3.待ち人

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 休憩時間になり、綿谷は携帯電話を握って店の外に出た。濡れた傘を持った人たちが、あわただしく行き来するのを眺めながら、画面を操作する。出るかどうかはわからない。けれど「元気にしてる?」と聞くくらい、問題はないだろう――  飛び出しそうになる心音を飲みこみながら画面に耳をよせる。すると聞こえてきたのは「現在この番号は使われておりません」というアナウンスだった。  綿谷は呆然としながら、画面を見つめた。たしかに「荻野紗弥」と表示されているのに、彼女は既にこの番号を放棄している。いよいよ愛想を尽かされたようだ。小雪なら新しい番号を知っているだろう、しかし聞いていいものか、しつこいと思われないか――店に続く階段の前を行きつ戻りつしながら熟考していると、不意に携帯電話の音が鳴り響いた。  相手は小雪だった。明日のライブのことかと思って応答すると、聞き取りにくい声で言った。 「……紗弥ちゃんが入院してます。お見舞いに来てくれませんか?」  小雪の声が遠くで鳴っている。目の前を商工会の長である男性が「よーう」と言いながら通り過ぎていく。綿谷は条件反射で頭を下げながら、小雪が言ったことを頭の中で反復する。 「入院って……いつから?」 「おとといの昼に、自転車にぶつかられたそうなんです。本人は元気なんですけど、頭を打ってるから、精密検査が必要みたいで」  小雪の説明する声が、うまく耳に届かない。二年前、有川慎一郎の追悼セッションをした夜も、彼女は自動車事故に巻き込まれた。雪道でスリップした車が、彼女が乗っていた車に突っ込んだのだ。運よく命に別状はなかったが、死んでもおかしくないくらい大きな事故だった。  あの時よりも強く、心臓が嫌な音色を立て始める。鼓膜の奥で耳鳴りがして、冷静でいなければと思うほどに頭痛がひどくなる。  小雪に何度か名前を呼ばれて、綿谷は我に返った。 「さっき電話をかけたんだけど、つながらなかったんだ。もしかして紗弥ちゃんの携帯こわれちゃった?」  平静を装おうとゆっくり発声したが、手の震えがおさまらない。 「そうなんです。職場には病院から電話をかけたみたいなんですけど、他は誰にも知らせなくていいからって言われて……でもやっぱり、綿谷さんには来てほしいなと思ったんです……今忙しいですか?」 「いや、大丈夫。すぐ行くよ」  一瞬、ディナータイムのことが頭をよぎったが、この手で育てた頼りになるスタッフがいるのだから、ここは任せようと思った。  詳細を聞いて通話を終了すると、早鐘のようになる心臓をこらえながら、綿谷は踵を返した。
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