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葛藤
今、自宅マンションの子供部屋で女の子はすやすやと眠っている。ずっとこの子の部屋だったように違和感がない。
なぜ連れ帰ってしまったのだろうか。
派出所には行ったが、パトロールに出ていたのか警官の姿はなかった。それならば通報しようと携帯を取り出した私の手を、女の子がそっと止めた。私を見上げる澄んだ瞳には意思のようなものが感じられ、重ねられた手からそれが流れ込んでくるようだった。だから私は言ってしまったのかもしれない。
「おじさんと一緒に来るかい?」
その言葉に女の子は微笑んで、重ねた手をきゅっと握った。
派出所に行く道すがらから不思議だった。手をつないで歩き始めて、街灯を三つ数える頃、私はある変化に気がついた。二年前のあの日から、歩く度に聞こえ始めたずりずりという音が止んでいたのだ。舞い降りてくる雪の欠片のように心持ちが軽くなった気がした。
私はベッド越しの壁に掛かったフレームに目をやる。写真の中にあるはずの顔は相変わらず見えない。
「結実、おやすみ」
見えない顔に向けた一言は、暖房がききはじめた部屋に散って消えた。
部屋を出た私はリビングに向かい、ソファーに身を投げ出すように座り込んだ。目の前のローテーブルの上は昨夜寝酒を飲んだままだ。
洗いもしないグラスの半分くらいまでバーボンを注ぎ、一口すする。今夜は甘さを纏った香りも味もちゃんとわかる。昨夜までとは別の高級品のようだ。
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