抱擁の意味~俺は君を護りたい~

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 抱き合っている男女を見て  再会して喜んでいるのか  愛し合っているのか  傍から見たら大抵はそのどちらかだと思うだろう。  だがどちらにも当てはまらない理由で、女性を抱き締めた男がいる。  今、俺はある女性を抱き締めている。  その子とは付き合ってもいなければ、特別仲が良いわけでもない。  ただの同級生だ。中学の時同じ塾に通っていたので、少ししゃべったことがあるくらいだ。  学生の頃、彼女を意識した記憶はない。俺は恋愛には疎く、高校に入るまで男としか連んだことがなかった。これぐらいの頃の恋愛なんて、すぐにくっついたり離れたりしているのを見てきた。当時初めて付き合った彼女の場合も同じで、告白されてなんとなく付き合ってはみたものの、長続きしなかった。俺の場合、その子と特にしてみたいことが何も見付からなくて、それに退屈した彼女に別れ話を切り出されたのだ。俺はあっさりそれを受け入れた。まったく傷付くこともなく。そんな俺の日常の中に今、腕の中にいる女性はほぼ存在していない。中学を卒業後、別の高校に進学し、友達同士の繋がりもないので話題にすら出て来ない。その程度の関係だった。  あの夢を見るまでは……  その同級生を偶然駅で見かけたのは数週間前のことだった。俺は大学の帰りで、最寄りの駅からバスで帰宅するところだった。いつものように改札を抜け、一階のバス乗り場に向かう。下りてすぐの場所にある、行き先が異なるバス乗り場を通過しようとすると、そこに見覚えのある顔を発見した。同級生の樋口沙和(ひぐち さわ)だった。特に親しい間柄だったわけでもないので、何も言葉を交わすことなくすれ違う。樋口は私服姿で中学の頃とは違い、髪を下ろして化粧もしていたが、なんとなく面影はあった。向こうも気付いてたみたいだが、目を見張っただけで話しかけてはこなかった。  その頃季節外れの台風が再び発生し、数日後に大型の台風が日本に接近すると予報が出ていた。しかも前回一部の地域に甚大な被害を及ぼした台風よりも、さらに被害が大きくなると予想され、テレビなどのメディアでは毎日のようにそのことが報道され、日本住民たちに危機管理や対策を促していた。   台風上陸まであと一週間。  俺の生活に変化はなく、この日も学校へ行き、帰宅してからバイト、最後は家のベッドで死んだように眠るだけ。横になると自然と瞼が下りてくる。間もなくして意識が無の世界に溶けていった……   音が無いのに声が聴こえる。   色が無いのに目に焼き付く。   感じる音。   感じる光景。   人々の悲鳴。   飲み込まれていく人。   沈んだ――        町。 ――また同じ夢を見た。  六日後のこの時間には、この周辺一帯は水に飲み込まれる。二階建て家屋の一階に相当する高さまでが水の中に沈む。  雪ですらそんなに積もったことのないこの町が水の中に沈んだ光景は、そこで暮らす住民誰にも想像できないだろう。非現実的で、まるで映画の中の世界だ。  俺にはそれが見える。ああ、吐きそうだ。こんな能力(ちから)消してくれ――――――――!  いつもと同じ朝が来た。こんなに空が穏やかなのに、本当に過去最強クラスの大型台風なんて来るんだろうか。外れればいいのに。天気予報も ――俺の予知夢も。  先週から予報は出ていた。だが前回同様被害が大きくなかったこの地域の住民たちはギリギリまで避難しようとはしないだろう。俺が通っている大学はその日臨時休校になったので家で待機していたが、近隣住民に避難所に向かった人は誰もいない。そういうことがあったらまず主婦の間で噂になっているものだが、母親からは何も聞かされていない。ニュースにも出なかったので被害が少なかったのだろう。  そんなだからきっと俺がどんなに説得しても無駄だ。誰も俺の話など聞いてはくれない。  ましてや夢で見た話など、笑われるだけだ。外れたら俺が恥をかくだけ。そうだ、だからはずれてくれればいい。はずれろ!  小学校の時もそうだった。