5(一保)

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「つき合ってる人、いないんだよね。じゃあ、これなに」  首筋を指で引っかかれて、「ひ、」と息が上がる。顔をそらし、涙目のまま「はなして」と訴えても、「教えてくれるまで離さない」といってどいてくれない。 「友達が、ふざけて……」 「ふざけてキスマークつける友達?そんなのいるわけない。ね、なんで嘘つくの」 「ほんとだよ、それ、男だから…っ、つけたの」  何か誤解をされていると思い言い募る。ところが成一の機嫌は、よくなるどころか急降下してしまった。 「よけい悪い。あなたはスキが多すぎる」  ちゃんと拒否して。でないと、付け入ろうとするやつがいくらでも出てくるよ、おれみたいに。  そう言って、成一が体を起こす。 「一保さんは、自分をしらなすぎるし、人を信用しすぎる。気をつけたほうがいいよ」  そういうと、成一はおれの腕をつかんで、体を起こしてくれた。その勢いのまま腕の中にすっぽりとおさまってしまうと、今度はやさしく抱きしめてくれた。 「ひとの心配するまえに、自分の心配して。ーーちょっと危なかったよ、いま」  注意するだけのつもりだったのに。  成一の言葉に、今のキスの意味を知ってショックを受けた。おれにスキが多い、ってことを教えるために、こんなことをしたのか。  もうちょっとで勘違いするところだった。いまだって、体から欲情が抜けきらない。 「うるせえ、ばか」  自分でも顔が真っ赤になっているのが分かる。悔しい。 「そんな顔で言われてもぜんぜん怖くない。えろいだけ」 「えろいのはおまえだろ、へんたい!」 「おれが変態だったらもう犯してるからね」  落ちていたクッションをぶつけると、成一がいてて、と困った顔をした。 「ちょっと飲み過ぎたかな。お水もってくるね」  好き勝手したくせに、成一は冷静だ。ものすごく悔しい。おれは膝をたてて座ったまま、身動きがとれなくなってしまった。(つまり、体が反応してしまった)  温度差があるのはしかたのないことだと分かっているのだが、ここまで差があると落ち込んでしまう。理不尽に腹を立てそうだ。おまえ、おれがどれほどおまえに会いたかったか、あえてうれしいか、わかってねえだろ、と問いつめたくなる。  ――しないけど。  膝を抱えたまま、深いため息をついた。おさまれ、おさまれと頭の中で唱える。目の前でまだ崩れずにいるジェンガの残骸をみていると忌々しくなってきて、おれはそれを手のひらでぐちゃぐちゃに崩してから、さっさと箱の中に収納した。まったくとんでもないゲームだった。  顔を動かした瞬間、何かが落ちてソファのしたに潜り込んでしまう。手を伸ばして拾おうとすると、指に何かがぶつかった。 「エロ本だったりして……」  成一の女の趣味なんか、知ったら知ったで傷つきそうなのに。  興味本位で、落としたものと一緒にたぐりよせる。  出てきたのは、髪にさされたリンドウの花と、40センチ四方の白い箱だった。高級感のある白い箱の四隅は、何かにぶつけたみたいにへこんでいる。  そっと台所の方角を確認すると、包丁を使っている音がした。なにか肴でもつくってくれるのかもしれない。  罪悪感を感じつつも、ふたをあけた。 「これって」  そこには、使用感の全くない、高そうな聴診器と、封筒に入った手紙が2通、現像した写真が10枚入っていた。 「六人部隊長、だよな」  手紙はさすがにさわらなかったが、箱いっぱいに入っている写真はどうしても目に入ってしまう。  数枚は、引っ越す前の家で撮った写真のようだった。成一と六人部隊長、ふたりでグラスをかかげてファインダーに向かって笑っている写真や、飲み過ぎたのかテーブルに突っ伏している六人部隊長の、寝癖のついた後頭部の写真。ふたりともリラックスしていて、楽しそうで、それなのに写真をみているおれは泣きそうだった。もうみたくない、と思うのに、写真をめくる手が止まらない。  ほかの写真はほとんど、仕事場のものだった。さきほどみた、ぽっちゃりした男と成一、それに六人部隊長の3人が、救急車の前や、署の中で何か作業をしている写真。お互いに強い信頼関係で結ばれているのだと、ひとめみて分かるような。  最後の写真だけ、ほかのものと違っていた。  救急隊の作業着を着て、肩にバッグをかけて走っている、背の高い後ろ姿。逆光でとったのか、うつっているのはその男のぼんやりとしたシルエットだけだ。