生意気な嫁

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生意気な嫁

長男の崇と嫁のさちがお歳暮を届けにやってきた。 崇の姉の長女、明子とその夫の悟の所に去年男の子が産まれた。 崇は35歳、嫁のさちは33歳。二人は結婚して五年も経つのに、まだ独身気分が抜けないのか趣味にうつつを抜かしている。 上山優子には、息子の崇が好きなゲームの面白さも、さちが好きな漫画の面白さもイマイチ理解できない。 子どもが楽しむようなゲームや漫画に三十代のいい大人が夢中になり、子どもの子の字もなく、勝手気儘な二人暮らしをしている。 今日こそ言ってやらなければ…。上山優子は、夫の実家に来たというのに、お客様気分でドカッと座ったままのさちに呆れた。 この嫁の親は一体娘にどういう躾をしてきたのだろう。 夫の実家に行くときに嫁はエプロンを持参して、 「何かお手伝いすることはごさいませんか?」 姑にお伺いを立てるのが礼儀というものだ。 お茶のひとつも淹れずに、崇とテレビのバラエティー番組を見て大口を開けて笑っているさちを、優子は出来損ないの嫁だと思った。 だいたい、家つき、墓つき、三人娘の長女という悪条件の女を嫁に貰うなんて、崇は世間を知らなすぎる。 だから結婚の話が出たときに、優子はさちに聞いたのだ。 「長男に嫁ぐ覚悟は出来ていますか?」 努めて冷静に穏やかに言った。 すると、さちは挑むような目つきで、 「お言葉を返すようですが、三人娘の長女を嫁に貰う覚悟は出来ていますか?芦原家には男の子がいません。本当は私が芦原の家名、苗字を残すはずでした。しかし、私の両親はさちが幸せになれるなら苗字なんてどうでもいい。妹の、ちか、かなが結婚するとしても同じ。苗字よりも三人の娘が幸せならばそれでいいと言ってくれました。ところで長男に嫁ぐ覚悟ってなんですか?今は、介護も相続も兄弟平等、男女関係なく実子が活躍する時代ですから」 すらすらと立て板に水とばかりに言い返してきた。 29歳の崖っぷち女の癖に、嫁ぐ前から一を言えば十を知るどころか、一を言えば十言い返してくる。先が思いやられる。 上山優子の予感は的中した。 子どもの子の字もなく、崇とさちは仕事と趣味に明け暮れている。社交的で明るい姉の明子と違って、若干神経質でインドア派の息子が結婚したのは喜ばしい。 しかし、崇が連れてきた嫁のさちは、自由気ままに趣味の漫画に熱中している。読むだけならまだわからないでもない。 さちは漫画を描いて賞に応募していると言うから、馬鹿じゃないのかと思った。 漫画家なんて、一握りのプロだけが食べていける世界。もうすぐ三十路の女がまだ少女のように夢を追いかけ続けている。 結婚して家事と仕事の両立で忙しくなり、子どもでも出来れば、漫画なんて描けなくなる。 優子の目論みは外れて、嫁のさちはまだ漫画を描いているらしい。 優子はお客様気分の嫁の分も仕方なくお茶を淹れて、夫の直久が今日釣りに出掛けていることを心から恨めしく思った。 (お父さんからガツンと言ってくれればいいのに) お茶を崇とさちに出して、自分も湯呑みに口をつける。 崇が優子にスマホの画面を見せながら、 「ねえ、母さん。すごいんだよ。さちの漫画が投稿サイトで佳作に残ったんだ」 老眼で目が遠くなった優子の前で、スマホの漫画をスクロールして見せる。 優子は飲もうとしたお茶をテーブルに置いてからため息をついた。 (子どもはまだ?あなたたち幾つ?) 一番言いたい言葉を飲み込んだ。 その代わりに、さちに向かって厳しい視線を向けて、 「いつまでこんなことやってるの?」 子どもはまだ?という言葉を飲み込んだ分だけ、優子の口調はキツくヒステリックになった。 さちは、シュンとうつむいてしまった。その代わりに息子の崇が優子に食ってかかる。 「なんだよ、その言い方。さちは仕事から帰って家事をした後、寝る間も惜しんで眠い目を擦って漫画を描いてるのに。人が頑張ってることを貶すなんて酷いじゃないか!」 