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Ep.66 喰えない男
「ルドルフ、様……!?」
辛うじて足元が見える位の薄明かりしかない通路で、驚きを隠せないまま相手の名を呼ぶ。私を通路に引き込んだ手をパッと離してルドルフさんが微笑んだのと同時に、零時を告げる鐘の音が消えていく。
「(しまった、時間が……っ!)た、助けていただいてありが「勘違いしないでくれる?ただ俺は仕事の一貫として迷子になった招待客を保護しただけだから」……っ!」
良い感じにクセのついた柔らかそうな茶髪に、暗がりでも褪せないワインレッドの瞳。そんな非の打ち所が無い美男子が、如何にも人好きしそうな完璧な笑みを浮かべて私の言葉を遮る。女性が見れば一瞬で虜になりそうな端正な微笑みなのに、目が一切笑っていない。だから、余計に警戒心が増した。
ゆっくりゆっくり後ずさって扉にかけた後ろ手を、逃がさないとばかりに強く掴まれる。
「おっと、どこに行くのかな?またあいつ等と鉢合わせたら、どうなると思うの?」
脅しにも近い一言と手首を掴む大きな手に萎縮して、つい押し黙ってしまった。ニコッとわざとらしく笑ったルドルフさんが、私から手を離して通路を歩き始める。
「あ、あの……っ」
「会場戻るでしょ?ご案内致しますよ、セレスティア・スチュアート伯爵令嬢」
そう最後の部分を強調しながらルドルフさんが腕に付けた夜会警備担当の証である真紅の腕章を指先でつまんで揺らす。確かに、夜会参加者である貴族が困った時に対処をするのも騎士の仕事だ。
何より、もう時間がない。躊躇っている暇は無いと、喰えない男の後を追いかけた。
煌びやかな会場の廊下と違い、言わばスタッフ専用であるこの連絡通路は薄暗く狭い。人が二人並んで歩くのが精一杯な位だ。
そんな通路に、ただ二人分の足音が反響しては消えていく。
何も言わない、喋らないルドルフさんの横顔を見上げて思った。ガイアの友人である彼は、今の、彼がナターリエ様達と敵対しているこの状況をどう思っているんだろう?
「……どうして、先ほど私をあの方達から隠したんですか?」
ピタリと、一歩先を歩んでいたルドルフさんの足が止まった。
「どうしても何も、君があんな場所で彼等と揉め事なんか起こしたらうちのお嬢さんの評判が更に悪くなっちゃうでしょ。だからだよ」
『馬鹿なこと聞くなぁ』と笑うその顔は、やっぱり目だけが笑っていない。けれど、ゾクッとした次の瞬間。
「それに、君の身に万が一が起きたらあいつが悲しむでしょ」
「……っ!」
拍子抜けしてしまう位穏やかな響きで続いたその言葉にびっくりして。同時に、初めて会った時からずっと抱いていた違和感が、ストンと府に落ちた。
“あいつ”は言わずもがな、ガイアのことだろうから。
「ふっ……相変わらず間抜け面だね。さ、気が済んだなら行こうよ。俺も一回位はお嬢さんのドレス姿拝みたいし」
如何にもな軽薄男らしいその台詞には、やっぱりまた温度が無くて。
あぁやっぱりと確信して、つい、声に出して聞いてしまった。
「ルドルフさんって、ナターリエ様の事本当に好きなんですか?」
数歩分の距離を開けた先で小さく跳ねたその肩を見て、しまったと自分の口を押さえる。だけど、もう遅い。再び足を止めたルドルフさんが、にこやかに笑ったまま振り向いた。
「え~?何々?セレンちゃんてば俺に気が「無理に茶化さないで下さい」……っ」
落ちた沈黙の中、ルドルフさんがガシガシと頭を掻いた。
「……どうしてそんなこと聞くの?」
聞き返してくる彼は完璧な笑顔だ。まるで、仮面のような。
さっき、私を懲らしめると仰有っていたお二人の声からは、“自分達の好きな人”の障害になる私への怒りを感じた。それは多分当たり前の事だ。だけど、ルドルフさんは。
「さっきガイアの名を出した時の声音はあんなに優しかったのに、ナターリエ様絡みの話の時は何の感情も感じないから……。だから、何かおかしいなって」
「はぁ……。これだから、勘の良いお嬢さんは嫌いだよ」
長い長い沈黙の後。そう呟いたルドルフさんの顔に、もう仮面はついて居なかった。怯みそうになる気持ちを奮い立たせ、背筋を真っ直ぐ正す。
