30人が本棚に入れています
本棚に追加
リビングへ行くと、明かりが灯っていた。
妻がリビングで何やらしている。
「まだ起きていたのか」
私は冷蔵庫を開けて水を取り出す。
冷蔵庫には先程の夕飯、二人分の料理が残っていた。
「夕飯の時はごめん」
私は妻の前に座って言った。
「いいよ、全然、気にしていないよ」
妻は返す。
妻は手元で毛糸を編んでいた。
「編み物なんてしたことあったっけ」
私は妻に言う。
「ないよ、でも、本買ってきたから、たぶん作れる」
まだ折れ目がついていない新品の本を両膝で踏んで挟み、見開いている。
「もう夜遅いから、早く寝なよ」
私は妻に言うと自室へ戻った。
ふと自室にタオルケットが畳んである。
妻が洗ってくれたのだろう。
私はタオルケットを持って、リビングに行き、妻に羽織らせる。
「ありがとう」
妻は微笑んで、頬でタオルケットの温もりを感じている。
「おやすみ」
私が言うと、妻も返した。
朝目覚めると、妻はリビングで毛糸を持ちながら寝ていた。
妻の寝顔に朝日の白い光が当たっている。
その瞳には一滴の小さな涙がきらりと光っている。
「あ、おはよう」
私に気がついた妻は目を擦り、背を伸ばした。
「ここで寝たら風邪ひくぞ」
「うん、ありがとう、心配してくれて」
妻はちょこんと頭を下げる。
「やはり、昨日から何だか変だぞ?」
「ありがとうと思ったからありがとうなんだよ?」
妻はゆっくりと立ち上がると、私に近づいて抱擁してきた。
私は両腕を妻の腰に回して抱き合う。
妻は浮気しているのだろうか。
それを聞く間もなく、出勤時間が迫る。
準備をして自室から出ると、リビングに朝食が並んでいた。
朝食を作ってくれるのも今までなかった。
私は、昨晩からの妻の行動の変化が続き、不思議と驚かなくなっていた。
元々、妻は朝が苦手なので、私が出勤する寸前で目を覚ますのが日常だった。
普段は、起きてきた寝ぼけ眼の妻に玄関で「おはよう」と言うだけだった。
「ありがとう」
私は疑念を上手く隠せぬまま朝食をいただき、「行ってきます」と声をかけて玄関を出た。
ふぁ!?
車庫に私の車しかない。
慌てて私は家に入る。
「私の車しかないぞ!」
私は動揺している。
妻は静かな足音で玄関まで来る。
「うん、知っているよ、昨日、売ってきちゃった」
ふぁ!?
開いた口が塞がらないとはこういうことなのだろう。
沈黙が続く。
「これにはね、理由があるの、あなたが帰ってきたら話すね、もうお仕事でしょ、行ってらっしゃい」
妻が視線を下げて言う。
「あ、ああ…。わかった、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
私はいつもこうだ。
本当なら、妻としっかりと向き合って話さなければいけない。
なのに、忙しいから、もう仕事だからと、妻と向き合うことしない。
時々、見せる妻の悲しげな表情も気が付いていた。
先程も目線を下げて寂しさを我慢しているように見えた。
仕事と妻のどちらが大切か。
そのようなこと、考えなくても、はっきりとしている。
妻だ。
しかし、私はそう思いながらもアクセルを踏んで会社へ向かっている。
もし、会社に遅刻するならば、私が嫌な思いをする。
しかし、私が、ろくに妻の話を聞かないことに、妻は嫌な思いをしている?
いいや、私は妻に真実を聞くのが怖いのかもしれない。
通勤中の車内で何度も車を売却した理由を考えてみたが、検討もつかなかった。
ふと我に返ると速度超過していて、アクセルを緩める。
最初のコメントを投稿しよう!