理人の一番

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理人の一番

 理人(りひと)葵咲(きさき)から離れて腕まくりをしながら、風呂場へ向かう。リビングにいる彼女からは死角になる洗面所に入ると、ほぉっとひとつ溜め息が出た。  帰ってきたらすぐに入浴できるよう、一人黙々と風呂掃除をしながら、悶々と考え事にふける。 (葵咲ちゃんは、僕がどれだけ彼女のことしか見えていないかとか……全然分かってない)  普段口に出して呼ぶ時には虚勢を張って“葵咲”と呼び捨てにしている理人だけれど、心の中では今でも変わらず“葵咲ちゃん”と呼んでいる。  そのぐらい、自分の中での彼女は貴い存在で、何者にも冒すことのできない不可侵領域・絶対的存在なのだ。 (あ、いや……実際にはめっちゃ犯してるけど)  とか関係ないことを思ったりしないとやっていられない気がしたのは、葵咲が余りにも自分のことを分かってくれていないと感じてしまったからかもしれない。  おまけにさっきのアレ。 (僕を止めたくて必死だったんだろうけど)  (あお)ってどうするんだよ!と突っ込みたくなった。  シャワーで浴室内の泡を洗い落としながら、我知らず溜息が漏れる。  湯張りの予約をセットして、風呂場から出ると、(まく)り上げていたシャツの(そで)と、ズボンの(すそ)を下ろしてから、洗面所に脱いでおいたジャケットを手に取る。  そこに佇んだまま、先ほど葵咲が取った、ありえない行動を思い出して思わず苦笑した。
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