近所の子供が公園の遊具に挟まれて大怪我をする夢を見たとその子の親に警告したら、公園で俺を見かける度避けられるようになった。その子と俺が接近しそうになると、慌てて母親が「そっちに行かないの!」と叫ぶ。他のママ友と噂しているのを何度も見た。俺はあんなこと言わなければよかったと、その時後悔した。  それからしばらくしてその公園に行くと、夢に出てきた遊具に張り紙が張られ、その遊具は使用禁止になっていた。  大学の帰り、またあのバス乗り場で樋口沙和を見た。また目が合ったが、互いに声をかけようとはしない。そのまま黙ってすれ違う。嫌いだからとかではない。ただ何も話したいことが見付からないだけ。  そしてこの日も何事もなく夜が更けていった。  シャワーを浴びてその日の疲れを洗い流し就寝すると、疲れてドロドロになった意識の中に溶けていく。    まただ……  町が水の中に沈んでいく。  その光景を見るのは何度目か。色も音も温度も感じない、輪郭のはっきりしない世界。其処は俺の夢の中。何かを暗示するようにその光景が記憶に刻まれる。覚醒してからもそれは頭の中にいつも残っている。そんなものを見てしまうのが自分でも気持ち悪い。伝えろということか? だが、誰がこんな話をまともに聞いてくれるっていうんだ!   この町が水の中に沈むーーという|を見たという話を。  朝を迎えた。台風上陸まであと5日――  その夜変化が起きた。  いつものように疲れてベッドに入り眠りに着くと、またあの光景が見えてきた。この町が水の中に沈んでいく夢。高い建物の屋根や電柱だけが頭を出し、道路もそこを走る車も人の姿も見えなくなった世界。果ての見えないその水没地帯を眺めていると、水中から伸びている誰かの手が見えた。あっという間にその手が、水の中に飲み込まれていく。  オレは助けることができなかった。その後すぐに目を覚ます。  翌日もその翌日も、夢にまた同じ場面が出てきた。水中から伸びた手が見えてくる――いや、前の夢と少し違った。その手首にピンク色の腕時計らしきものが見える。  そこで目が覚めた。  腕……時計?  台風上陸まであと2日と迫った日のことだった。その日は初めて朝、樋口に会った。その日は初めて朝だったことに違和感を感じるが……  ふとその理由がわかった。  彼女は夢の中で見たあの手と ーーをしていたのだ。 「あの!」  駅の改札に向かって歩いて来る彼女に向かって、オレは声をかけた。 「樋口、さんだよね? 俺中学の時塾でいっしょだった……」 「真野(まの)くんでしょ?」 「あ、うん」  覚えてたんだ、俺のこと…… 「中学の頃よりスムーズに話せるね」  ここは駅中のカフェ。朝、声をかけたら好感触で、帰りに駅で会う約束をし、とりあえずここに入った。 「へー、真野くんてあの大学に行ってるんだ?」  あの頃は女子と話しているとすぐにひやかしてくる奴がいた。だから人の目が気になって普通に話せなかったが、今ぐらいの年齢になるとそういうことを気にしなくて済むから話しやすい。それに樋口は、話してみたら意外と良い子みたいだ。やわらかい笑顔を浮かべて、頷きながら寄り添うように人の話を聞いてくれるから話しやすい。  一時間ほど話し込んでから店を出た。二人でバス乗り場に向かって歩き出す。  外はもうだいぶ暗くなり、冷え込んできていた。  俺の心拍数が上がり始める。  明日は土曜。  どうする。彼女にを伝えるか?  伝えるなら――  今しかない! 「ちょっといいかな」  言って俺は足を止めた。  樋口が振り向いて立ち止まる。  俺は店と店の間のなるべく目立たない場所に入った。 「あのさあ、今から俺が言うこと真剣に聞いてくれる?」  この子なら  俺は勇気を出して、樋口に話してみることにした。 「明日……」  俺は夢のなかの出来事を、それが暗示する意味を、そして俺が幼少期から抱えてきたこの能力を持つことの苦悩を、それらすべてを樋口に話すと、最後にこう告げた。   「俺は君を守りたい」  彼女を強く抱きしめながら……
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