3.再会と折り紙

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 身勝手な彼が突然結婚すると言いだしたとき、小雪がどういう態度に出るか不安だった。気持ちを押し殺すことに慣れた妹が武に真っ向から抗議するとは思えず、かといって自分に出る幕はなかった。  同じ出自を持つ紗弥には、親の跡を継ごうとする彼の気持ちが痛いほどわかった。薬剤師の道を選んだのも、同じ仕事をする両親の笑顔が見たい一心だった。  人生の決定権は自分にはない、けれど愛してくれた家族のために生きたいと願う彼の気持ちは、言わずともわかることだった。  けれど唐突に結婚の話は流れた。彼は関東でひとり暮らしをしながら仕事に励み、数ヵ月に一度こちらに戻ってくる生活を送っている。  結婚の破談には、彼の父、有川晴樹の力も動いていたのではと、紗弥は考えている。武自身はかたくなに「フラれた」と言うのでそのことを追及するつもりはなかったが、彼らの結婚はお互いの会社を背負ったものだった。破談になれば、分の悪かった有川商事の経営もただではすまない。  けれど話を聞いていると、業務提携の話はその後滞りなく進んだらしい。社長である有川晴樹が融通したのだろうと、当然、誰もが考える。それとなく武の母に話をふってみたこともあるが、「親は子どもの幸せを願うものよ」と花のような笑顔で言うばかりだった。  人生の決定権はこの手の中にある――それは武だけではなく、自分もそうなのかもしれない。ようやくそう思えるようになった紗弥は、綿谷のプロポーズを受けた。  それなのにいつまでたっても、この折り紙を手放せないでいる。  紙を握ったまま、薄暗い部屋の中でぼんやりしていると、扉のむこうから声がかかった。 「紗弥ちゃん、お風呂どうぞ」  小雪だった。条件反射のように返事をしたとき、紗弥は我に返った。  彼女の幸せを祈るなら、この手紙はあってはいけないものだ。ましてや自分の未来にも、この想いはきっと足かせになる――  すっと立ち上がると、手の中にある折り紙を破り始めた。誰が見ても判別できないように、小さくちぎっていく。それからもう武の顔を思い出さないようにして、他のゴミの中に混ぜた。  施設にいた頃の彼との思い出は、今までの紗弥をずっと支えてきた。必死に現実にしがみついて生きていればまた会える日が来るかもしれない――淡い幻想にすぎなくても、それは生きるエネルギーになった。  それも今夜でおしまいだ。遠い昔の手紙に支えられるのではなく、これからは今の自分を必要としてくれる綿谷を支えて生きていく――  紗弥は手をはたくと、リビングに下りた。髪の濡れた小雪が携帯電話を操作している。紗弥の逃亡を阻止するミッションは未だ続いているらしい。 「逃げやしないわよ」  そう言うと、小雪は顔を上げた。この家で出会った時と同じ、紗弥を信頼している瞳がそこにあった。「あんたも早く寝なさいね」と言い残して風呂場に向かった。  明日の式のために渾身の力をこめて全身を磨いてやろうと思うと、憂鬱だった気持ちも少し晴れる気がした。
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