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きみはシロじゃない
本屋に行くたび、彼女をいつも見かけていた。
年齢は25の俺よりかなり下に見えた。ボーイッシュな服装、はらりと茶のかかった髪。あどけない顔がのぞいていた。
いつ見ても彼女は立ち読みばかり。買って行く姿は見たことがない。本をひたすら読みふけっていて。
「ねえ」
ふいに声をかけられた。俺の視線に気づいた彼女は、微笑を浮かべ、
「私のこと、見てたでしょ」
否定できず、間を与えてしまう。彼女は持っていた本を置き、
「お兄さんもよくここにいるよね。私、知ってるの」
驚きつつも…嫌ではなかった。
「暇なら遊んでよ」
その瞳に…うなずいてしまった。なぜだろう。どこか嬉しくもあって。
年齢を訊くと彼女は19歳。顔はやや幼げだったが、背は高めで大人びてもいる。一緒にいてもおかしくはない。
彼女に手を握られるまま、二人で近所をぶらついた。公園で駄弁ったり、ゲームセンターに行ったり。
彼女とは不思議と気が合った。本の話もそうでない話も。
楽しかった。その日が終わっても、別の日にまた声をかけられて。
「遊んでよお兄さん」
俺たちは本名を伝えあわなかった。彼女は俺のことを『お兄さん』と呼んでいた。俺は、
「シロはどこに行きたい?」
そう呼んでほしいと言った、彼女ことシロは…いつも笑っていた。
だが視線を外した刹那に、その瞳はみるみる伏せる。それを知りつつも、彼女と笑いあっていた。
暗い林に独り。そんな匂いが彼女からいつも漂っていた。
ほの暗い、雨に打たれたような静かな香り。
「シロはね」
彼女は公園のベンチで呟いた。手にはパン屋で買ったメロンパン。
「シロはね、猫の名前なの。真っ白な猫でね、綺麗なの」
「飼っているのか?」
問うと、彼女は首を振った。淡々と、
「いっぱい傷ついて、死んじゃった。だから私、ひとりぼっちなの」
いっぱい傷ついた…?
どういうことなのか深くは汲み取れなかったが、
「俺がいるじゃないか」
言ってみると、彼女…シロは、ふっと笑った。その笑顔はほの暗さが少しだけ滲んでいた。
「そうだね。お兄さんが、いる」
どこまで彼女の中に俺がいるのか、わからない。
でも。
本屋に行くたびに、シロの声を待つようになっていた。
声をかけてくるのは彼女の気分。いても声をかけてこない日もあった。
彼女の服装はいつもパーカーにジーンズだ。どんな事情を抱えているのかは知らない。
同じ服を着まわしている様子に見かね、俺はシロにワンピースを買った。
青のストライプの入ったワンピース。とても彼女に似合っていた。
「帽子もほしい」
彼女は常にパーカーのフードをかぶっていた。かぶるものがないと落ち着かないと言い、服装に合う帽子も買った。
シロはとても喜んでいた。そのワンピースで本屋にいる時の彼女は必ず俺に声をかけてきた。
やがてそのワンピースは、
「遊ぼうよ」
その日であることを示すようになっていた。
シロの本名は知らない。彼女も俺の名前を知らない。
連絡先も、住所も、何もかも。
顔と声、たまに触れる手のひらの感触。
あの、ほの暗い独りの匂い。
大人びた雰囲気。
なのに、どこかアンバランスなあどけなさ。
それだけ。俺が彼女について知っていることは。
でも。
「今日はどこに行こうか」
華奢な手を握る。日が暮れるまで彼女との時間は続く。仕事のない日は必ず。
その笑顔を見るために。
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