Ep.51.5 ガイアとルドルフ

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Ep.51.5 ガイアとルドルフ

「お帰りなさい!びしょ濡れだねー、私の誕生日の時に無理して帰ってきてくれた時みたい」 「あぁ……あったな、そんなこと。そんなに前じゃないのに、すごく懐かしく感じる」 「あっ、こら。動かないの!拭かないと風邪引くし、髪だって痛んじゃうでしょう?ただでさえ長いんだから」  笑っているガイアを嗜めて、セレンはタオルで優しく彼の髪の水気を取っていく。  これでおしまい、と離れようとしたセレンの手に、ガイアの手がそっと、重なった。 「俺さ、お前にこうやってして貰うの好きだな。なんか、すごく『帰ってきた』感じがして安心する」 「ひゃっ……!」  決して無理矢理ではない優しいその手を振り払えずに居れば、手の甲に軽く口づけを落とされる。真っ赤になった顔を見られないように、持っていたタオルを彼の顔に押し付けた。 「もっ、もう!心配して待ってたのにまたそうやってからかうんだから!!お風呂沸いてるからさっさと入ってきなさい!ご飯だってとっくに出来てるんだから、温めておくから早くしてよね、もう!!」  早口で捲し立てたセレンがパタパタとキッチンに逃げ込んでいく。小動物のようなその後ろ姿を見つめながら、ガイアは彼女が置いていったタオルを指先でもてあそびつつクスリと笑った。 「冗談じゃなく本気なんだけど……本当、手強いな」  『余計に手に入れたくなるじゃないか』なんて呟いたガイアの瞳が獲物を見つけた獣のように光る。そんな狼に狙われているとはいざ知らず、獲物(セレン)はキッチンで一人料理に没頭するのだった。 「上がったぞー……、って、なんだ。子供らはもう寝たのか?」  風呂をすませて居間に向かうと、そこに居たのはセレンだけだった。ガイアの問いに、セレンが『今日は色々あったから疲れたのよきっと』と笑う。  食卓には、湯気が漂うシチューが用意されていた。 「いただきます」 「はい、召し上がれ」  優しく内側から身体を温めてくれるそれを堪能しつつ談笑する。そんな何でもない時間が、ガイアはとても好きだった。  ふ、と、セレンが何かを思い出したように会話を止める。 「そう言えば、サフィールさんとガイアのお祖父様が仲良くなった時の話を聞いたときに、『お祖父様”も”そんなことをしたのか』って言ってたじゃない。あれって、ガイアも似たようなことをしたことがあるってこと?」  ただの独り言だったのに、聞かれていたことに驚いた。少し迷ったが、彼女になら良いかと話すことにする。 「いいや、俺は救ったんじゃなく、救われた側。お祖父様と、まるっきり同じやり方でな」  騎士団に入ってすぐ、お前は黒持ちだから魔力で不正をしたに違いないと同僚に疎まれ浮いていた自分に、わざわざ己の髪を真っ黒に染めてまで仲良くしようとしてくれた男が居た。何度突っぱねても懲りずに、めげずに。毎日毎日来たものだから、先にガイアが折れたのだ。 「当時はただ鬱陶しくて嫌だったけど、今では感謝してる。あいつと絡むようになったのがきっかけで、同期とはずいぶん打ち解けられたからな。今では一緒に飲みにまでいけるくらいだ」 「そうだったんだ……。ねぇねぇ、そのお友達って誰なの?私も知ってる人?」 「ん?あぁ、ルドルフだよ」 「え……っ、ルドルフ、さん?」  想定外の名にセレンは固まってしまった。ルドルフには、初対面から値踏みされ、見下された苦い思い出があるからだ。  ガイアもそれを重々承知しているから、申し訳なさそうに眉を下げている。 「ごめん、お前への態度は本当に酷かったよな。悪かったと思ってる。……でも、俺の恩人だってのも本当なんだ」  ただ、と、そこでガイアが語気を弱めた。 「友達なのに、騎士団ではいつも隣に居たのに。あいつが何を考えてるのか、俺にはいまいちわからないんだよな……」  ナターリエを切り捨てセレンを選んだガイアを、彼女の親衛隊の一員であるルドルフが許すかもわからない。そんな不安を滲ませるガイアの目の前に、ずいっと木のスプーンが差し出された。 「お話は食べながらでも出来るでしょ?冷めちゃうよ。ほら、あーん」 「え、ちょ、は?食えって?こ、このまま!?」  まさかのシチュエーションにガイアの頬がカァっと赤く染まる。が、部屋が薄暗いせいでそれに全く気づかないセレンは、もう一度『あーんして!』と念押しした。  観念して開いた口に、少し温くなったシチューが突っ込まれる。じわっと、心が少し温まった。 「お腹がすいているとネガティブになっちゃうでしょう?今夜はしっかり食べて休みましょ?それで、元気になったら次ルドルフさんに会った時に、お話してみたらいいんじゃない?彼が何をしたいのかとか、わからない所、たくさん」  『お友達なんだから』と優しく微笑む彼女は慈愛に満ちていて、ルドルフへの嫌悪感は感じられない。それはありがたいことであり、同時に不思議なことだった。  でも、確かに。彼女の言う通りだ。話してみなければ、人の本心などわからないと。ガイアもセレンも、今回のことで痛いほど学んだ。 