フィナーレ終幕「結」

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フィナーレ終幕「結」

「は……?二度と僕に話しかけないでくれる?」 紅い唇と華奢な腰つきで少女めいた倒錯的なセクシーさをふりまいている少年は、さも嫌そうにミチにそう吐き捨てて、自分の教室へ入っていってしまった。 「玉砕だな」 ヒデは慰めるようにミチの肩をたたいた。 「まぁ、最初から返事をしてくれるとは思ってなかったから……」 「本当に知らないんじゃないのか?」 「……」 最近、ミチは痩せて引き締まった顔に困ったような表情を浮かべた。 ミチは、先程『瑞季』にすれ違い様に聞いたのだった。 「帝都歌劇団のミヅキを知らないか?」と。 あの、椎名伯爵殺人事件以来。なぜか椎名美月の行方もわからなくなっていた。 事件も斎藤警部が躍起になり、捜査員も拡充されたようだが、いっこうに進展はない。 今朝の三流新聞の記事では、美月の行方不明は父の死を機に男と駆け落ちしたのでは?という推測のゴシップが踊るような始末。 ミヅキが舞台に現れなくなって以来、物思いに沈みがちなミチは食事も喉を通らない様子になった。 ヒデはあれやこれやと連れ出して美味しいものを食べさせようとしたが、ミチは空返事を繰り返し、ボンヤリと宙を見つめるばかり。 「恋煩いねぇ。俺には理解できん……」 ヒデもミチと同じように重たい溜め息を吐き出した。 確かに、ミヅキは綺麗だった。……いや、並外れて綺麗過ぎた。 これは普通の恋ではない、そんな思いがやつれていくミチを見て、ヒデは日に日に募っていった。 これは、まるで魔性の呪いだ。 恋、とはかくも人を狂わせるものか。 「もう諦めたらどうだ、ミチ」 そう、ヒデが真剣な顔で放課後にボンヤリと中庭のベンチに座るミチに話しかけた時。 「あ……っ」 頬を紅潮させて、秀学院の校舎の屋上をミチが指差した。 「あれは……」 夢中で屋上にあがる螺旋階段を駆け昇るミチを、ヒデも慌てて追いかけた。 そこに見えたのは、夕闇の中で屋上から街を見下ろしている、椎名美月の妖しい微笑みを浮かべた横顔だった。 §§§ 風が彼女の香りを運んでくる。 ミチの恋焦がれて止まないいつまでも記憶にとどまる彼女の香り。 鼻孔をくすぐる華やかな花の香りは、あまりに甘く、芳醇でミチの胸を締めつけた。 「君はミヅキ……だね?」 ミチは屋上の扉を開けると、手すりにもたれて街をボンヤリと見下ろしていた少年に駆け寄った。 「あぁ、さっきの……」 瑞季はゾッとするような、底冷えのする目でミチを見た。 思わず、ミチは息をのんだ。 ミチの網膜が氷のように冷たい瑞季のダークブラウンの瞳の色に染まり、身体が金縛りのように動かなくなる。 が、意を決したようにぶるっと身震いすると気を取り直し、ミチは少年に低い声でゆっくりと語りかけた。 「さっきはごめん。質問を僕は間違えた。本当なら、僕は君にどちらでも良いから生きてくれないかと言わなくちゃいけなかったんだ……」 「お前……!何を言っている!」 ミチの言葉にみるみる青ざめていく瑞季。 「わかったようなことを言うな!」 「僕はわかってる。今から君がしようとしていることも。そして、君がしたことも。だから、お願いなんだ。どちらでもいいから、生きることを選んで欲しい……」 「何……?!」 恐怖に瑞季の瞳が見開かれる。 「何言ってるんだ、ミチ?」 後ろから心配そうにヒデがミチの顔をのぞきこんだ。 「あぁ、瑞季と美月は最初から一人しか存在してなかったんだよ。ここにいるのは、ミヅキだ」 「え……?」 ヒデは絶句して、目の前の白い美貌を見つめた。 「でも、美月は女じゃ……?」 「ミヅキは本物の天使なんだよ、ヒデ。両性具有者なんだ。だから男でも女でもなく、そして男でも女でもある……」 ミチの言葉にヒデは言葉を失った。 「ミチ、お前。それを知って……?」 「いや。浴場で男として入り、女として出る。そんなことができるとしたら、仮説は一つだ」 ミチはヒデの言葉に頭をふった。 「どういうことだ?俺にはさっぱり……」 「男湯で伯爵を後ろから刺したのは、男の格好をした瑞季。あらかじめ、女湯には着替えでも置いてあったんだろう。 あそこの浴場はもとは一つしかなかったものを後で男湯と女湯に分けたんだ。