1.本当の顔

2/2
32人が本棚に入れています
本棚に追加
/25ページ
 接客どころか料理もまともにできない。喫茶店の嫁として使い物にならない自分と結婚しても何の得もない、と綿谷に告げたが、「薬剤師の仕事を続けてほしい」と軽く返されてしまった。「結婚するからって無理に合わせることはないよ」と彼は言ってくれたが、じゃあ結婚ってなんなのだろうと考えてしまう。  ふと気づくと目の前に怖い顔をした小雪が立っていて、たじろいでしまった。 「明日の主役は紗弥ちゃんなんだよ。いいかげん覚悟決めてよ」 「私は松の木の役で十分満足よ」 「また変なこと言う。衣装合わせの時すっごくきれいだったんだから自信持ってよ」  そう言って携帯電話の画面に写真を出そうとしたので、紗弥はあわてて静止した。 「そんなの見たくない」 「まったくもう……お店に連れて行かないと私が怒られるんだから、早く準備してよね」  小雪は肩をいからせる。子供の頃は素直で可愛くていつもうしろをついてきていたのに、結婚式に関しては彼女の方が上手で、何ひとつ太刀打ちできない。  明日は親族同席のもとで挙式を上げたあと、『ブラックバード』でお披露目パーティをすることになっている。入籍だけでいいと言った紗弥に対し、綿谷は紗弥の両親にドレス姿を見せたいと望んだ。  彼の母親は十年以上前に他界し、大学卒業後に父親も病死している。  ウェディングドレスなんて着ないと言った時の彼は、どこか悲しそうだった。紗弥は、披露宴は絶対にやらないという条件を出し、挙式の予約をした。  今夜は店でお披露目パーティの流れを最終確認することになっている。  幹事は武を含む紗弥の同期生たちで、すでに店に集まっているはずだ。  武がいる場での結婚式の打ち合わせ――想像しただけで、気が滅入ってくる。 「ごめんなさい、まだ家にいるんです。すぐ連れて行きます」  いつの間にか小雪が電話で話している。結婚式前夜に紗弥が逃亡するのではと疑いを持っている同期生たちは小雪を見張り役に抜擢した。「紗弥の様子がおかしかったら連絡しろ」と、ミッションを与えられた彼女は、忠実に役割を果たしている。  逃げ出すなんて無様な真似はしない、けれど明日はこなくてもいい――  こっそり二階に上がろうとすると、すかさず小雪が腕をつかんできた。白い歯を見せてにっこりと笑う最愛の妹。あなたが着た方がドレスもよっぽど嬉しいことだろうと考えながら、紗弥は玄関の方に押し出されていった。
/25ページ

最初のコメントを投稿しよう!