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第六章:太陽の昇らない夜明け
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「今日は遊園地の方に行くつもりだったんだけど・・・ カナエがそう言うなら最下層に行ってみようか?」
「うん。一番底の方ってどうなってるか見てみたい」
リョータにとってはどちらでも良かった。当たり前だが、遊園地に行ったところで遊具に乗って遊べるわけではない。楽しそうにはしゃぐ人々を、排水口の中からそっと覗き見るだけなのだ。
「底まで行っても、別に何かが有るわけじゃないけどね」
それよりももっと大事なことは、カナエと一緒にいることなのだ。彼女と一緒なら遊園地でも地の底でも、リョータにとっては同じことだ。
「よし! 行くぞ!」突然リョータはカナエの手を握って駆け出した。
「やだっ、リョータ! そんなに引っ張らないで! 危ないでしょ!」
「あははは。モタモタしてると置いて行くぞ!」
「キャッ。置いてかないでよ! キャハハハ。もう、リョータってば!」
二人は水飛沫を上げながら闇を駆け抜けた。斜めに敷設された側孔は、滑り台のようにして滑り降りる。細過ぎる側孔は四つん這いになって進む。
半分白骨化した鼠の死骸が、ケタケタと笑いながら話しかけた。
「随分と賑やかじゃないか、お二人さん? ここはひとつ、オイラも混ぜちゃくれめぇか?」
その声を聞いたカナエが声を上げて笑った。
「アハハハハ、ハハハ」
リョータは振り向き、薄ぼんやりと浮かび上がる白い鼠の骸骨を指を差しながら言った。
「鼠さん。そんな骨と皮だけじゃ走れるわけないよ!」
「クスクス」
服がビショビショになるのだって気にしない。泥だらけになったってへっちゃらだ。どちらかが転んだって、お互いに顔を見合わせながら笑い飛ばしてやればいい。
♪
空へ舞う
世界の彼方
闇を照らす魁星
「君と僕もさ、また明日へ向かっていこう」
夢で終わって
しまうのならば
昨日を変えさせて
なんて言わないから
また明日も君とこうやって
笑わせて
♪
走り過ぎて息が切れれば、作業者用の通路として使われている平らな部分に座り込んで一休み。すると側孔から鼠の隊列がお出ましだ。次いで彼らがてんでバラバラに無茶苦茶なステップで踊り出すと、天井にぶら下がっていた蝙蝠達も奇声を上げながら加わった。壁を這う蛞蝓は何事かと頭をもたげたが、直ぐ頭上を飛び交う蝙蝠にビックリして首をひっこめた。それを見ていた蜘蛛は網を揺らしながら、調子良くリズムを取る。ゲジゲジだって無数にある脚をバタつかせ、華麗な足技を披露する。
そんな楽し気な舞踏会を見る時は、二人はいつも肩を寄せ合った。リョータがカナエの小さな肩に腕を回すと、二人は可笑しそうに見つめ合う。そしてお互いの幼い唇を求め合うのだった。
暗闇のダンサー達がお行儀よくお辞儀をして退場すると、二人は取り留めも無い会話を交わす。ほんの些細なことで笑ったり、小突き合ったり。そしてまたキスをした。唇を重ねながらもカナエが堪え切れずにクスクス笑い出したかと思うと、リョータの腕の中からスルリと抜け出した。
「ウフフフフ・・・」
今度はカナエが先に走り出した。その背中を見たリョータは「よぉーーーし!」と言って飛び起きる。
「待てよ! カナエ! 待てってば!」
「ハハハ、掴まてごらん! アハハハハ!」
♪
あれから世界は変わったって
本気で思ったって
期待したって変えようとしたって
未来は残酷で
それでもいつだって君と見ていた
世界は本当に綺麗だった
忘れてないさ
思い出せるように仕舞ってるの
♪
怖いものなど何も無かった。何だって出来そうな気がしたし、何にだってなれそうな気がした。二人で駆け抜けた先にはきっと、何か素敵なことが待っているに違いない。懐中電灯の光よりも、もっともっと向こうにそれは有るのだろう。そんな幸せの予感が二人を包んでいた。
「わぁぁぁぁぁぁぁーーーーっ!」
