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3.再会と折り紙
自室にかけられたコルクボードを見て、紗弥は息を吐く。
写真には大学の一軍バンドに所属していたメンバーが満面の笑みで写っている。テナーサックスを抱えた紗弥が前列にしゃがみ、背の高い武と綿谷は最後列に立っている。
この時のバンドマスターは綿谷、コンサートマスターは彼と同期生のピアニストだった。髪の長い彼女は、このとき綿谷と付き合っていた。二人は結婚するものだと誰もが思っていた。
――君は、武と一緒になるものだと思っていたから。
いつか言われた綿谷の言葉が頭の中で回る。それはこっちのセリフよ、と考えながら、写真に映る綿谷とピアニストの上級生を見つめる。
綿谷と別れたあと、彼女がプロのピアニストになったことは風の噂で聞いた。四年以上付き合っていた二人が、その後どういう関係にあったかは知らない。今更、聞く勇気もない。
クローゼットを開けて、最後にひとつ残された段ボール箱を空ける。中には文集やアルバム、学生時代に友人たちと交わした手紙や写真がおさめられている。
養父が事故死し、再婚した母と共にこの荻野家へやってきて、もう二十年以上経つ。施設で育った紗弥は、母とも血のつながりがない。実父のことは全く知らないし、生みの母親のことも精神的な病を患って紗弥を施設に預けたとしか聞かされていない。
紗弥の家族は今の両親であり、妹の小雪だ。そしてまた同じ施設出身の武にとっても、彼の家族は有川の両親と亡き弟、そして愛美であるはずだ。
段ボール箱の底に収めていた箱を取りだす。中には緑色の小さな折り紙が入っている。
すり切れたその紙を手に取って、そっと中を開く。
――さやちゃん だいすきだよ たけし
武が施設を出るとき、ハンカチにしのばせてこっそり渡してくれた手紙だ。小学校に上がる前だった彼に書けた言葉は、この三つだけだった。「ち」と「よ」は鏡文字になっているし、内容を知らないものが見れば、「たけし」以外は何を書いているのかもわからないだろう。
彼は手紙の存在を忘れているだろうし、見せようと思ったこともない。ただ、何度捨てようとしても決心がつかなくて、未練がましく箱の中に収めてしまう。
大学で武と再会したとき、この世に奇跡は存在するのだと思った。
入学してすぐの頃、正門のすぐそばで彼とすれ違った。驚くほど背が伸び、金色に染めた髪を獅子のように逆立てていた。思わずふり返って目が合った瞬間、世界の流れが止まった。胸を射抜くような瞳が紗弥をくぎ付けにした。
片時も忘れることのなかった武の存在が目の前にあるのに、一歩が踏み出せなかった。
「……もしかして、紗弥ちゃん?」
すっかり声変わりした男らしい声で武は言った。途端に懐かしい憧憬が眼前に広がって、紗弥は歯をくいしばった。今まで抱えてきた孤独な思いが涙になってあふれ出しそうだった。
「俺のこと、おぼえてない?」
はにかむように笑って、そう言った。するとそばにいた男子学生が「いきなりナンパかよー」と冷やかしたが、彼は「違うって。古い知り合い」と落ち着いた様子で言った。
「武くん……だよね」
何とか声をふりしぼってそう言うと、満面の笑みを浮かべた武が握手を求めてきた。
「やっぱり。一目でわかった。あ、もしかして、今から野外ステージに行くとこ?」
紗弥の手元にある新入生歓迎ライブのチラシを指さすと、もう片方の手に持っていた何かのハードケースを掲げた。
「俺、今から飛び入りで参加させてもらうんだ。聞きに来てよ」
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