「……とりあえず、次会った時はお前がいかに可愛いかを思い知らせてやらないとな」 「ふぇっ!?なっ、なんでそうなるのーっ!!?」  あたふたと照れる姿に『そういう素直すぎる所だよ』と笑いながらシチューを飲み干す。  そうだ、次に会った時はきちんと話そう。自分の気持ちも、彼の考えも、ちゃんと、素直に。  そして、出来れば。唯一友と呼べる存在の彼が、自分達の敵ではありませんようにと強く願った。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「離せ!離しなさい、このっ!サフィール!貴方所長であるこの私にこんな仕打ちをしてただで済むと思ってるんじゃないでしょうね!」  やかましい、今何時だと思っているんだ。そんな怒りを圧し殺して、サフィールは麻縄で簀巻きにされたマークスの額に触れる。そこには、砕かれた竜玉の穴がぽっかり、空いていた。 「所長、貴方自分がどれだけの真似をしでかしたかわかってますか?国宝である竜玉を勝手に持ち出し、私怨に利用して魔物化したあげくに宝玉は破壊してしまったのですよ?死罪になってもおかしくない事案です」  『だから、ほら。死にたくないのなら減刑の為にも誓約書にサインを』と、サフィールが魔力で編み上げた一枚の書状を取り出す。  署名した者がその文面に今後一切逆らえない魔法の書状には、二度とガイアスとセレスティアに近づかないと言う誓いが掲げられている。それをマークスは息でフッと吹き飛ばした。 「うるさいうるさいうるさい!!誰が諦めるものですか、あの忌み子め、必ず地獄に落としてくれ……ぐっ!!?」 「はぁ……、少しでも反省の意があれば、普通に罪を償うだけで許してあげるつもりだったんですがねぇ。でも、あの子達の邪魔を続けるつもりならこれ以上は、許さない」 「ぐっ、嫌、やっ、止め……っ」 「ーー……さようなら、マークス所長」  片手でわしづかみしたマークスの頭へ、サフィールが魔力を注ぎ込む。バチッと魔力が走ったマークスの脳は初期化され、身体も時間が巻き戻るように縮みした。軋むような激痛を当人に与えながら。 「わ、私が私の中から消えていく……。い、嫌だぁぁぁぁっ!」  その叫びを無視して、サフィールが魔力を注ぎ切る。激しい魔力の波が引いたあと、マークスを縛っていた縄がパサリと床に落下した。そして…… 「うぁーん!うぇぇぇぇぇ……っ!」  白衣に埋もれた、赤ん坊化したマークスの泣き声が響く。ひょいとその赤子をサフィールが抱き抱えた。 「貴方のその性根は『生まれ変わりでもしないと』治りそうにありませんからね。文字通り、最初から叩き直してあげましょう」  通常の人よりはるかに長く、若々しい姿のまま生き続けているサフィールの得意魔術は二つ。ひとつは“記憶操作”もうひとつがこの、“不老長寿”の力だ。この後者の力でサフィールは、マークスと言う人間の人生を完全にリセットした。 「いやぁ、お見事。それ、下手したら普通に殺すよりえぐいよねぇ。流石だわ、ねぇ、“師匠”?」  パチ、パチ、パチと、バカにしたようなリズムの一人分の拍手が聞こえた。『始末する手間が省けていいけど』との呟きにサフィールが振り返らないまま肩をすくめた。 「相変わらず、あのお嬢さんは自分の欲のためならば手段を選ばないようですね。いつまで、あの女に仕えるつもりですか?」 「目的がはたされるまでー。俺も存外欲深いからさ、散々尽くした見返りが欲しいわけ」 「ならば何故セレスティア嬢暗殺に放たれた公爵家の刺客を始末したのですか?」  淡々と問われ、ルドルフの胡散臭い笑みが一瞬崩れる。だが、すぐに気を取り直したルドルフはいかにも軽薄男らしくケラケラ笑った。 「別に~。ただ、セレンちゃんが絡むとガイアスがおもしろくなるから、まだ死なせるのは勿体無かっただけ」 「嘘を付きなさい。貴方の真の目的は……ぐっ!」  ズブリ、と、下腹辺りに嫌な痛みが貫いた。背後から物理的にサフィールの腹を貫いた剣の刃が怪しく光る。 「はいはい、お喋りはここまで。あんたの目的はもう果たされたでしょ?安心して眠りなよ」 「刺した、獲物の……、魔、力を、吸い、とる、魔剣……ですか。また、物、騒なもの、を……」 「お嬢さんが、そろそろまた“魅了(チャーム)”の魔術に必要な魔力が足りないってご立腹だからさ。ガイアスからはもう奪えなさそうだし、あんたから貰うね?」 『いい加減、身体だけ若いまま長生きすんのも疲れたでしょ?』と優しげに言いながら、ルドルフが更に深くサフィールの身体に黒く光る剣を押し込んだ。 「ーー……もうゆっくり休むといいよ、サフィール師匠(せんせい)」  カランと落下した彼のメガネと、動かなくなった一人の身体、それから泣きわめく赤子を拾い上げた青年が音もなく姿を消した。  『王宮お抱えの魔術研究所職員、所長と副所長が事故死』との報道が王都で号外として出されたのは、その翌日のことであったと言う。     ~Ep.51.5 ガイアとルドルフ~  
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