⑦『死霊のえじき』(1985)

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⑦『死霊のえじき』(1985)

 やや強い風が吹く青天の空の下、一組の男女が慌ただしくヘリコプターから降り立った。女性はサブマシンガンを抱えるように握りしめ、男性は右手に拡声器を持っている。彼らの眼前に広がるのは荒涼とした無人の街並み。新聞紙や木々の破片が舞い転がり、道の端に止まった車には土埃がこびりついている。  男は道路の真ん中まで進むと、拡声器のスイッチを入れ、祈るような声で呼びかけた。 『Hello――!』  その声は、虚空に吸い込まれ散っていくだけ……ではなかった。懸命で悲痛な呼びに応えるように、死んだ街は目覚めの呻き声を上げた。  今日の先輩。  大きな透明のゴーグルを装備し、髪は後ろにお団子を一つ。服、帽子、バックパック等すべて迷彩柄で揃え、靴は軍用と思しき肉厚のブーツ。ベルトの部分には二つの小物入れと革製のナイフケースが取り付けられ、往時の往来を歩こうものなら職質間違いなしの格好だった。  今日の僕。  先輩とほぼ同様。違いは肩に掛けたショベルと、靴がスニーカーなことくらいか。いずれにしても職質案件なのに違いはないが。 「それじゃ、行こっか」 「えーっと……」  いや、こんな楽し気に準備を整えた人に対して多分もう何を言っても無駄なのだろうけれど、僕としてはもう一度くらい抵抗を試みておきたいわけで。 「あの、先輩」 「ダメ。ヤダ」 「…………」  先回りで拒否されてしまった。取り付く島もない。ああもう、一体どうしてこんなことになってしまったのか。  ……――時は昨日の夕餉(ゆうげ)のことである。カニのトマトクリームパスタをフォークで巻き取りながら、僕は数夜崎(すやさき)先輩にこう切り出した。 「明日は、四宝(しほう)峠に登ってきます」  四宝峠。  そこはこの辺りで登った事のない人間はいないと言い切ってしまえるほどの、お手軽登山のメッカだった。頂上にある広い展望台からはから見ての街をきれいに見渡せ、小学生の遠足ではそこでレジャーシートを広げるのがお決まりになっていた。  市街地を一望できる。  もちろん、展望台据え付けのコイン式望遠鏡を使っても、先輩が持つ高精度の双眼鏡を使っても、街の様子を把握しきることはできないだろう。そんなことはわかっている。わかってはいるが動かずにはいられない焦燥感が、ここ最近、僕の胸の内に籠っていた。  未知を少しでも既知に変えること。それが、四宝峠を登る目的だった。  なお。  お手軽登山と言っても展望台までは二、三時間程度を見積もらなければならないし、峠の入口まで自転車で二時間弱ほどかかるのを計算に加えると、どうしても一日仕事になる。下手を打ったら泊まり込み。どころか諸々の危険を加味すると二度と戻ってこられない可能性すらある。  だからこそ恐る恐るの切り出しだったのだが、先輩がゆるりと、 「ホント? じゃあ、お弁当作るね」  と言ってくれたものだから、僕はうっかり安心してしまった。弛み切ってしまった。  翌朝目を覚ますと、迷彩服姿でウキウキ顔の先輩にお揃いの迷彩服を渡されたわけで……――以上、回想シーン終了。なお、特に判定に補正はかからない。  ……黙って行けば良かったかなあ。  いや、それだとどうしても先輩にいらぬ心配をかけることになるわけで。だが今考えてみると、結局伝えたら伝えたで少なからず心配させることにはなるし。そもそも先輩が付いてくる状況を想定していなかったのは完全に僕の落ち度だよなあ。  などと未練がましく後悔している間にも時間は進む。ハッと我に返ると、先輩はすまし顔で、ガッシリしたフレームのマウンテンバイクに(またが)り、ペダルに足を……。 「ちょっ、ちょっと待ってください! わかりました、わかりましたから! 一緒に行きましょう! だからせめてハンドサインを決めさせてください!」  このまま問答を続けようとすると、先輩はそのまま発進する恐れがある。背に腹は代えられない。ああもう、藪蛇の毒皿だ。  こちらの諦めが伝わったのか、先輩は大人しくサドルから降りてくれた。 「ハンドサイン?」 「はい……道中の下見はある程度したので大丈夫なはずですが、それでも走ってる最中に声を出してやり取りするのは控えた方がいいと思います。ストップとゴーのハンドサインは必要です。……それと、僕が先導しますので、先輩は少し距離を空けて走ってください。十分(じゅっぷん)くらい走ったら一度止まりますので、ペースの早い遅いはその時に伝えてください」 「ん、了解」  先輩はグッと親指を立てる。  ああ、このポーズと表情は覚えている。髪を切ってもらった時に見たんだったなあ。はっはっは、やべえ、超不安。  鼻から大きく息を吐き出す。  ……だがもう仕方がない。こうなってしまったからには、僕も覚悟を決めよう。  先輩の命を守ること。自分の命を守ること。  この二つに優先順位はない。どちらも同価値の最優先事項だ。  ――それでも、どちらかを選ばなくちゃいけなくなったら?  新貝(しんかい)が挑発的にそう言う声が聞こえた。  そんなの、当然――。 [⑦『死霊のえじき』(1985) 続]
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