4.形勢逆転

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4.形勢逆転

「誰に!」と犯人が叫び、運転手はそれよりさらに大きな声で、「俺たちを雇った、あの野郎にだよ!」と応じる。 「でも、お前がバスを止めないと、俺がこのデカに殺される!」 「駄目だ! このバスには、爆弾が積まれてるんだ!」  ――何? 片山は「爆弾だと?」と尋ね、運転手は何度も頷いた。 「ホントだよ、信じてくれ! 俺は終バスを車庫に入れて帰る時に変な野郎に雇われたんだが、そん時に、失敗したらバスを爆破するって脅されたんだよ!」 「俺は聞いてない!」と犯人が怒鳴り、「お前はヘタレだから知らせてない!」と運転手が怒鳴り返す。 「だから、バスを止められないって言うのか」 「ああ、俺たちが失敗したら、あんたらも一緒にドカンだぜ」  随分と間抜けな上に、お人好しな犯人たちだ。その雇い主が金を取った暁に、このバスを自分たち諸共爆破するのではないかと言う考えには至らないのか。片山は内心で嘲りながら、煙草の灰を落とす。  銃口の下で、「形勢逆転だな」と犯人が突然ほくそ笑んだ。 「このバスには爆弾が積まれている。妙な真似をしたら即ドカンだぜ! さあ、手始めに貴様、銃を渡せ」 「阿呆か」と片山が言った。「今爆発したら、お前らも死ぬだろうが」 「――あ」  犯人は再び血の気の引いた表情で、「どうしよう!」と運転手に言う。片山は手錠を取り出して、暴れだそうとする犯人を押さえつけ、手錠の片方を犯人の左手に、もう片方を手摺にかませる。にゃあと、小さく子猫が笑った。 「畜生――あの野郎、最初っから俺たち諸共爆破するつもりだったんじゃないだろうな」  運転手の方が、どうやら頭の回転が速いらしい。「馬鹿な、そんなことあるわけないだろ!」と叫んだのは犯人の方だ。こいつは正真正銘の馬鹿だな。 「その爆弾っての、どうせハッタリじゃないのか?」  犯人の問いに、「ホントだって!」と運転手が言う。 「刑事さんよ、真ん中の席の網棚の上に、黒いバッグがあるだろ、そん中見てみろよ!」  網棚。黒いバッグ。――あった。片山は開いていた窓の外に煙草を吐き捨て、犯人に銃口を向けたままゆっくりと移動すると、そのバッグを慎重に掴んで丁寧に通路に下ろした。一般的な学生が使うような地味なショルダーバッグだった。ゆかりが近づいてきて覗き込む傍ら、一頻り外から触れ、ゆっくりとチャックを開ける。中にはシンプルなプラスティック爆弾が入っており、時限機能が刻々と作動していた。このくらいの大きさなら、このバスぐらいは軽く吹っ飛ぶ。残りは三時間。やはり最初から、このバスごと爆破するつもりだったのだ。  ゆかりの表情が青ざめ、肩に乗っている子猫が一つ、にゃーと呟いた。  片山は立ち上がって、二人に爆弾の件を伝える。二人は人質よりも取り乱し、慌てふためいた。大の大人が情けない。 「お前ら馬鹿だ。相当のお人好しだな」と片山は言い、そんなことを言っている自分を省みて、俺こそお人好しだなと嘲った。公安部時代はこんなことはなかったのに、刑事部捜査一課に異動して以来、俺は随分と変わったのだ。これはきっと、あのバカ連中の影響だなと思うと、急に可笑しくなって自嘲がてらニヤついてみる。 「何笑ってるのよ!」と叫んだのはゆかりだった。 「さっさと捨てちゃいなさいよ、爆弾なんて!」  片山は振り返って、「ここは市街地だぞ」と言った。確かに映画みたいにどっかに捨ててしまうのは手っ取り早いが、見たところ、捨てられそうな場所はない。 「で、その爆弾、何とか出来るのか?」  犯人が尋ねた。片山は爆弾を覗き込む。遠隔起爆装置に時限装置。 「無理だな」と片山は言った。 「俺は専門家じゃない」 「どうすんだよ!」 「知るか」と片山は吐き捨てた。 「バスを止めて、専門家を乗せて処理してもらうのがベストだ」 「そんなことしたら殺される!」 「おい、あの野郎は、こっちの様子をどうやって知るってんだ?」  そう言ったのは、犯人だ。「野郎に解らないようにすれば、何とか――!」 「バカか! きっと野郎は、こっちの様子が解らなくなった途端に遠隔操作で爆発させるさ!」  