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★④『死霊のはらわたⅡ』(1987)
※『死霊のはらわたⅡ』のネタバレが含まれます。ご注意ください。
鑑賞し始めてから、この十分で起こったことを整理しよう。
とある山荘に無断で入り込んだアッシュと恋人のリンダ。存分にいちゃつき始める両者だったが、アッシュが、ふと目に入ったテープレコーダーの再生ボタンを戯れに押してしまったことから惨劇の幕が上がる。
テープレコーダーから悪霊を召喚する呪文が流れ、憑りつかれたリンダは白い目を剥きアッシュに襲い掛かる。豹変した恋人の姿に驚き、アッシュは手近にあったショベルを一閃――リンダの首が、宙を舞った。
繰り返すが、ここまでで十分である。
……これが最初からクライマックスというヤツか。ホラーは、序盤の掴みが大事だ、とは新貝も言っていたが、これは中でも群を抜いていた。
乱痴気騒ぎは加速する。剥製の鹿の頭が、卓上ライトが、書棚が、次々と笑い出し、狂気につられてアッシュも哄笑を始める。そして、僕も――。
危ういところで、口元を手で覆う。
駄目だ。面白い。
シーンで起こっている出来事を要約すれば、それなりにシリアスになるはずだ。残酷窮まる文字列になるはずだ。だが、役者の演技、カメラワーク、BGM、効果音等々が混ぜ合わされ、映像に不思議な滑稽味を宿らせていた。
さて、ここでの問題は一つ。
これは笑っていいものなのか、否か。
ゾンビ映画素人の僕には、その是非が判別できなかった。
誰かと映画を鑑賞する際は、場特有の空気を読む必要がある。感情の発露の共有を強いられる、とでも言おうか。もしも、泣くべきシーンで笑ってしまったら、容赦のない非難の目が集中するだろう。
横目で、座席一つ分空いたところに座る数夜崎先輩を見遣る。どんな表情をするべきか、その正解を求めるように。
視線が、かち合った。
反射的に目を戻す。
……なぜ先輩はこちらを見ていたのだろう。
気づかぬうちに、笑い声を漏らしていたか? 気に障るリアクションを取っていたか? ……くそ、視線を外す前に、表情をよく確認すればよかった。
自分の太腿を人差し指と親指でギュッと摘まむ。
冷静になれ、冷静に……。黙って映画を鑑賞するだけだ。それが最も無難な解答だ。簡単な話じゃないか。
そう、話自体は簡単だった。だが実践するのは簡単ではない。『笑うな』と言われると、逆に笑いたくなるのが人情だ。そんな状況で一時間以上耐えた僕の忍耐力は、我ながら大したものである。
しかし、限界は訪れる。
訪れるべくして。
テープに呪文を吹き込んだ博士の愛娘アニーが、恋人エドと二人の道案内人を引き連れて山荘を訪れるものの、事態はむしろ悪化していく。
状況を打破すべく、アッシュは斬り落とした右手部分に、チェーンソーを取り付ける。そして左手に持ったショットガンを西部劇よろしく手でクルクルと回し、背中のホルスターにしまい込み、一言。
――いかすぜ。
「「ぷふァっ!」」
シアター内に、吹き出す音が重なって響いた。
僕は「マズい」と思い口に手をやったが、直後、音が『重なった』ことに気づき、ハッと横に顔を向けた。
どこか照れくさそうに、先輩がこちらを見ていた。
どのくらい、見つめ合っていただろう。先輩は「ふふっ」と笑顔をこぼすと、スクリーンに顔を戻した。
上映中に背負っていた肩の荷が、きれいに下りた気がした。
――残りの上映時間、僕は笑いたい時に笑った。そして、先輩も。
ああ、簡単な話だったんだな。心の片隅でそう思いながら、僕は緩んだ口元を隠すことなく、ハチャメチャな映像世界に興じた。
エンディングロールも流れ切り、電球色の照明が点ったシアタールーム。
スクリーンには、ネジの外れた笑みを浮かべる主人公が大写しになっていた。一体何を血迷って、DVDのメニュー画面にこの顔を選んだのだろう。疑問と興味が尽きない。
その狂気を背景に、先輩はこちらを向いた。なかなかシュールな絵面である。今まさに、悪霊に襲い掛かられるかのようだ。
「今まで観てきた三つとは毛色が違う作品だし、どうかなーって思ってたけど、楽しんでくれたみたいで良かった。終盤までノーリアクションだったから、どうしようかと思った」
「いや、笑っていいものかどうかと思ってまして……でも、先輩も途中までノーリアクションでしたよね?」
あの吹き出し方からすると、何度も観たから反応しなかった、というわけではないだろう。先輩もそれまで大分我慢していたはずだ。
僕の問い掛けに、先輩は何気なく、当たり前のように言った。
「変にリアクションすると、初見の城島君の邪魔になっちゃうかなって思ったから、ね」
喉の奥で息が詰まった。
……ああまったく、ここまでお世話になっておいて、まだ気を使わせているのか、僕は。
多分、これまでの上映会でもそうだったのだろう。僕を慮って、空気に徹していてくれたのだろう。
「先輩」
真っ直ぐに目を見て、一節一節、区切るように言う。
「今後、上映会では、笑いたい時に笑います。叫びたい時は叫びます。だから先輩も、そうしてください。せっかく、二人で観るんですから」
先輩はキョトンとし……やがて、顔をほころばせた。
「ありがと」
「……あー、いえ」
このくらいの気障は許される。
後日、枕に顔を埋めたくなるかもしれないが、甘んじて受け入れようじゃないか。どうせこの数ヵ月間、黒歴史しか生成してないのだ。一つ増えたところで……いや、もう既に耳が熱い。失敗したかもしれない。ああ、どうして僕はこうなんだ。
こちらのはち切れそうな羞恥を知ってか知らずか、先輩はDVDケースを丁寧にガラス扉の向こうに戻すと、「うん」と、自身の答えを確認するように頷いた。
「次の上映会は『Ⅲ』にしよっか」
「『Ⅲ』?」
「『死霊のはらわたⅢ』」
まさかの続編である
マジか。そんなものが存在するのか。
「正式な邦題は『キャプテン・スーパーマーケット 死霊のはらわたⅢ』なの」
タイトルが既にカオスだった。意味がわからない。
あの終わりを迎えたアッシュの、その後が描かれるのだろうか。だとすると、どんな展開に……スーパーマーケットの意味は……? 妄想が際限なくあふれ出す。
そんなトリップの寸前、先輩は、
「一緒に、笑ったり叫んだりしようね」
声を弾ませ、そう言った。
上映中の笑い声や叫び声は、的外れにずれるかもしれない。
それでも構わないのだ。少なくとも、このシアターにおいては。
赤く染まるチェーンソーと銃身が切られたショットガンに思いを馳せながら、僕は「はい」と頷いた。
[④『死霊のはらわたⅡ』(1987) 了]
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