「やっぱり、そちらが本性なんですね」
「……人聞きが悪いなぁ。人間誰だって、他人に見せたくない裏のひとつふたつ有るものでしょう」
声は至って軽やかで、顔は全くの無表情。不気味だ。だけど、心を殺してしまうような作り笑いよりはずっと良い。こっちの方が、まだ人間らしい。
「君だってそうだろ?アイシラ嬢とずいぶん親しくしているみたいだけれど、元はと言えば彼女こそが君をいざこざに巻き込んだ張本人だ。そんなあの子に君が優しくする理由はなんだい?」
『君にとって、あの子って何?』
唐突に突きつけられた問いに怯む。ぎゅっと、空っぽの手を握りしめた。
「あっ、アイシラちゃんは……っ」
そう言われてみれば、私達の関係って何だろう。いつの間にか親しくなって、明るくて強かなあの子はいつも、恋に臆病な私の背中を押してくれる。一緒に居て、自分も頑張らなきゃって思えるから。
(私はもう、大事な友達だと思ってる、けど……)
始めに絡まれてるのを助けた以外は、私は、彼女に何も返せて居ない。向こうにどう思われてるかは、自信がない。
「ほーら、言い返せないんでしょう?そんな程度のものなんだよ、人間の心なんてものは」
「……っ」
今までで一番、冷めきった声音だった。
『愛だの恋だの友情だの、そんな物全部、まやかしだから』
いつの間にかたどり着いた会場に繋がる扉に寄りかかり、冷めきった目のルドルフさんが呟く。黙り込んだ私を尻目に彼が扉を開けば、その先には重たい空気に似つかわしくない煌びやかなパーティー会場。
足がすくんだ私の背が、トンと軽く押された。
「一応警告しておくよ。明確な関係すら口に出来ないような他人を、助けようなんて思わない方がいい。今夜誰の身に何が起きても、見ないフリをするんだ」
「ルドルフさっ……」
「悪人は、善人の“他人の為”の心を利用する。……だから、今夜だけは情を棄てろ」
『じゃないと、一番愛する者を失うよ』
意味深なその言葉と共に、連絡通路の扉は閉じてしまった。
残された私の居る場所は、丁度王族や高位貴族の使うバルコニーが見える螺旋階段の手前で。
妙に含みがあるルドルフさんの捨て台詞が気にかかって見上げた第一王子殿下用のバルコニーは、兵すらおらずもぬけの殻だった。
アイシラちゃんも一緒だし、二人とも一応監視付きの身だから別室に下がっただけかもしれない。だけど。
(嫌な胸騒ぎがする……)
近場の壁飾りの仮面を付け、王族に挨拶に行く為の列に並ぶ。嫌な予感は的中した。
どのバルコニーにもついている暗殺者等に狙われた際の、緊急脱出用の魔法陣。第一王子の場所のそこに、使われた跡があったのだ。
魔力の残骸を感じ取れたのは、多分私だけだっただろうけれど。
(やられた……!ナターリエ様が恨んでるのは同性の私とアイシラちゃんだろうから、直接第一王子やガイアを傷つけには来ないと思ってたのに……!)
『悪人は、善人の“他人の為”の心を利用する』。ルドルフさんの言葉をそのまま素直に受けとるならば、王子はアイシラちゃんを誘き出すエサだ。多分、二人は今……!
すぐに踵を返して、会場の裏口が見えるテラスに飛び出す。そこから下の茂みに、飛び降りた。
「嫌っ、あんた達何よ!ウィリアム様を離しなさいよ!!……うっ!」
聞きなれた声がすぐ耳を掠めた。茂みに身を隠し覗き見た裏門。そこから今にも発進しようとしている荷馬車の荷台に、ローブの男達が人一人入りそうな布袋を転がすのが見える。
大量の荷物に紛れるように隠された袋は二つ、間違いない。
(もう馬車が出ちゃう、ガイアを呼びに戻る時間は無い……!)
男達が馬の側に移動したその隙を突いて、荷台にこっそり忍び込む。一番大きな空箱に身を隠すと同時に、馬車は猛スピードで走り出した。
~Ep.66 喰えない男~
「…………あれだけ警告してやったのに、やっぱり行くんだ。本当、馬鹿な女」
会場の屋根に立ちこちらを見下ろすルドルフの呟きは、誰の耳にも届かない。
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