それなのに、おれにはこれが誰なのか、何をとりたかったのか分かってしまう。六人部隊長。手を伸ばしても届かないあこがれであり、目標。成一が愛した人。  後ろから足音が聞こえてきたので、慌てて箱をとじてソファの下に押し込み、ふたたびテレビのほうをむいて座り込む。 「おまたせ、水にレモン搾ってきたよ~。これでちょっとすっきりするかも」 「ありがと」  話できくのと、目の当たりにするのではダメージが全く違う。水を受け取り口に運びながら、おれの頭のなかではずっと、さっきみた映像がぐわんぐわんと回っていた。好きだったんだ、と思った。本当に本当に、成一はあの人のことを愛していたんだ。 「……ど、どうしたの!?」  勝てる気がしない。  やり直す前は、自分の恋愛のことで頭がいっぱいだったし、お互いに失恋していたからそんなこと考えなかった。でも今は違う。おれだけはメーター満タンまで好きで、相手はおれに1mmの興味もないのだ。平気でキスなんかしちゃえるぐらいに。 「ちょっと……悲しいことを思い出した」  子どもみたいに涙がぼたぼた落ちてくる。片思いがこんなにつらいなんて、妹が読んでいた少女マンガは本当だったんだな。「片思いがつらい」って泣いてる主人公を内心相当バカにしていたが、申し訳なかった。これはかなりつらいし、苦しい。今すぐやめちゃいたいぐらいに。 「うそ。これおれの特技。前世は噴水だったから水のんだら眼からだせんの。すげえだろ」  成一が側に寄ってきて、指で涙をぬぐった。 「悲しいことを思い出すのは、おれも良くある」  長くて整った指が頬をなぞり、顎のラインにふれる。さわるのが上手いんだな、と思う。さっきキスされたときも、耳や髪をなでる指が気持ちよくてうっとりしてしまった。このまま抱かれてもいいや、って思うぐらいに。 「聞いてもいいですか」  さっきから、敬語になったりタメ口になったり忙しい。もう敬語使わなくていいよ、とつぶやいたら、どこか上の空で「うん」と返された。 「なに、どうぞ」 「さっき電話したとき、なにがあったの?」  説明しようと口を開きかけて、やめた。どう説明すればいいのか分からなかったし、そのまま説明したときの反応が怖かった。 「これと関係あるの」  指でなでられた場所は、たぶん千葉がキスマークをつけたところだ。  おれは膝を抱いてその上に顎をのせ、成一の手を振り払った。 「告白された」  成一の動きがとまった。のぞきこんできた顔をみることができなくて、おれは目をそらして続けた。 「それで、断ったらあきらめられないって言われて……これ、つけられた。友達だと思ってたやつだったから、びっくりして」  ――小学生か!!  小学生が学校であった悲しいことを、家帰って母ちゃんに説明してんのか!!  自分でそうつっこみたくなるぐらい拙い内容しか出てこない。情けない。いい年をしているのに、なんてざまだ。 「でもおれも悪いんだ。押しのけようと思えばできたけど、怪我させるかもって考えて反応が遅れた。力の強い相手だったから、怪我させずにやめさせることが難しかったし、もしそうなったら仕事に差し支え……」 「その人、同僚なの?」  低い声に、顔を上げる。目の前の成一は、みたことがないほど険しい顔をしていた。  しまった、と思ったがもう遅い。おれは黙って首を振り、「もういいだろ、この話は」と打ち切って立ち上がろうとした。 「よくない。断ってるのに、押さえつけてこんなことするなんて。もっとひどいことされてたかもしれないんだよ、分かってるの?そのひととこれからも一緒に働くんでしょ、大丈夫なの?」  千葉をすごく悪い人間のように言われて、思わずおれも言い返してしまう。 「いいやつだよ。おれなんか好きだって言ってくれて、それも二度も……応えられたらって思った、でも無理だった」  これ以上はダメだ。  このままだと言わなくていいことまで言ってしまう。 「……どうして」 「すきなひとがいる」  口が勝手に動いて止まらない。 「あきらめたいのに、あきらめられない」  レコードはいつの間にか止まっていた。しんと静まりかえった部屋の中で、時計の針がすすむ、カチ、コチという音だけがいやに響いている。 「じゃあさっき、どうしてキスさせてくれたの」  妙にしんとした声で、成一が言った。目が合う。少し悲しげな、静かな表情だった。  どうしてそんなことをきくんだよ、と腹が立った。好きだからに決まってるだろ、といいたいのに言えないのは、捨てられないプライドのせいだろうか?