浴槽同士は中で繋がっているから、お湯を潜って女湯から何食わぬ顔で出て行けばあっという間に密室殺人が完成するんだよ」 「そんな話、お前いつの間に……」 ヒデは驚いてミチを見つめた。ずっと一緒にいた筈なのに、いつの間に調べていたんだろう。 「警部からあれから気になって色々聞いたんだ。現場の状況とかね」 「ミチ……」 ヒデは辛そうに話を続けるミチを見て両手を固く握りしめた。 「犯人は、それを知っている劇場関係者で尚且つ、下半身をさらしても男とも女とも番台の老人を誤魔化せる者。ということは動機ありそれをなし得るのはミヅキ、君しかいない……」 哀しげにミチは呟いた。 「フ、フフ……ハハハ……!……はっ、お前は僕のメフィストフェレスでも気取るつもりか?」 ミヅキは黙って、唇を震わせてミチの話を聞いていたが、狂ったようにしばらく嗤い続けるとミチに指を突きつけた。 「そんなつもりじゃないよ……」 ミチは悲しげに掠れた声を洩らした。 「はっ、じゃあこれを見ろよ。あの豚ヤロウが喜んで僕に一体、何をしていたか」 そして瑞季はいきなり自分のシャツの胸元をグイと押し広げた。 ボタンがブチブチっと嫌な音をさせて弾け飛ぶ。 そこには、紫色の薔薇の花びらのような痛々しい痣や青黒い、まざまざと緊縛の痕跡を知らせるような跡も残っていた。 「やめろ!見せなくていい」 蒼白になって、ミチはおのれの身につけていたマントをとると、そっとシャツをはだけて肌を晒しているミヅキの肩にかけた。 「僕は……あの豚を殺したことは一欠片だって後悔なんかしていない!」 プイとおもてを背けて瑞季は吐き出すように言った。 「奴は僕の母……実の妹を孕ませ、狂わせて自殺に追い込んだ挙げ句、僕のようなモンスターを生ませて尚且つ、僕の身体も己の汚い欲望のままに弄んだ最低のゲス野郎だ。 僕はアイツをブッ殺すことだけ考えて、今まで生きてきたんだから……」 ミヅキの声が震え、閉じた瞼から一筋の涙が溢れ落ちた。 ミチはそんなミヅキの前にやにわに跪くと、プロポーズするかのように「告白」した。 「僕は君を裁くつもりなんてないよ、ミヅキ。突然こんなことを言ったら驚かれるかもしれないけど、僕は君を愛している。僕は君のメフィストフェレスじゃなくて、恋人のグレートヘンになりたいんだ……」 ミチの言葉にミヅキは目をそらした。 「恋人……?僕は、僕は現実の恋はしたことがない……」 砂漠を渡る熱い風のようなカラカラの声でミヅキは言った。 「これからしたらいいさ」 ミチの言葉にミヅキはふいに夢から覚めたように、大きな目をまたたかせる。 「これから……?僕が?」 「そう、君が。天使のような君だけど、地上の僕のところに降りてきてくれないだろうか」 ミチは真っ直ぐにミヅキに手を伸ばした。 ミチの言葉に合わせたように、陽が落ちて夕日の輝きがミズキの背後から射し込み、そのほっそりとした背中が神々しい光に包まれているように見えた。 その肩の後ろに真っ白な大きな羽根が生えていたとしても何の不思議があっただろう。 「でも、僕は天使なんかじゃない……!そもそも生まれてはいけない存在なんだ」 ミヅキは苦し気に叫んだ。 「それに僕は汚れている……僕の手も、この身体に流れる血でさえも!!」 大粒の涙がミヅキの頬をポロポロと伝う。 「あぁ。それでも僕は君がいいんだ、ミズキ。……僕は生きることに絶望している君に恋をした。でも、これからは一緒にその恋を楽しみたいんだよ、ミヅキ」 ミチの言葉を聞くやいなや、ミヅキはミチの首にそのほっそりとした両手を巻きつけると、そっと頬にその妖しい紅い唇を押し当てた。 「ありがとう、僕の恋人」 「ミヅキ……」 ミチはその場に固まった。 そんなミチにミズキは、幼い子どものように無邪気に笑いかける。 それこそ、教会の壁画の天使のように……。 「ねぇ、僕には翼がないけど、飛べるかもしれないね……」 そう言うと、突然。 ミヅキはビルの屋上の手すりから、何もない空間に飛び上がった。 舞台上と同じように、夕焼けの空に優雅に天使が舞い上がる。 背後から射し込んだ夕陽の光で、ミチとヒデには、片翼だけまるで翼が生えたように見えた。 「ミズキィィィ……!!」 二人の絶叫が夕焼けの空に響き渡る。 そのまま、満足そうな微笑みを浮かべて地上に堕ちていく、片翼の天使を二人は呆然と見送った。
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