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朝日で始まる
秋の午前四時半。ほとんどの人は、気持ちよく寝ている時間。始発に乗る人は、家を出ているかもしれない時間。
そんな時間に俺は、人に会うことになった。
そう、約束したこの橋で。
「いつもの場所か……最近は行ってなかったなぁ。」
輝喜のおかげでトントン拍子で話が決まったらしい。そのせいで、俺はいつもの場所で待ち合わせすることになった。
そして今、約束の場所に着いたところだ。
「相変わらず、綺麗だな。」
いつ見ても汚い川だ。なのに、この川は無駄に大きい。
「そうだね、綺麗。」
「相変わらず、静かに現れるんだね。静香さん。それと、この川は汚いと思う。」
いきなり隣に来ても、もう驚かない。
いつも静かに俺の隣に来て、驚かそうとしてくる。
もう、引っかからない。
「付き合っていた頃を思い出すでしょ?その時も汚かったよね、この川。」
「別れてショックを受けているのにそういうことを言う?川もショックを受けて、流れが緩やかになってるよ。」
「あはは! やっぱり、波留君って可愛いね。この川もそう言いたいのかな?流れが速くなってきたよ。」
「男に可愛いと言っても、褒め言葉にならないことを知ってて言ってるよね。」
意地悪なんだよ。静香さんはさ……
というか、そろそろ川のネタはやめておこう。きりがない。
「それで、何で輝喜を利用したの?」
「それも知ってて言ってるんだろ? 利用したんじゃない。輝喜が勝手に静香さんに連絡したんだ。それで会うことになった。」
「逃げることもできた。でも、波留君は会いに来てくれた。そんな感じかな? わざわざ大きい川があるいつもの場所に。」
「そういうことだ。」
やっぱり、分かってて言ったんだなぁ……
川のネタってまだ続いているのか?
「静香さん。どこか行きたいところとかある?」
「どこでも良いよ。何なら、ここで話すのも良いかも。」
「それじゃ、ここで話そっか。どうせ朝の四時半なんて、あまり人も通らないしな。」
そう、今は午前の四時半だ。太陽すら昇っていない。よくこんな時間に会わせようと思ったよな。さすが輝喜、衝動で動く天才!
「そうだね。そうしようか、波留君。」
静香さんは、すんなり受け入れてくれた。
そういえば、当たり前のように二人でこんな時間に集まっているけど、これってすごいことなのでは?
「早速だけど、本題に入ろうか。静香さん。」
「……分かった。」
ここに来た理由は、静香さんとあのときのことについて話すためだ。だから、辛い話になるとしても、聞かないといけない。
「あのときの約束、覚えてるかな。」
覚えてないかもしれない。だけど、覚えていてほしい。
俺にとっては、大切な約束なんだ。
ずっと、俺を縛り付けている約束なんだ。
「別れようと思った理由……でしょ?」
「うん……覚えていてくれたんだな……」
なんだか、これだけで泣きそう。
覚えていてくれたことが嬉しい。だけど、まだ泣くわけにはいかない。
理由をまだ、聞いていない。
「覚えているに決まってるよ。大切な……約束なんだからさ。」
ふと、隣にいる静香さんの顔を見てみた。
静香さんの目には、涙がたまっていた。
今にもこぼれそうな涙を必死にこらえながら、静香さんは次の言葉を発した。
「ごめんね……」
何で、静香さんが謝るんだろう。
どうして、俺は何も言わないんだろう。
たった一言の言葉の意味を頭の中で探してみるけれど、見つからない。
必死に言葉の意味を自分の心に聞いてみるけれど、分からない。
俺は……何をやっているんだ。
何か、声をかければ良いのに……
何も思いつかないなんて……
「ごめん。波留君……ごめん……この三年間、ずっと……怖かったんだ。」
怖かった?
怖がる必要が、どこにある?
「波留君が、怒っているんじゃないかって……私のことを嫌いに……ごめん、私がこんなことを言っちゃ駄目だよね……」
涙を流している。
静香さんが、涙を……流している。
三年ぶりに見る涙。
俺の胸は、痛くなって、苦しくって……
「え?」
だから……抱きしめた。
「波留君、私は……最低な女なんだよ?」
「どうして?」
「だって……だってさ! 私は……君のことが嫌いになったことがあって……悪い噂を立てたの……そ、それが……知らないうちに大きなものになっちゃって……」
「だから何?」
「だから何って……私は……あなたがいじめられていた原因を作った張本人なんだよ!? どうして……そんなに平気でいられるの……怒ってよ……波留君は怒るべきなんだよ。なのに、なのに……どうして! 何で……」
怒っている。
苦しんでいる。
悲しんでいる。
「そんなに、優しくしてくれるの……」
それが、爆発してしまった。
静香さんの顔が、俺の肩に乗る。
涙が、俺の肩に落ちていく。
「なんで……どうしてよ……」
「……ありがとう。」
感謝の気持ちで、いっぱいだ。
「俺のために、怒って、苦しんで、悲しんでくれて……ありがとう。」
静香さんの涙は、俺のために流れてる。
静香さんは、自分のために泣いているつもりなんだろうな。でもさ、俺のための涙なんだ。
理由が俺なんだから、俺の涙なんだ。
嬉しくて、幸せで、温かくてさ……
抱きしめる、キスする、頭をなでる……そんなのじゃ、足りないよ。
「愛してる」
足りないけどさ。
俺は、この一言で……十分なんだ。
静香さんは、静かに泣いている。
この涙は、どれなんだろう。
悲しい涙、嬉しい涙、冷たい涙、温かい涙、苦しい涙……
いろいろあるけどさ、幸せな涙だったら良いな。
少なくとも俺は今、幸せな涙を流している。
「朝日、綺麗だね……波留君。」
「ああ、綺麗だ……静香さん。」
朝日が昇った。
これから、明るい世界が広がっていく時間。急ぎ足で人が動いていく時間。
そんな時間に俺たちは、いつもの場所で……
愛し合っている。
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