相手からの愛が得られないと分かっているのに、自分の思いを打ち明けることの怖さと苦しみを考えてはじめて、千葉の気持ちが分かって、息がくるしくなった。こんな風に思っていてくれたのか。伝えてくれたのか。嬉しい。嬉しいし、もう一度おまえのことを好きになれたらいいのに、と思った。  あんなにも好きだったのに、おれはもう同じ気持ちで千葉を好きになることができない。こんなにも苦しいのに、成一を好きでいることをやめられない。なんて面倒くさいんだろう、やめられるものならもう、恋愛なんか一生やめてしまいたい。 「したことなかったから、してみたかった」 「したことなかった?キスを?」 「うん」  うそだろ、という独り言をもらして、成一がへなへなとおれのそばにしゃがみこんだ。そうだよ嘘だよ。おまえとキスしたかったんだよ。だから振り払わなかった。でも言えるわけがないので黙っていたら、「ごめん、おれなんかが初めてになってしまって」と言われて眉を寄せて成一をにらみつけた。おれなんか、とはなんだ。例えお前自身であっても、おれの好きな星野成一を悪く言うことは許さんぞ。 「おれ、あなたの顔がすごく好みで。ちょっと、ムラッとしちゃったんだ。ごめん」  また謝られた。ごめん、ばっかりいいやがって。お前、職場でも「すいません」ばっか言ってるだろ、と思ったが言わなかった。 「はじめてみたときから、その眼……猫みたいで、きれいだなって思ってた。鼻筋も、高くてつんとしてて、でも笑うとかわいくて、やばい、めちゃくちゃこのひとの顔が好きって」  顔がいいのは知っている。おれだって自分の顔は好きだ。  でもまさか、成一がおれの顔を気に入っていたなんて、しらなかった。 「ありがと。よく言われるけど嬉しいよ」 「うわっ、いまの言い方三嶋先生っぽかった」  ちょっと嫌そうな顔でそういって、成一が笑った。それから、三嶋先生っていうのはおれが好きだったひとの恋人でね、ぞっとするほど美形なんだよ、と説明してくれた。知ってるよ、と思ったが言わずにおいた。 「おれもおまえの顔すきだよ。かっこよくて、眼がやさしくてきれいな色をしてる」 「……ありがとう」 「でもそれ以上に、お前の心が好き。やさしくて誠実で、一緒にいたらほっとする」  さっき成一にされたように、指で頬をなでてやると、成一は耳まで真っ赤になった。  これはもうほとんど告白だ。  ――そう思われたっていい。  失恋で自信を喪失して、へんな女を引き当てたせいか、成一はどことなく元気がない。おれの言葉で、少しでも自分のいいところに気付いてくれたらいいのに。  先に風呂に入らせてもらってから成一が入っている間、テレビをつけ、ぼんやりとニュースを眺めた。半分ワイドショーみたいなテレビ番組は、『謎の失踪 厳しすぎた英才教育』とかいうテロップで、綿谷いつかの特集をしていた。  いつかの母親は元ヴァイオリニストで、一部の関係者からは「異常といっていいほど息子に干渉していた」とか「ヒステリックで怒りっぽく、つねに綿谷いつかを監視して友人も作らせなかった」とか、「自分の手元に置いておくために留学の話をことごとく握りつぶした」とか、かなり散々に言われていた。ここまで言われるということは、実際ひどいものだったんだろう。演奏している映像はどれも、音は素晴らしいが暗い表情が多く、生き生きと弾いている姿がみられるのは、生野千早とのセッションだけだ。ジャズミュージシャンとクラシックヴァイオリニストなんて、なかなか接点がなさそうなものだが。  帽子を目深にかぶり、ひとと目を合わせようとはせず、まるで自分の身を隠すみたいに黒い服をきて縮こまっていた綿谷いつかを思い出すと、胸の奥が切なくなった。おれと話すときはあんなに不遜な態度だったのに、眠るときは存在を消すみたいに丸まって寝ていた。考えてみれば、態度が不遜だったわけではなく、他人と話すのが恐かったのかもしれない。航太郎の生まれ変わりだという説はもはや否定の方向だが、歳の離れたこどもとして、あいつに何かできることがあるだろうか、と考えたりした。おそらく、彼自身は望んでいないだろうけれど。  暗い気持ちになってテレビを消す。ステレオでラジオを聴き、明日の天気が晴れだということと、気温が今日よりも下がって冷え込むらしいということを知った。  時計をみると、もう20時を過ぎていた。夜ごはんはピザが食べたくなったので、さきほど成一がおすすめだという窯焼きピザの出前を取った。確かに、ひとりで3枚は食べられそうなぐらい、おいしいピザだった。