ご縁パン

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ご縁パン

昔々、ある山小屋に、無償でパンを作る少年がおりました。 少年の名は雫(しずく)。 雫の笑顔は、美味しいパンのスパイスでした。 「雫さ、なしていつも無料なの?」 ここ最近来るようになった、お遣いの少女が、パンを受け取る際、不思議そうに問いかけます。 それは以前はよく聞かれることでしたが、ここ暫く聞いていない言葉でした。 「みんなが来てくれる。僕に逢いに」 雫は素直に、そう伝えました。 「それじゃ生活できひんよ? 雫、お洋服買いなよ」 雫の服は二着しかありませんでした。その二着を、いつも交互に着ていました。 雫は眉をよせ、視線をそらし、小声で言いました。 「僕は、自分の為にお金を使わない。そのお金で、無償のパンを作る。それは、僕の夢だから」 少女は、でも、と続けようとして、雫の哀しそうな顔を見てやめました。 「また来るね!」 「ありがとう」 雫は考えました。 (ああ言ったけど……こたえるなぁ) 胸にさげたロケットを開き、こみあげた愛しさと哀しみに、雫の唇は震えました。 病弱だった母は、とても短命でした。 でも、最後にこう遺言を残したのです。 -私は不幸ではないわ。私の幸せは、あなたが生まれた事と、あなたの為に少しでも長く生きようとすることだもの- (神様は残酷だ) (どうして、こんなに愛しい人を連れていこうとする……) 雫は、涙を隠せませんでした。 あの日も今も。 -わがままを言うなら……。ずっと- -……笑顔で- 雫は思いました。 (ひとりでも多くの人を笑顔にしよう) 「雫さ」 涙をぬぐっていた雫に声をかけたのは少女でした。 「なっ」 「忘れものしたんさ。泣いてたん?」 雫は動揺して、いつもの笑顔を作れません。 「ずっと笑顔は辛いんね。お金は受け取ってもらえひんかもやけど、渡したいものがあるさ」 少女は雫の両手をギュッと握り、微笑みました。 「わての母ちゃ、病気なんさ。薬代かかるき、ふたりしてろくに飯食えんかったね。でも、雫さいてくれたお蔭で、少しずつよくなってきたき、今のわてがおる」 「だから、ありがとお」 雫にとって、それは初めての経験でした。 ありがとう以外の心のこもったお礼は、ほんとに初めてでした。 「なんも残るもの返せんっちゃけど、これだけ伝わればいいき」 「?」 「わてがあたたかいってこと。生きてるってこと。雫のお蔭で、元気やってこと。笑顔を作れること。なにより、感謝できること」 少女から伝わるぬくもりと、曇りのない笑顔は、雫の心に、確かに響きました。 そして、その時もうひとつ思ったんです。 (僕も生きている……) 「いつか母ちゃ連れてくるき、話も聞くき、ひとりで考えこまんでな!」 そっと離れてゆく温度に淋しさを覚える。 でも、少女が手を振り行ってしまうと、母の言った言葉と少女の言葉が重なり、生きてきて、これからも生き続けることの幸福を、雫は感じたのでした。 end
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