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63
正臣は顔面蒼白になると、自らの口元を手で覆った。大きく息を吐き、頭を振ると俺の切れているこめかみを見つめた。
「まずは、傷の手当か。それより体が冷えてるから、先に風呂のがいいのか?」
正臣が震える手で、俺にバスタオルを渡す。俺が親父に暴力を振るわれたことが相当ショックなようだった。
「救急箱は……」と言いながら、台所の棚を漁る正臣の姿をぼんやりと見つめる。
「家の人は?」
「もう寝てるよ」
「そっか。ごめん」
「いや、あの人いつも寝るのが早いんだ。耳が遠いから、大きい音出しても起きたりしないから遠慮するな」
それは一緒に暮らしているというお祖母さんのことだろうか。
他の家族は起きてきたりしないのだろうかと思いながら、俺は正臣の言葉に頷き、通された居間を見渡した。
小さな炬燵に、テレビ。
部屋の隅には仏壇が備えてあった。
ちらと仏壇を見ると、中年の男女の写真が一枚ずつ並んでいた。
男性の方の涼やかな目元の雰囲気が正臣そっくりで俺は息を飲んだ。
正臣、母親だけじゃなく、父親も亡くしてたんだ。
俺はおずおずと仏壇の前に近づくと、座布団が濡れないようにどかして座り目を閉じ、手を合わせようとした。
作法は知らなかったが、礼儀としてそれくらいするべきだと思った。
「やめろっ」
怒鳴り声が聞こえ、正臣に手首を掴まれた。
無理やり立たされる。
「俺」
「お前は絶対に手を合わせたりするな。お前だけは絶対に」
正臣の鋭い瞳の前に、俺は呆然とした。
「なんでそんな」
正臣がぷいっと顔を背ける。
「お前の、お前の親父のせいでうちはっ」
「どういうこと?」
「有希子って覚えているか?」
逆に問い返され、俺の頭に不気味な中学生が直ぐに浮かんだ。
頷くと、正臣が俺を睨みつける。
「あれは俺の妹だ」
その言葉の意味を理解した瞬間、俺の体が小刻みに震えだした。寒さではなく、絶望の予感から。
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