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「その細菌は紫外線に晒されることによって、エネルギーの獲得手段を劇的に変化させるだけでなく、人間への感染力を獲得するのです。奴らは人間の体内でも生き永らえることが可能になるのです」
須藤の口は開いたまま、閉じることを忘れてしまったようだ。瞬きも忘れて松尾の顔を凝視していた。
「奴らは一旦体内に取り込まれると、光合成によるエネルギー生産と言う戦略を再び捨て去り、地底に閉じ込められていた頃のように周囲の環境からエネルギー源を搾取する性質を取り戻します。ここで言う周囲とは、当然、宿主である人間を指すことはお判りでしょう。ある意味、寄生化を果たして生き延びるという戦略を選択することが判ったのです。
人間に寄生した細菌は、宿主が男性の場合は精巣へ、女性の場合は卵巣へと移動し、その生殖機能を奪い去ってしまうことが最近の研究によって明らかになりました。正確に言うなら、その質の悪い細菌の存在はアメリカの研究機関が昨年の春ごろに発見していたのですが、遂にその供給源が特定されたと言うべきでしょう。その悪しき作用は僅かですが、時間を掛けて攻撃されることによりダメージが蓄積し、確実に感染者の生殖細胞を殺し、生殖能力を奪い去ってしまいます」
「待て待て、君はさっき光合成が出来なければ死滅するような事を言ってなかったか? 確かに感染したら寄生化してしまって、それを退治するには医療技術が必要なのだろう。でも感染前なら、夜になる度にそいつらは死んじまうじゃないか」
「仰る通りですが、世界中の海洋が奴らによって汚染されてしまったとも言いました。つまり、日の光が届かない深海部分では、光合成型に変性していないタイプのものが大量に存在し、絶えず表層に供給されているわけです。言い換えるなら、地表の六割を占める海洋が全て、奴らの揺り籠として機能しているのです。
ご推察の通り光合成型に変性後、人体に寄生出来なかった細菌は、日が沈めば死滅してしまいす。ですが、海からは絶えず供給され続けていることを忘れないで下さい。昼間に供給されるものは光合成型に変質していますから、そのまま人体に寄生します。ですが夜のうちに供給されるものはまだ光合成型に変性していないので、風に乗って生きたまま内陸部にまで拡散することが可能なのです。そして朝になれば光合成型へと変化し、結果、日が昇る度に爆発的に増殖して人類の生殖機能を奪い続けてきたわけです。また、何らかの理由により夜を生き延びることに成功した変性菌は、日の出と共に再び増殖を始めます。つまり細菌を根絶することは、実質的に不可能なのです。
人類は奴らの終わりなき波状攻撃に晒され続け、徐々にその生存能力を失ってきました。各国の医療系研究機関は、体内に寄生したその細菌を駆除するための手段開発に日夜励んでいますが、今のところ有効な対抗策を見つけ出すことは出来ていないのが現状です。厄介な病原体のように人から人へは感染しないのが唯一の救いですが、それでも近い将来、人類が死滅するのは確実でしょう。先端医療の技術革新が先か、人類の絶滅が先か・・・ これが今、人類を脅かしている出生率低下に関する最新情報です」
「とても信じられん。だって、そんな情報が有るなら、どうして各国政府は発表しないんだ? 人類の存亡にかかわる問題なんだぞ。人類が滅亡するかもって毎晩のようにニュース番組では取り上げられているし、新聞だってそのネタばっかりだ」
「それは出来ません。だって近い将来、人類が滅亡する公算が高いなんてことが知れたら、人々はどんな反応を示すでしょうか? おそらく現在の社会システムは、その機能を完全に失うでしょう。国境も同盟も経済協力も、世界平和も何もかもが無意味なんです。倫理も道徳も宗教ですらも消えてなくなる将来に、何を備える必要が有るでしょう? 何をやってもいずれは全てが無に帰すとしたら、人々は自棄になるかもしれません。無気力になるかも。刹那的になるかも。あるいは攻撃的になる可能性も有ります。そういった影響が個人ではなく集団、或いは国家として現れた場合、人類を支えてきた秩序は根底からその意義を失うでしょう。一旦、暴走を始めた人類は、文明崩壊の崖っぷちに向かって一気に加速を始めるに違いありません。
現に巷では、不治の不妊症と診断された若い世代がコンドームも付けずにセックスに明け暮れる退廃的な性文化が広まりつつあり、潜在的なAIDS患者、つまりHIV感染者が無視できないくらいに増加しているという統計も有ります」
あまりにも途方もない話に、須藤はどう反応して良いか判らなかった。代わりに握りしめたコップの中で温くなってしまったビールを飲み干した。
「どうして君がそんな機密情報を握っているのかは、聞かない約束だったかな?」
「はい。申し訳ありません」
「でも聞くまでもないよな。渡辺や林は児童相談所や生活安全課からの転籍組だ。他のセグメントの女性担当者も、おおかたその辺りの青少年関係の部署や組織から刑事部に来ている。だが君だけは違ったよな? 君は厚生労働省出身だ」
松尾は何も言わず、頷きもせず、ただ黙って須藤の目を見返した。須藤も松尾からの反応を期待していたわけではなかったようだ。
「OK。これまでの話は俺なりに理解したし、君がいまだに厚労省とのコネクションを持ったまま仕事をしていたとしても、それはまぁよしとしよう。でも、これはまだまだ予備知識と言うか、前振り段階という認識で良いのかな? 本題はここからなんだよな?」
今度は彼女も頷いた。
「はい。今ご説明したのは、世界的に見た人類滅亡へのシナリオです」
「世界的に見た?」
「えぇ。ですがこの日本では、ちょっと状況が違うんです」
「???・・・! まさか、君は奈落の子供達のことを言っているのか? でもどうして彼らがこの件に関係して・・・」
その時、松尾の内ポケットでスマホが震えた。すかさずそれを取り出した彼女は、ディスプレイを見て少しだけ表情を変えた。松尾は須藤に視線で断りを入れてから、通話ボタンを押す。だが彼女は黙って相手の話を聞くのみで、一言も喋ることも無く通話を終えた。
「主任、本部からリョータ達の動きに関する情報です。話の続きは次の機会に」
そう言って松尾は急いで立ち上がった。須藤は隣の席の背もたれに掛けてあった上着を手に取ると中から財布を取り出し、テーブル脇に有る伝票の上に五千円札を置いた。
「大将! ここに置いてくよ! お釣りは明日取りに来るから!」
そして思うのだった。松尾はいったいどちら側の人間なのだろう? 警察か厚労省か? いや、彼女の話を聞く限り、そんなレベルの話では無いのかもしれない。おそらく国家レベル?
そして同時に、須藤の疑念が益々深まるのであった。
何故本部がリョータ達の居場所を知っているのか? そもそも少補対本部とはどういった組織なのだ? その組織図的な命令系統が曖昧だ。むしろ、もっと上の警察庁の息が掛かっているような気もする。ひょっとして厚労省・・・?
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