ショウマストゴーオン 41

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ショウマストゴーオン 41

ショウマストゴーオン 41 目が覚めると、一人で寝るには広いベッドに寝ていて、窓から射し込む光の具合いで、もう暖かい日の昼あたりか、うららかな午後という案配だと感じた。 体もぽかぽかとして、だからといって暑苦しくはない丁度良い陽気に、頭はぼんやりしたままだった。 微熱でもあるのかもしれない。 部屋を眺めると、誰かが散らかしたのか閉まりきっていない木目のクローゼットや、床に脱いだままの洋服などが捨て置かれている。 随分構わない人がいるんだな。 床には臙脂のふかふかの絨毯、濃茶でつやつやしている机の上にはいくつかの装丁のしっかりした絵本が開いたまま置いてあり、部屋の隅には古い革のトランクと靴が置いてあった。 誰か子供が居るのだろうか。でも耳を澄ましても矯声らしきかしましい物音は聞こえない、聞こえたのはベッドのすぐ脇の窓から漏れてくる小鳥のさえずりと、砂利の上を行き来する足音。 オレは窓へ向け寝返りをうった。 ふいに鎖骨のあたりにひんやりしたものがあたった。視線を胸元に落とすと、きらきら銀色に光る首飾りをしているのに気付いた。薄い貝みたいに硬い飾りはひんやり冷たくて心地良い。 綺麗だとオレはしばらく飾りを見詰めた後、窓の外を覗いた。 窓の外は小さな庭になっていて、簡単な砂利道が見えたり、端に高い棒が立っていたりして、手前には洗濯物のたなびく海があり、隙間からかいまみえる先には若葉色の揺れる草原が続いていた。 空は青く澄み渡り、清々しそうなので、オレは外に出てみたいと思った。 そろそろと起き上がって足を床につける。足に体重を乗せて立ち上がったらとたんによろめいたけど、ベッドに手をついてバランスをとった。 眩暈ではなく、どこか具合いが悪いかしてしばらく足を使っていなかったからのようだった。そろそろと歩いて扉へ向かいそっと廊下へ出た。 籠れ日が射し込む明るい廊下。下に納戸のある階段が目に入り、何故か上を目指したくなって階段を上がった。 上にはいくつか扉があり、その中の一つを開けてみた。その部屋はさっきまで自分の寝ていた部屋以上に散らかっていて、なにかのお札や書類みたいな紙とともにひとの腕や足が転がっていてオレは驚いた。 でもそれらに埋もれながら真ん中のベッドで寝ていたひとは小さくて綺麗な着物でとても優しそうな姿をしていた。 起き上がってきたら怖いと少し思ったけど、オレは静かにベッドの脇に座り込んでまじまじと顔を覗き込んだ。 茶色い明るい猫毛の髪、着物からだらしなく伸びている短い手足、お人形みたい、とぷっくらした頬をオレがつつくと、赤ちゃんがするみたいに鼻ですん、と息をして寝返った。 目の色がどんなだか開けて見て見たかったけど、どんな声なのか起こしてみたかったけど、オレはその人からそっと離れて部屋を出た。 階段を再び降りて今度は足音のした庭を見てみたかった。誰か他にいるのかな。 すり足で廊下を進むと、空になった籠を持って、知らない子がこっちを見ていた。 オレはここにいるの怒られたらどうしようと咄嗟に思ったけど、何故か目を反らせずにその子を見詰め返した。 背はさほど高くないけど、頑丈そうな引き締まった体は日焼けしているのか元の人種からなのか少し浅黒い。 黒い髪は短く跳ねていて硬そうで、眉も黒い瞳もきっとしていてやや吊り上がっている。 雰囲気自体に威圧感があったけど、大人になりきってはいないのか、頬に吹き出ものの治った跡が少し残っていて、そんな所だけ幼く見えた。 歳は同じ位なのかもしれないけれど、それを除けば十分良い男の合格点で、オレはわあ、素敵な子だなあと感嘆した。 その子は少し目を丸くした後静かに微笑んだ。 「起きてきたの」 張りのある低く深い声。近付いてきて彼は優しい手付きでオレの髪を梳いた。 オレはぱらぱらと髪を摘む指に何故か胸が高鳴った。 会ったばかりなのにおかしいの。 オレはどうしてよいか判らず髪を弄ぶ彼の右手ばかりを眺めていた。彼は怪我をしているのか、右の甲に丸い火傷みたいな跡があった。 「少し日向ぼっこしようか」 彼はオレの手を引き外へ連れ出し、庭の降り際に腰掛けさせた。 握られた手が熱く、引っ張られるのが嬉しかった。 風に乗って先をゆく彼の匂いが流れてきた。それはさっき包まれて寝ていたベッドと同じ匂いで、もしかして一緒に寝ていたのかなと甘い事を期待したり、単にオレが彼のベッドを横取りしてしまっただけかな、だったら気の毒だったな、と悪がったりした。 座って陽を浴びている間、彼は繋いだ手を放さずにずっと撫でたり、とんとんとつついたり、指の間に指を入れ隙間無く絡めたりした。 オレは頭がぼうっとする程舞い上がり、ずっとしていてと願った。彼の指は節がしっかりしていて男の子らしい強さがあって、肌はきめは荒いけどしなやかな筋肉の弾力が感じられた。不思議だけど、オレは彼に瞬時に恋をしてしまったみたいだった。 彼はおしゃべりではなかったけれど、時々オレの顔を覗き込みながらあやすように優しく、 今鳥が鳴いたね、 とかあの花が蕾をつけてるね、とか短く話しかけてくれた。 オレはもっと、その怪我は痛くないの、とか、名前は何というの、とか彼の事を聞きたかったのだけれど見詰められると胸が詰まってうまく口に出せずに、彼の問いにも小さく頷いて返す事しかできなかった。 彼は、 「日が傾いてきたからそろそろ戻ろうか」 と笑いかけ、立ち上がると埃を払いオレの手を求めた。 ああ、ずっと話していたかったな。 右手でオレの右手を引いて、左手は優しくオレの背へ添えてくれる、オレは胸の鼓動を押さえながらにっこり笑いかけた。 濃いオレンジ色に陽の傾いた細長い廊下を突き当たりの扉までそうしながら歩く時、オレはこころで勝手に、婚礼の儀式みたいだと思った。 暖かくしていようねと彼がベッドへ寝せてくれて、彼はすぐ脇の椅子に腰かけた。 オレはずっと起きていたかったのだけれど、布団に入ったらすぐに眠くなってきてしまった。 眠るまで側に居て欲しくて、手をそろそろと布団から差し出すと意味を察してくれて強く握ってくれた。 彼はオレに顔を寄せ、髪を撫でると、唇に小さくキスをくれた。 「おやすみ」 オレはとても嬉しくなり、また安心もした。 ああ、この気持ちは叶っていた恋のものだったんだ。 彼はオレの恋人なんだ。 良かったこの人が恋人で。 「おやすみ」 オレも小さく答えた。 髪を撫でる掌はずっと流れを止める事はなく、オレの首飾りの陽に反射した光は彼の頬あたりにきらきらと当たっている。それが輝いて眩しくないのかと思ったけど、彼はじっとオレを見ていたのでさして気にはならないらしい。 オレは満ち足りた暖かさに包まれて瞳を閉じた。 目の裏に彼の輝きが残っていた。 銀色の涙みたいだった。 第一部 おしまい
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