1. 幽霊を捕まえる

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1. 幽霊を捕まえる

 幽霊の色彩は淡く、肌は透き通っていて触れられない。  幽霊とはそういうものである。存在の形式が異なるというわけだ。  しかし僕は、幽霊の肌に触れてみたかったのだ。    当然不可能である。何しろ幽霊は透けているしそもそも幽霊なんて存在しない。  とはいえとにかくいつからかわからないが僕の欲求はそうなのであった。欲するところは幽霊の肌である。僕が触れたいものは他の何よりも幽霊の肌である。その透き通りすぎて透明感どころか透明になってしまう肌こそ僕が焦がれてやまないものなのである。虹の足を探すがごとく月に手を伸ばすがごとく、触れられないものに触れてみたい。幽霊の肌に触れてみたい。  旧校舎の幽霊の噂を聞いたのは僕が一年生のときであった。  噂の出どころたる女子剣道部は毎年の恒例行事として肝試しを行っているらしい。旧校舎のうす暗い実験室にて女学生たちがろうそくの小さな灯りを囲み、まずは怪談が披露される。内容は上級生から新入生へと口承伝承されている「学校の七不思議」というやつである。天井から足音が聞こえるとか血まみれの生首がぶらさがって現れるなどといったありふれたものである。旧校舎内に実在するそれら怪談の舞台を、しかるのちに新入生はろうそくの灯りとともに巡ることになる。雰囲気を演出して暗い学校を歩くとなれば現代の現実的な女子高生といえどやはり恐ろしいものであるとのこと。  僕はこの話に興味を惹かれた。  天井の足音といえば「逆さ柱」である。裏表のある柱を建築の際に逆向きで使ってしまった建物は不吉とされ、天井から足音が聞こえるようになるらしい。ありふれた民話なので学校の七不思議にもしばしば採用されている。  生首の方はこれに比べてやや出典が不明瞭なのだが、血まみれの生首といえば「さがり」というのが採用されることはある。かつて屠殺場があった土地に新しく学校が建てられると、畜生の怨念が馬の首として天井からぶら下がって現れるというものである。これもありふれた民話であるが普通は「馬の」首であり「人の」首ではない。  怪談となれば何にせよ探求すべしという教育を受けている僕は、生首の件をもっと詳しく知りたくなり女子剣道部員を問いつめた。彼女がやや呆れながらも教えてくれたところによればその首は少女の首なのだそうだ。  少女とは、具体的には誰なのか。  我が積高(ツミコー)七不思議のリストにはかの有名な「トイレの花子さん」も名をつらねている。花子さんはその恐ろしさから一時期は女児のトイレ事情に著しい悪影響をもたらした非道の怪異である。  ところで、花子さんは少女である。僕はこいつに目をつけた。  聞き取り調査を行ったところ、どうやら積高における「花子さん」にはモデルが存在する。真冬の学校で扉が壊れて出られなくなりそのまま凍死した悲しくも冗談みたいにひ弱な女生徒が昔いたらしい。彼女の名前が花子だそうだ。  僕は今度はマスメディアにあたった。そのような痛ましい事件が発生したなら少なくとも地域新聞には掲載されるはずである。女子剣道部によれば花子さんの制服は一世代前のデザインとして口承されている。そのデザインが使用された期間はそう長くないので、図書館にて片っぱしから新聞を見ていけば実際の事件を発見できるのが道理である。  果たして発見した。女生徒の名は実際には華子(ハナコ)であり漢字は異なるが遺体はこの積高で発見されている。噂の大元はこの事件でほぼ間違いない。  さて、「花子さん」のモデルとなった女生徒が実在の人物であったという事実を踏まえて、ここで最初の疑問に戻る。つまり「少女の生首」の怪談に登場するあの少女は具体的に誰なのかという疑問である。僕の仮説は賢明な諸君ならすでにおわかりだろうが一応言っておく。要するに生首の正体も華子なのではないかということである。  さらに他の七不思議についてはどうかというところまで想像を拡げよう。他の怪談から得られる情報は、天井の足音や誰もいない音楽室のピアノの音などといった物音のみである。人物を特定できるような怪談は他にはない。以上から僕は推測する。  この七不思議はすべて華子のしわざなのではないか。  天井からぶら下がる首は華子の首であるし天井の足音も華子の足音である。音楽室のピアノの音も華子が弾いている。新聞によれば華子はお嬢である。お嬢ならば教養としてピアノを修得していてもおかしくない。よって七不思議はバラバラの現象ではなく一つの同じ原因によって引き起こされていると考えられる。すなわち華子である。  事実として華子は死んでいる。つまり幽霊である。僕は幽霊に触れてみたい。  こうして僕は、華子を捕まえようと思ったのだ。  噂では「トイレの花子さん」のモデルとなった人物すなわち華子はトイレで亡くなったとされていたが、これは事実と異なっている。華子が亡くなった場所はトイレではなく旧校舎内の倉庫である。