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(お父様は撃たれたのよ。もう死んでいる……)
そのことを考えたくなかった。だから、過去の婚約破棄の話なんて持ち出してしまったのかもしれない。先刻、ジェイミーの前で怒って見せたけれど、あんなの、今となってはどうでもいいことだと分かっている。
そうよ。もう、どうでもいいのよ、ウィリアムなんて……。愛していた訳ではないんだもの。
だけど、過去の輝かしい日々を思い返したくなるのはなぜだろう。
『エルザお嬢様~ どこにいらっしゃるのですか。おやつの時間でございますよ』
使用人達が自分を探し回る声が、ふっと耳をくすぐっている。
何とも妙な気分だった。
果たして、いつまで、ここに隠れていればいいのだろう。とりあえず、食べ物はある。
ジェイミーと二人きりの夜は長く続きそうだ。
ジェイミーと、こんなふうに過ごすのは久しぶりだ。
幼馴染のジェイミーの笑い声が風に乗って聞こえてくる感覚を今も、しっかりと覚えている。
昔は、よく一緒に野原を駆け回っていた。
こうしていると、埋もれていたはずの記憶が次々と浮上してくるのが分かった。昔は一緒にいる時間が多かったのに……。
いつから、二人の住む世界はこんなふうに変わったのだろう。
☆
『おまえは馬鹿なのか! 馬の後ろに立つなよ!』
エルザが九歳の頃の出来事だった。その頃のエルザは膝丈のエプロンドレス姿でチリチリとした赤い髪を垂らしていた。
『えっ?』
ラベンダーが咲き誇る夏の夕刻。カントリーハウスの裏庭のハーブ園の近くの柵にジェイミーが馬を繋いでいたので駆け寄ったところだつたのだ。何のことか分からずにキョトンとしていると、灰色の作業着姿のジェイミーがエルザの手を引いて怖い顔で睨んだのである。
『蹴られて死んだらどうすんだよ』
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