迷いの森の魔女

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迷いの森の魔女

 彼女は、この地方では高名な魔女であった。  と、同時に、人付き合いが大変苦手だという、引きこもり女でもあった。  長い黒髪に、スラッとした長身。衣装の露出は少ないながらも肌は白く、美貌に満ちていた。 「私も、研究が忙しいのよ」  いつもそう言っては、時折魔女達の間で秘密裏に行われている会合(サバト)にも、殆ど顔を出すことはなかった。 「何か文句でもある?」  そのことを彼から軽く指摘され、彼女はちょっとムッとしていた。 「ありません。ありませんです。ありませんとも」  その迫力に圧され、彼は苦笑する。 「そう。ならいいけど」  彼女は今、ベッドに横たわっている彼をじろりと睨みつけながら、不満げにそう言ったのだった。  彼に悪気が無いのは彼女もわかっていた。  時間が有り余り、世間話のような雑談を続ける中で、自然とそのような話題になっただけだ。  それにしてもと、彼は思う。  この魔女のお姉さん。不機嫌そうに眉間にシワを寄せていると、美人が台無しだなと。 「助けてくれて、ありがとうございます」  彼女に礼を言う彼は、どこかあどけなさの残る若い青年だった。  彼は、この館からかなり離れたところにある街に住んでいた。  そして、よく森の中に入っては、狩りをしたり木こり仕事をして、生計を立てていた。  それが今、なぜか森の奥深く……迷いの森と呼ばれる禁断地帯にある魔女の館にお邪魔して、そのベッドの上に横たわっている。  一体何があったというのだろうか? 「どういたしまして、と言いたいところだけど。助けられたかどうかは、まだまだ微妙なところよ?」 「そうなんですか?」 「ええ。だってあなた、死んでいるんだもの。……今は私の魔力で、死んだ体が腐らないように維持しつつ、消えかけの魂を無理矢理体にくっつけてる状態。まぁ、早い話が、ゾンビとゴーストって組み合わせね」 「そうなんだ。あんまり実感がわかないなぁ」  彼は困ったように言った。死んでしまったことに対しての悲壮感は皆無だ。 「こうして普通に喋ることができているのも、私の魔力注入があってのことよ?」  細かい理屈はわからないけれど、本来死んでいるはずの所、彼女のお陰で生き長らえさせてもらっているのだということは、彼にもわかった。 「言っておくけどあなた。私から離れたら、完全に死ぬわよ?」 「そうなんですか?」 「ええ。魔力の供給が絶たれて、魂が維持できずに消える。ついでに、死体も生命力を完全に失って、だんだんと腐り始めるわ」 「僕から離れないでください。お願いです」  流石にそれは嫌だと、彼はお願いをした。 「何なら、どこまで離れてみても大丈夫か、試してみる?」 「いえいえ。そんな命がけのチキンレースはいいです。遠慮しておきます」 「そう。ちょっと興味あったのだけど、残念だわ」  悪巧みをする悪戯っ子のように、彼女はくすくす笑っていた。 「まぁ、何とかしてあげるから、心配しないの。治るまでは辛抱してちょうだい」 「すみません」  彼女は急に真面目な表情になっていた。 「そもそもね。森で狩りとか作業とかするなら、熊避けの鈴くらいつけてなきゃだめでしょ!」  彼女はまるで、だめな生徒を叱責する教師か、あるいはボンクラ息子を怒鳴りつける母親か、そんな感じの雰囲気を漂わせていた。 「ついうっかり、忘れていたんです」  これで何度目だろうか? 彼はたっぷりと、お小言を言われ続けていた。 「ついうっかりじゃないわよ! たまたま私が近くにいたからよかったけど、もしいなかったらどうするつもりだったのよ! もっと体をボロボロのぐっちゃぐちゃにされて、ゾンビにすらなれなかったわよ!」 「すみませんすみません。その通りですはい」  ――それは、つい数十分前のことだった。  彼はいつものように森へと入り、木こりだの、狩りだの、果実採りだの、山菜採りだのといった仕事をしていた。  そんな時、野生の熊に襲われたのだった。  大きな熊の力は凄まじく、ひょろりとしたもやしのように細い彼は一瞬で吹き飛ばされていた。 「いや~。熊って、すごいパワーですよね。びっくりしちゃった。僕、ひとたまりもありませんでした」 「バカ! 呑気に笑ってんじゃないわよ!」  彼が熊に襲われたちょうどその時、魔女である彼女が現れたのだ。 「とにかく。これに懲りたら命は大切にしなさい」 「はい……」  この館の周囲は、迷いの森と呼ばれるような迷宮だった。  人が一度足を踏み入れたら最後。出てくることはない。  そして更に恐ろしいことに、森のどこかに妖艶な魔女が住み、森の奥深くに入り込んで迷ってしまった人間を捕らえては、日々恐ろしい人体実験を行っているとのことだった。  少なくとも、彼はずっと街の人からそう教えられてきた。だから、森の中には入っても奥の方……迷いの森と呼ばれる方面にはなるべく近付かないようにしていた。 「ふふ」  これまでのイメージがだいぶ変わった。彼はおかしくて笑っていた。 「何よ?」 「いえ。僕、ずっと街の大人達から、森の奥に住む魔女は恐ろしいものだって教わってきたんです」 「ふん。まぁ、そうでしょうよ。魔女なんて、どうせロクなことをしないとか思っているんでしょ? ったく。どいつもこいつも。人の苦労も知らないで」 「ロクな事、かどうかはわかりませんけれど。何をしているのかよくわからない、という感じはしますよね。大きな鍋でぐつぐつ何かを煮込んで、実験とかしていそうです」 「まぁ、するわよ。それくらいは」 「ヤモリの尻尾とか、コウモリの羽とか、ベニテングタケとか、オオイヌノフグリとかブルードラゴンの鱗とか、よくわからないものを鍋に入れていそうです」 「ベタベタね」  彼の言葉は柔らかく、好意に満ちていた。 「ですが。今日、よくわかりました。恐くなんてなかったってことが」  彼女は前髪を左右に分けていて、少しおでこが出ていた。  長くて艶やかな黒髪と、切れ長の目。長身で、細くてスラッとした体。献身的に手当てをしてくれるその様は、彼には……。 「本当に、優しいお姉さんでした」  心の底から、そう思えたのだ。 「バカ言ってんじゃないわよ。死にそうな人を見たら、助けないわけにはいかないじゃない。当たり前のことでしょ? 死にかけて、寝言言ってんじゃないわよ。っとに」  恥ずかしさを誤魔化そうとしているのか、ちょっと顔を赤らめながら反論する彼女だった。  ああ、本当に親切な、優しい魔女さんだなと彼は思った。
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