運転手は叫んで返す。  そのやり取りを眺めながら片山は、しかしこの間抜けな犯人にしては、いいところをついてきたなと片山は思った。確かに、黒幕はどこか別の場所で爆弾のスイッチを手にし、こいつらの犯行を制御しているのだ。となれば逆に、この遠隔装置を外すか、それとも外の連中に先に黒幕を抑えさせれば、この事態は解決だ。 「お前ら、その雇い主から何か預かってないか」  片山が尋ねる。二人共、即座に首を横に振って否定した。なら、もともとこのバスに仕掛けられているということか。バス車内の様子を知るための盗聴器か、それとも隠しカメラか。まあとにかく、そんなこととは知らずに、自分の身分をばらしてしまったからには、まずは刑事としてやるべきことをやるだけだ。片山は銃をしまい、椅子の下や網棚の上を見て回る。そしてこの状況を黒幕が知りえているなら、向こうから何らかの接触をしてくるに違いない。それをただ待つだけだ。 「ねえ、そんなことをして、スイッチを押されたりしないかしら?」  ゆかりが尋ねた。心なしか、声がか細い。 「まだ金を取っていない。爆破するなら、金が入ってからだ」  片山がそう言ったとき、どこかで携帯電話の着信音が聞こえた。犯人があわてて自分のポケットを探り、携帯電話を取り出したのを見て、来たかと思った。 「――貴様にだ」  犯人が携帯を差し出す。片山は受け取って、送話口にまずは「誰だ」と尋ねた。 《いきなりの挨拶だね》と変声機の機械的な声が言う。 《私はきみたちの命を預かっている者だよ》 「知ってる」 《なら話は早い》と相手は言った。《今、きみのすべきことは何かね?》 「この二人とお前を逮捕すること」  片山が言うと、相手はけたけたと笑った。 《随分と肝の据わった刑事さんだね。そんなことをしたら、私は起爆スイッチを押さねばならなくなるじゃないか》 「押さないと言う選択肢もある」 《良心に従って罪を悔い、改心しろと? はてさて、きみは牧師かね?》  今日はそういう日なのかもと片山は思い、小さくゆかりを見た。ゆかりは青ざめた表情でこちらの様子を窺い、その右肩の上で子猫がくりくりとした瞳でこちらを見ている。  どうしてこうも、非情になれないのだ。 《いいかね、きみに一つ、生き残るチャンスを与えよう》  相手がそう言ったときだ。突如バスの後ろから現れた黒いセダンが追い越し車線に入り、バスと併走しだしたかと思うと、運転席の傍に近寄ってきた。「何だ、この野郎」と運転手が呟き、いきなり距離を詰めてきたセダンを横目でちらちらと伺う。  セダンの助手席の窓が開いた。 《その前に、運転手に、ご苦労だったと伝えてくれるかね?》  変声機の声がそう言った刹那、「やばいっ」と言う短い悲鳴と共に、バスが大きく揺らいだ瞬間、一発の銃声が響いた。ゆかりが短い悲鳴を上げる。「畜生!」と運転手が叫び、それと重なって何発かの銃声が響いた。片山は一番身近の手摺に捕まって何とかバランスを取る。  バスは大きく揺れ続け、やがて車体全体が悲鳴を上げて、止まった。  片山は倒れている犯人を踏みつけて運転席に駆け寄ると、血を流した運転手が、苦しそうに呻いていた。片山は身を屈めて銃を引き抜くと、そっと外の様子を窺う。バスが止まったのは、往来の交差点のど真ん中で、黒いセダンはその一方に走り去ろうとしていた。あの距離じゃ狙えない。 《片山刑事》と携帯電話から声が聞こえた。 「どういうつもりだ」 《きみには、彼の代わりを務めてもらう。きみの強さは知っているからね、彼らよりずっと使えるはずだ。いいかね、きみが私の要求――否、命令を聞かない場合は、容赦なくスイッチを押すからそのつもりで》 「ふざけるな」と片山は、仄暗い声で言った。もううんざりだ。  煙草が吸いたい。 《きみは従うさ。きみは刑事だ、だから、人命を第一に考える。とりあえず、そこに立て篭もって、身代金の交渉を続けてもらおうか?》  電話が切れた。畜生―― 「とりあえず、ブラインドを閉めろ」  片山はそう言った。  
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