漸く気付いた愛情、やっと言えた言葉

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漸く気付いた愛情、やっと言えた言葉

 それは偶然ではなく、運命だったのかも知れない。  東京のキャバクラで働く私は、同じ店で働くそれなりに親しい女の子に、一枚の画像を見せてもらった。  田園と山の緑ばかりが広がっており、建物が少ない田舎の町。沈みゆく夕日に照らされ、橋の上で青年が女性を抱きしめている。  これを見た瞬間、身体が、心が震えあがった。視界が滲み、決壊した涙腺から止めどなく涙が流れ、私の顔をふやかして、心まで染み込んで、ガチガチに固めて封じ込めていた感情を溶かして、吐き出した。子供みたいに声を上げて泣いた。 ――これ、私だ。  描かれた風景がよく知っている懐かしい風景だったから。  構図と同じように、橋の上で抱き締められたことが過去にあったから。  あとは、きっと女の勘。  ……いや、願望なんだと思う。    昔から音楽が好きで、高校生になってから将来はミュージシャンになりたいと思うようになった。  ギターを毎日かき鳴らし、民家から離れた夜の公園で一人、歌の練習もした。作った曲を駅前や小さなライブハウスで歌ったり、ネットに上げたり、レコード会社に送ったりした。  でも成果は出なかった。  それでも私は諦められなかった。心に灯った情熱の炎をエネルギー変換し、私は我が道を行くことを決意。  しかし両親は猛反対。父は『ミュージシャンになれる訳がない』と、頭ごなしに反対し、母は『才能は分からないけれど、それ以前に生き方がアンタに合ってない』と反対した。それに憤慨した私は両親と口論になった。  口論は一度だけではない、何度も起った。両親に認めて欲しくて、応援して欲しくて、何度も説得しようとしたが、受け入れてもらえず、それどころか『そんな叶わない夢に出す無駄なお金はない』と、行きたかった専門学校への学費や、引っ越しの費用に生活の援助などを出すことを拒まれた。  そのことを当時付き合っていた彼氏に愚痴を零した。彼氏は小学生の頃から何度もコンクールで受賞し、既に彼の描いた絵が売れるようになるほどの画家で、同じく夢に向かって邁進する彼ならば、私の気持ちを理解してくれると信じていた。  だが、現実は甘くなかった。  彼氏も反対した。最初は母と同じく、私の生き方とは合わないからやめた方がいいと言われた。その言葉に憤慨すると、今度は『そこまで才能があるようにも思えない』と言われ、激怒した私は感情任せに彼と別れた。  それから私は進学することを諦め、東京に行って働きながら独学で学んで、音楽活動をし、デビューすることを目指すと決めた。  それを知った彼は私を説得しようとしてきたが、私は聞く耳持たずで、無視して歩き去ろうとする私の前に回り込んで、抱きしめられた。 『頼むから一時の感情に惑わされて、そんな苦労する人生を選ばないでくれ。俺と一緒に本当の夢を追いかけようよ』  太陽が山の向こうに沈みゆき、空は幻想的なゴールデンアワーとなっている中、橋の上で必死に縋りついてくる彼を私は冷たく突き放した。  高校卒業後、私は溜めていた貯金を使って東京に引っ越した。  だが、高卒の私が当てもなく上京した所で就職先はなく、面接は惨敗。バイトの掛け持ちで食いつないでいたけれど、生活は厳しく家賃や光熱費を滞納し始め、そんな状態ではスタジオを借りて練習する費用もなく、本末転倒だと感じた私はキャバクラで働き始めた。  幸い容姿には自信があったので、お給料は直ぐに上がっていった。  楽な仕事でも愉しい仕事でもないが、お金を稼げるようになると生活は楽になった。練習に時間を費やすことも出来るようになり、順調に夢に向かって邁進していた。  でも結果には結びつかなくて、友達が高校時代の同じく上京している薺しかおらず、彼氏もいない私はいつも一人で寂しくて、いつからか私はナンパしてきた男や店のお客さんと身体だけの関係を結ぶようになった。  