語気を強める崇に、優子は、またひとつ言いたくても言えない言葉を飲み込んだ。 (眠い目を擦りながら、赤ちゃんにミルクを飲ませて育児してる年代でしょう?いつまで届かない夢を追いかけてるの?四十代になってやっぱり子どもが欲しかったって言っても遅いのよ) 嫁のさちばかりを責められない。息子の崇も今でもゲームに熱中して、時間さえあればゲーム三昧。 (あなたたち、好きなことばかり出来ていいわね) 言いたくても言えない言葉ばかり頭に浮かぶ優子は、 「そうねえ。さちさんのお母さんもかなりギリギリの年代までバレーボール選手やってから結婚したんだし、まだ大丈夫よね?夢に向かって頑張るのもいいわね」 遠回しに子どもの催促をすると、さちはふて腐れてスマホをいじり出した。 姑が話しかけてるのに、無視して携帯をいじり出すなんて、本当に躾のなってないどうしようもない嫁だわ。優子は叱る気力もなかった。 突然崇がテーブルを拳で叩いて、 「いつから母さんはそんな意地悪になったんだ?俺の知ってる母さんは誰にでも優しくて思いやりのある人だったのに!」 さちの手を取って、ダイニングテーブルから立って崇は優子に背を向けて帰り支度を始める。 さちの方がまごまごして、まだスマホをいじっている。 崇がさちを庇う度に、優子の胸にはある言葉が浮かぶ。 「たーくん。たーくん。」 「ママ、ママ~」 小さい頃の崇は可愛らしかった。甘えん坊で、優子がいないとすぐ泣き出して、姉の明子にすらヤキモチを妬いた。優子が明子を抱っこしていると、火がついたように泣き出す。自分が抱っこされるまで駄々をこねる『たーくん』は、もうどこにもいない。 「気をつけて帰ってね」 優子は絞り出すように、息子と嫁に声を掛ける。 崇は無言でドカドカと廊下を歩く。 さちは振り返ると、 「おかげさまで、新作の構成が今出来上がりました。『生意気な嫁』というタイトルで、お姑さんを主人公に漫画を描いてみます。スマホでプロット作ってたんですよ」 ニヤッと笑う。 優子はついに堪忍袋の緒が切れて、遠慮して黙っていた言葉を吐き出した。 「漫画を作るより子どもを作ったら?」 崇が振り返って何か言おうとするのをさちが手で制止して、 「私にとって作品は我が子ですから。もう何十人も産んだベテラン経産婦ですよ。人間の子どもは親の思う通りに育たない。親の育て方半分、本人の生き方半分です。でもね、漫画っていうのは作者が全てなんですよ。作品に対して作者は全ての責任を持つんです。我が子が不本意な結果に終わったら、それは親である作者の責任なんです。だから、私は全力で我が子を育て上げてるんです」 ダメだ、やっぱり、一を言えば十倍返しする嫁。優子は再び大きなため息をついた。 私たちって損な世代。 私たちが若い頃はお姑さんに嫌味を言われても怖くて口答えなんか絶対出来なかった。 夫も味方してくれなかった。 自分の親ですら、嫁いだんだからお姑さんに従いなさいと突き放したのに。 それなのに。 昔は結婚した女が働きたいなら、 「家の事は手を抜きません。全部きちんとやりますから、どうか働かせてください」 夫と夫の両親に頭を下げて働いたのに。 眠くても、疲れても、風邪をひいても、座る暇もなかったのに。 今の嫁はどうだ。 共働してやるから、男も家事をしろ。 育児も手伝いではなく戦力にさせられる。 介護は自分の親は自分で看る。 なんて都合の良い、虫の良い話だ。 帰ってしまった崇とさちが去っていった玄関を見つめて、上山優子は一番言いたくても言えなかった言葉をひとりで呟いた。 「今のお嫁さんはズルい!」 思ったより大きな声だったのか、飼い猫のシャロンが大きな声に驚いて寝床から起きてすり寄ってきた。 シャロンを抱き上げて優子は、 「私たちって損な世代よね?」 シャロンは空気を読んだように、 「ニャン」 相槌を打つように短く鳴いた。
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