突然立ち止まったリョータが、暗く伸びる下水道の闇に向かって大声を上げた。カナエはびっくり顔で立ち止まり、リョータの方を振り返った。そしてニヤリと笑うと、「よぉーし・・・」と言って、大きく息を吸う。カナエは両手を口元に持ってゆき、メガホンの様な形を作った。
「わぁーーーーーっ!」
そして今度は、二人揃って声を張り上げた。
「うぉぉぉぉーーーーーっ!」
「わぁぁぁーーーーっ!」
何かが二人の前に立ちはだかるなんて、想像すら出来ない。二人を引き裂ける者なんて存在するはずが無いんだ。だってほら、直ぐそこにカナエの愛らしい小さな手が有るじゃないか。手を伸ばせばいつだって、彼女に触ることが出来るじゃないか。
その時、右側から合流する側孔の奥に、キラリとした光が見えた。半ば水に沈んだ形で、助けを求めるかのように腕を伸ばしているようだ。リョータが急いで近付く。カナエも直ぐ後ろについている。そしてリョータがその腕を掴んで思いっきり引っ張った。すると水の中から現れたのは、錆びてボロボロの自転車だった。車輪もひしゃげて、まともに走らないのは一目瞭然である。リョータは思った。こんなに面白そうなオモチャを放ってゆく手は無いと。
「よし、カナエ! これに乗ってゆくぞ!」
「あははは、乗れるわけ無いじゃん! そんな壊れた自転車!」
「よぉし、見てろよーーーっ!」
そう言ってリョータが自転車を押して助走を始める。バシャバシャバシャと水を掻き分け、そして一気に加速して飛び乗った。車輪の回転に合わせて、スポークに絡みついていたヘドロや泥が飛散する。変形した車輪のせいで、車体がカクカクとした。カナエは笑いながら、その後を追う。そしてリョータがペダルに足を置いて漕ぎ出した瞬間、ジャリッという嫌な音と共にチェーンが外れ、自転車は派手な水飛沫を上げて横転した。
「ほら、言わんこっちゃない!」カナエはお腹を抱えている。
「イテテテテ・・・ あちゃぁ~、ブレーキが壊れちゃったよ。ほら」
転倒した弾みにハンドルを床面に叩きつけてしまい、クロームメッキのブレーキレバーが根元からポキンと折れていた。それをカナエに見せながらリョータは言う。
「まっ、イイか? どうせ壊れてたんだし」
「そうだよ。そんなの持って帰ったって、どうせ使えないよ」カナエは同意した。
♪
君がいてもいなくても翔べるなんて妄想
独りじゃ歩くことさえ僕は
しないまま藍色の風に吐いた幻想
壊してくれって願ったってもがいたって
願ったんなら叶えてしまえやって
Eh・・・君は言って
♪
僕達は日の差さない世界に住んでいる。何故そうなってしまったのかは知らないし、それを知ろうとも思わない。それを知ったところで、何かが変わるとも思えない。変える必要なんて有るのだろうか? リョータはいつもそんな風に思うのだった。
両親や兄と住んでいたあの頃、自分は幸せだったのだろうか? あの頃の自分は、毎日どんな顔をして過ごしていたのだろうか? それらは記憶のひだに埋もれて、二度と日の当たる表層へとは登っては来ない。ひょっとしたら、既に自分の脳の何処にもそれは残っていないのかもしれなかったが、リョータはそれを惜しいとは思わなかった。だって、自分を取り巻いていた幸せの数々が、今は虚しさの象徴のように思えるからだ。
高価なビデオゲームや、本革で造られた野球のグローブ。友達が誰も持ていないそれらは、持っているだけで幸せなんだと教わった。父が運転していた高級外車や、他人を威圧する目的でデザインされた品の無い家。母のけばけばしい洋服やジュエリー、或いは年相応という価値観を無視した靴とかバッグ。兄が乗り回していたブランドメーカーのBMTや、あのスター選手も履いているバスケットシューズ。全てが所有する喜びを教えてくれるのだと教えられた。
全部嘘だった。リョータは嬉しくなどなかった。それらのどれもリョータを満たしてはくれなかった。きっとカナエの過去も同じようなものだろう。お互いの過去のことなんて、話したことは無い。何故って、そんなの無意味だから。その記憶の中に大切なものなど、何も含まれていないのだから。