誰かに抱かれることで、愛されている、独りじゃない、そう錯覚させて寂しさを紛らわそうとしたが、男に抱かれるたびに元カレの姿がチラついた。胸が外側から締め付けられて、内側からズキズキと痛み、行為に集中できなかった。  私自身、セフレでは孤独を埋めることは出来ないと直ぐに理解し、たったの半年程で全ての肉体関係の男性との縁を切った。  それからは唯一の友達の薺だけが心の支えで、彼女には本当に支えてもらった。でも私の寂しさは消えず、その寂しさを覆い隠すように音楽活動に精を出したが、結果は伴わず、遂に東京五年目の夏が終わった。  もう自覚していた。  ネットに上げた自作の曲の評判は最悪で、オーディションでは審査員に憐れな程才能がないとよく言われる始末。  元カレ以外交際経験がない私は、上手にお客さんを楽しませることもできない。親から与えられた容姿のおかげで、なんとか指名を貰っているだけ。  才能はなく、仕事も私生活も合っていない。両親と元カレは正しかったのだ。間違えていたのは私で、でも気づくのが遅過ぎた。……失ったのもは取り戻せない。  両親は私が誠心誠意謝れば、許してくれるかも知れないが、こんな馬鹿な娘を許してはくれないかも知れない。  元カレは言わずもがな。  結局私は、自ら苦労だけして何も得られない人生を選び、挫折。おまけに愛のない性行為を繰り返して、その度に元カレへの未練を自覚した馬鹿な女。  大切な者を自ら捨てて、夢破れて、低学歴の私はこれからどう生きればいいのだろう? どんな風に生きたいのだろう? そんなことばかり考えるようになり、その度に元カレとの幸せな日々を夢見てしまう。  決して叶うことのない夢を見続けるのは、本当に辛くて、もう、いっそのこと、死んで、楽になってしまおうか……。  そんなことを考えるようになった時に、私はこの絵の存在を知った。  私は直ぐに薺に連絡をした。今、元カレはどこで何をしているのかと。彼は今も地元で一人暮らしをしながら、絵を描いているらしい。  私は翌日の新幹線で地元に帰った。少しの手荷物を持ち、薺から教えてもらった彼のメールアドレスに一通の短いメールを送って。 『今日、私たちが分かれたあの橋の上で、夕暮れに会ってくれませんか? 待っています』  五年以上前に分かれた音信不通の元カノから、突然たったこれだけの内容のメールを受け取って、会いに来てくれるなんて、普通なら可能性はとても低いだろう。  でも私は来てくれると確信していた。  そして、それは的中した。  三〇メートル程先、橋の欄干に腕を乗せ、暖かくて心地よい爽やかな風に身を撫でられながら、眩しくて美しいゴールデンアワーを見つめていた。  そんな彼の姿はまさに絵になっていた。  破裂したかのように鼓動が跳ねる。  彼が待ち合わせ場所にいてくれたことが嬉しくて、愛おしくて、切なくて。寂しさに耐え続けた疲労感、後悔と罪悪感が破裂した水道管のように溢れ出し、良い年した大人が天下の往来で子供みたいに大泣きした。  まだ彼との間には距離があり、その姿は小さい。愛しい彼の姿が涙で滲んでよく見えず、ぼやけた視界の中で私は、迷子になって泣きながら親を探し彷徨っている幼子のように、彼に向ってゆっくりと歩く。  ゆっくりと、たどたどしく歩いているのに、彼のシルエットは急激に大きくなり、身体に衝撃が走った。  力強く抱きしめられ密着する身体、耳元を掠める乱れた呼吸、懐かしい匂い、暖かい温もり。  そして、 「おかえり春奈」  愛情溢れる彼の言葉。 「春斗、た、ただい、まあぁぁぁ!」  六年前、自らの夢を追いかけるために、彼を拒絶したこの場所。  六年後、挫折して過ちに気付き、人生に疲れ果てて迷子になった私は、彼にもう二度と離さないと言わんばかりに力強く抱きしめられ、優しく愛情いっぱいの抱擁と言葉で迎え入れて貰えた。  彼が描いたあの絵と同じように。
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