怪談のわかりやすさのために事実を多少ゆがめるのはよくある手法なので、一般的な「トイレの花子さん」とあえて混同したのだと思われる。  ところで「トイレの花子さん」といえば類型的には儀式召喚型の怪異である。儀式召喚型とは普段は行わないような何らかの手順を踏むことで怪異を出現させるものを言う。概して「学校の怪談」にはこのように儀式で呼び出さない限り現れないものや、遭遇しても回避策が存在するものが多い。理不尽にただ怖い目にあうのは嫌だというのは当然の心理であるから、子どもなりに設定を捏造することで怪談の恐怖をコントロールしているのかもしれない。  積高における儀式の手順は以下である。通常はトイレで行うが、今回は倉庫で行う。 「華子さん、華子さん」  二度呼び、扉をノックする。僕は倉庫の扉をノックした。  通常は外側からノックする。今回は内側からノックした。 「迎えに来たよ。一緒に帰ろう」  これにて儀式は完了である。  もちろん僕だって本当に現れるとは思っていなかった。  怪談話は個人的には好きだが現実的に考えて幽霊など存在するはずがないし、トイレの花子さんの話もやはり単なる作り話であると考えるのが自然である。古風な趣味人集団女子剣道部も本当に信じているわけではなく空想であることを前提にして恐怖ごっこを楽しんでいるにすぎないだろう。  しかしそれにしては迫真的に怯えているその表情が面白くて、僕はこの遊びに興味を惹かれたのだ。僕は女子剣道部員ではないから僕なりに遊び方を変えてやってみている。要するに僕としても単なる遊びのつもりであった。  僕はさほど期待せずに待ち、まばたきをした。 「どうしてここなの?」  まばたきののちに目を開けたら女の子が現れていた。女の子の色彩は淡く肌は透き通っている。疑い深い僕は再度まばたきをしてみたがそれでも女の子は消えなかった。間違いなくそこにいる。 「あなたは誰? 何のつもり?」  女の子は不愉快そうに眉をひそめて僕を問い詰めている。  実のところ僕には良い考えがあった。  この倉庫から出られずに亡くなったという華子の怨霊は、ここに呼び出された場合はその伝承に縛られて出られなくなるのではないか。積高版「トイレの花子さん」について口承されている回避策の一つは「どこかの部屋に閉じ込める」というひどく曖昧なものである。「どこか」というのが不明なのでこの策の口承価値は低いというのが女子剣道部における統一見解とのこと。しかし僕に言わせればおそらく先代女子剣道部に怠けものがいたのだと思う。正確に伝承しなかった怠けものである。僕の考察が正しければ「どこかの部屋」とはこの倉庫だというのは自明の理である。実際この倉庫におびき出された華子は気丈に振る舞ってはいるが、指先あたりの震えのせいで不安を隠せていない。  思うに僕は華子を捕まえたのだ。 「ねぇ。聞いていますか?」  彼女の質問にはこたえず僕は右手を伸ばしていた。  無意識の動作である。とにかくその肌に触れたかった。 「あら」 「あ」  華子と僕が同時に気づいた。何にかと言うと僕の右手首の先が丸まって途切れていることにである。つまり僕には右手がないのであった。これは怪異現象ではなく、僕自身も夢中になって忘れていた単なる事実である。 「それ。どうなさったの?」 「事故でね」  僕は右手をひっこめた。この件はあまり楽しい話題ではないので置いておこう。  あらためて左手を伸ばしたところ不意に動けなくなった。これは世に聞く金縛りである。 「さわらないで」  華子はピシャリと拒絶した。  何しろ彼女は幽霊とはいえ思春期の女の子であるから当然と言えば当然の反応である。  だが僕はこの拒絶のせいで致命的な疑念にたどり着いていた。 「つまり、さわれるの?」  僕は問いかける。  幽霊には触れられない。触れられないからこそ触れたいのだ。そこが大事である。  さわれてどうする。簡単にさわれてしまっては困る。  華子は不機嫌そうに右目をピクリと痙攣させた。 「うるさい」  彼女はそうこたえるだけであった。  ともあれ金縛りへの対処は考えていなかった。七不思議の中にはそのような怪談はなかったはずであるから女子剣道部を再び問い詰めて対策を検討しなければならない。  金縛られているとはいえどうやら口は動く。一度リセットするのがよさそうだ。 「華子さん、華子さん」 「あ。ちょっと」 「少し待っていて。また来るから」  終了の儀式により金縛りが解ける。  華子は腕組みをして、極悪人を見逃す同心のような苦々しい面持ちのまま消えていく。 「すぐに来なさい」 「もちろん」  僕はにこやかに左手を振った。召喚の方法は判明しているのだからまたいつでも呼び出せる。  僕が左手で自分のあごを撫でている間に華子は消えた。  金縛りの回避策を検討しよう。そして再び、幽霊の肌に手を伸ばすのだ。
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