「本物を見極める目が重要だ」とは、父の言い草だったろうか? 父が残した言葉で唯一、正しかったのはこれかもしれない。そう、リョータには本物を見抜く力が備わっていた。自分の家族が偽物であることを子供ながらに察知していたのだ。家族の口から零れる言葉の数々は、彼らが所有している雑多なガラクタと同様、中身の無い張りぼてであることに気付いていたのだ。
そんなお仕着せの幸せなど信用できなかった。誰かと比較することでしか得られない幸せなど、ゴキブリほどの価値も無いではないか。そんな物より、今、この先に有るのが明るい未来だと思える方が重要だった。それだけで充分だった。夜明け? そう、それはきっと今までに誰も見たことが無い夜明けとなるだろう。太陽の上らない夜明けだって有るに違いない。
♪
また明日の夜に
逢いに行こうと思うが
どうかな君はいないかな
それでもいつまでも僕ら一つだから
またねSky Arrow
笑っていよう
未来を少しでも君といたいから叫ぼう
今日の日をいつか思い出せ
未来の僕ら
♪
闇を掛ける二人は、一気にだだっ広い空間へと躍り出た。ここは以前、ジョージが確保された場所だ。前リーダーのジョージが大人に確保されてグループが二つに分かれ、フミオとタカヒロが後を引き継ぐことになったあの場所だ。「あの頃カナエは、まだ仲間になっていなかったっけな?」とリョータは思った。彼女がここに来るのは初めてかもしれない。二人の上がった息遣いがコンクリートで囲まれた空間に反射して、少し遅れて自分達の耳に届いた。あの時、自転車レースを見物していた腰高の作業用通路にリョータが座ると、カナエも無言でそれに従った。
その日、何度目かの休憩地点だった。二人は手摺の間から脚を投げ出し、そこに大の字で寝転がった。見上げてみたところで、青空でもなければ雲でもない。星も輝かなければ月が囁くことも無い。家路を急ぐ鳥も飛ばず、虫の羽音もしない。そんな絶望を濃縮したような漆黒を見上げながらでも、二人の心は浮き立つように弾んでいた。
汗をかいて熱くなった身体が、床のコンクリートで冷やされてゆく。荒かった二人の息も、徐々に平静さを取り戻してくる。
「クックック・・・」訳も無くリョータが笑うと、つられてカナエも笑い出した。
「クスクスクス・・・」
次第に笑いが膨らんでゆき、終いには二人とも大声で笑い出した。
「わーはっはっは・・・」
「あははは・・・」
ひとしきり笑って笑い疲れ、やっと落ち着いて来た頃にゴロンと横を向くと、壁に反射した懐中電灯の光が、カナエの横顔を柔らかく浮かび上がらせていた。
「昨日のあれさぁ・・・」
「ん?」
リョータが躊躇いがちに話しかけると、カナエもリョータの方を向いた。
「昨日のあれさぁ、セックスって言うんだよ」
「セックス?」
「そう。お互いに愛し合った男と女同士がすることなんだ」
カナエがどんな風に反応するのかが不安で、リョータは恐る恐る彼女の顔を覗き込んだ。凄く怖かったけど、リョータは目を逸らすことが出来なかった。それほどまでにカナエの顔は、奇麗で可愛くて、優しそうで愛しかった。
「ふぅ~ん・・・ リョータ、私のこと好き?」
「うん!」
カナエの口から否定的な言葉が出なかったことに勢いを得たリョータは、喰い付き気味にそう応えた。でもまだ、カナエの気持ちが判らない。昨日のあのことを彼女はどう思っているのだろう?
「で・・・ どんな感じ・・・ だった?」
カナエは再び天井を見上げた。
「うぅ~ん・・・ よく判んない。ちょっと痛かったし・・・」
「ご、ごめん・・・」
リョータは打ちひしがれた様に視線を落とした。やっぱり嫌だったのだろうか? しかしカナエは再びリョータの方に向き直ると、今度は明るい口調で付け加えた。
「いいよ。もしリョータがまたやりたいんだったら、いいよ、してあげる」
「ホントに?」リョータの萎びた気持ちが、一気に張りを取り戻した。
「うん。だって私もリョータのこと大好きだから」
二人は横になったまま微笑み合った。
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