3.待ち人

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 紗弥が入院しているのは、以前と同じ総合病院だった。楽しいことで病院に来ることなどまずないとわかっているが、慎一郎が死んだ時も、前に紗弥が事故にあった時も、そして今も、死へ誘おうとする独特のにおいが廊下に立ちこめていた。  個室には紗弥がひとり寝ていた。スツールに置かれたハンドバッグは小雪のものだ。電話をかけてきた彼女は、席をはずしているらしい。  赤い夕陽が紗弥の寝顔を照らしている。店から持ってきた荷物をスツールに置いて、胸にたまった息を吐きだす。  眠っている紗弥の頬をそっとなでた。額に残されたかさぶたが痛々しい。前回は腕に包帯を巻いただけだったが、今回は左腕がギプスで固定されていた。腰から下は掛け布団にかくれて見えない。車いすを置いているところを見ると、足も怪我をしているのだろう。  親指の腹で紗弥のくちびるをなでる。最後に店に来た日を思い出す。この小さな口をとがらせて「ずるい人」だと言った。  自覚はあった。紗弥の気持ちがこちらに向いているかもしれないとわずかな期待にかまけて、ただカウンターの中で待つ日々だった。彼女がどんな思いで足を運んでくれているのか、本音と向き合うのが怖くて逃げてばかりいた。  ゆっくりと顔をよせると、突然、紗弥が目を開いた。眼鏡をかけていない素顔のままで綿谷を見つめてくる。思わず息を止めると、紗弥は綿谷の肩を押して起き上がった。 「どうして……ここに」  起き抜けのかすれた声でそう言った。綿谷はずれた眼鏡を押し上げた。 「どうしてって、君が入院なんてするから」 「誰に聞いたんですか」 「誰って……そりゃあ」  言葉を濁していると、紗弥は頭を抱えてため息をついた。 「……小雪ですよね。誰にも連絡しなくていいって言ったのに」  憎々しげにそう言って顔を反らすので、綿谷は思わず紗弥の頭を抱きよせた。 「とにかく無事でよかった……」  紗弥の頭を抱いたまま安堵のため息をつくと、予想に反して彼女はじっとしていた。真っすぐな黒髪をなでながら綿谷は言う。 「……どうして店に来なくなったの?」 「……最初は……ちょっと困らせてやろうと思っただけで……」  口ごもりながら彼女は言った。綿谷が見下ろすと、紗弥は胸に顔をうずめてしまう。  ギプスをしていない右手を取ると驚いたように顔を上げたが、なぜか涙ぐんでいるようだった。くちびるをきつく結びながら、またうつむいてしまう。 「……だって私が会いたいばっかりじゃ悔しいから、日を空けたら気にしてくれるかなと思って、そしたら本当に仕事が忙しくなって、行かないうちに言い訳はどんどん膨らんで、久しぶりに行ったらどんな顔をするだろうって無駄な期待ばかり膨らんで……綿谷さんから連絡がくるわけでもないのに……」 「会いたいって、僕に?」 「他に誰がいるんですかっ!」  腕の中でしおらしくしていたかと思えば、突然かぶりをふった。意表をつかれた綿谷は彼女の赤くなった顔から目が離せず、笑い声を上げてしまった。 「どうして笑うんですか!」  綿谷のシャツにしがみついたまま、紗弥は叫んだ。瞳はうるんで耳まで赤くなっている。綿谷はこみ上げてくるくすぐったい気持ちをこらえきれず、紗弥の細い体を抱きしめた。 「本当に君って人は……」  紗弥の小さな顎をすくい上げて、口づけを落した。夕日がさしこむ病室は静かで、紗弥の胸が上下する音さえ聞こえてきそうだった。 「もう会えないのかと思うと、胸がつぶれそうだったよ」 「……本当に?」 「君の作戦は成功したようだね。けどもう、こんなことはナシだよ。次やったら僕が君の所に押しかけていくから」 「……薬をもらいに?」 「そう。頭痛薬と、あと胸の痛みを押さえる薬をもらいに……」  そう言ってもう一度口づけようとすると、扉の開閉音が聞こえた。小雪が戻ってきたのかとあわてて体を離すと、扉のむこうには意外な人物が立っていた。
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