、やけに耳に響く。  これは確実に受験の際に頭に叩き込んだ公式なのだ。  あれでもない、これでもないと、式を書いては消してを繰り返す。  心の中で焦り始めていると、ふと視線を感じた。  机に影が重なり、見上げてみるといつの間にか横に立っていた教師がジッと由宇の解答を見ていた。 「………っ…」  怖い。 なんだこの威圧感。  目が合って、あまりの恐怖に由宇はすぐに視線を下に戻す。  けれどすごくいい匂いはした。  まだ若そうだから身なりには気を使っているのかもしれない。 (いや匂いなんて今はどうでもいいだろ!)  自分にツッコミを入れていてもまだ、ジッと痛いほどの視線を感じていると、匂いが近付いてきて思わず縮こまる。  そんなのも分かんねーの?と、皆の前でバカにされるのかと覚悟したのだが。 「これな、…………」  ふいに由宇のシャーペンを奪った強面教師は、ノートにド忘れしていた公式をサラサラと書いてくれた。 「あ……ありがとう、ございます」  小さく礼を言うと、ふっと笑ったような気配がして見上げてみるも、意地悪そうに口の端だけを上げていて、全然笑っていなかった。 (こ、怖~~〜〜ッッ)  教壇へと歩いて行く長身の背中を直視する事が出来ない。  叩き込んだ公式がうっかり出て来なくなるくらい数学が苦手だが、あの教師はもっと苦手だ。  ノートに書き込まれた綺麗な文字を見ながら、由宇はふと思った。  あの強面数学教師…何だったっけ、名前。  ………そうだ、思い出した。  橘、風助…先生。
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