ピザにはコーラだ、といって、体に悪いことを知りつつふたりで瓶のコーラを飲み、成一が「罪悪感を薄めるために」サラダを作ってくれた。  風呂に入る前、成一は日課のランニングに誘ってきたが、今日は走りたくなかったので断った。明けの日に運動をしすぎると、低血糖と疲労で倒れてしまうことがある。なので、最近は疲労回復にも気を遣うようにしていた。ランニングは泳ぐのと同じぐらい大好きなんだけど。  持ってきた長袖のラグランシャツとスウェット姿で、ラグの上で寝そべって雑誌を読んでいたら、成一が出てきた。湯気と一緒にジャスミンの香りがして、思わずスンスンと匂いをかいでしまった。  自分の手首からも同じ匂いがして、恋人のようでテンションが上がったが、顔には出さない。 「何か飲む?ソフトドリンクなら麦茶、水は硬いヤツと柔らかいヤツ、オレンジジュースがあるけど」 「……お前んちはちょっとした美容院か。普通の水がいいや、ありがと」  まさか硬水まであるとは思わず驚きかけたが、バレエダンサーは自分の身体を厳密に管理するクセがつくのだときいたことがある。よくまあおれに付き合ってピザだのコーラだの飲み食いしてくれたものだ。  グラスになみなみと注がれた水を飲みほす。まだ夜は長いし、ラグに座りこんで爪をきり、指の爪にはやすりをかけている成一を見つつ、洗濯物を適当に畳んでソファに置いだ。泊めてもらった恩返しにと思ったのだが、「そんなことしなくて大丈夫だよ!でもありがとう」とすごく遠慮されてしまった。 「すげえな、やすりまでかけてんの」 「仕事柄、傷病者にさわることがあるんだけど、切りっぱなしの爪だと断面が鋭利になって痛いからって上司がやってたんだよね。そんなこと考えた事もなかったから驚いたんだけど。言われてみればおれもその人も、爪の白いところが少なくてギリギリまで生えてるから深く切れないんだよな。それで、マネしてやすりかけてるんだよ。これなら相手が暴れた時も、うっかり肌にあたって傷つけたりせずにすむ」  しばし黙って成一のうつむいている頭をみつめていた。のんびりしてみえるけど、仕事に対しては本当にストイックだ。 「かっこいいなあ……プロじゃん。あれ出れそう、MHKの仕事の流儀」  顔を上げた成一が、爪切りをちゃぶ台に置いてから「あはは」と笑った。 「いま居るHRなら出られるかもしれないけど、救急は無理だろうな、地味すぎて」  テレビも世間の人々も、派手な仕事が好きだ。本当に生活を支えているのは、地味で大変で目立たない仕事なのだが、どうしても映像にしたときかっこいいもの、目立つものに注目が集まるし、注目が集まるとそこを目指す人が増える。目指した人々が出世して重要な位置をしめるようになり、結果的に予算がついていくのは消防になるというわけだ。  これからの高齢化社会でより必要性が高いのは消防隊ではなく救急隊であることは間違いない。けれど現状、消防組織の中枢を占める人間は「救急畑」の人間よりも「消防畑」の人間が圧倒的に多く、消防隊の装備は充実しても救急隊の人数が増えたり装備が充実したりしない。既に権力を持っている層は、決して手放そうとしないものだ。だから組織を変えるのは難しい。どうしても変えたければ、自分が出世して変えていくしかない。 「六人部隊長が出世したい理由、なんとなく分かるわ。HRもそのための足掛かりなんだろうな。憎たらしいぐらいかっこいいな、あの人」  おれがぽつりと言った言葉に、成一が「うん」と低い声で頷く。 「不器用で人見知りで、体育会系の仕事向いてなさそうなのに、抜群に仕事ができて頭がいい。おれはあのひとみたいにはなれないけど、せめて仕事に対して常に誠実でありたいと思ってるよ」  誠実という言葉はありふれているが、実行するのは難しい。  そんな中、成一は数少ない「実行者」だ。 「お前ほど誠実なやつみたことないって。星野誠実に名前変えたらいいよ、似てるからばれずに変えられるって、音感も似てるし」 「全然嬉しくない!!」  手を伸ばして、憤慨している成一のねこっけをふわふわと撫でてやる。  まだ少し濡れている茶色くて柔らかい髪から、おれのと同じ匂いがした。  それからしばらくふたりでラグの上でごろごろしたり、仕事の話をしたりしていたが、明けの日ということもあって、夜10時前には眠くてうつらうつらしはじめた。  くやしいし、情けない。起きていたい、もっと話をしていたいのに、上まぶたさんと下まぶたさんが勝手に降りてくるのだ。まるで引き離された恋人同士みたいにくっつこうとする。 「一保さん、残念なお知らせがあります」  洗面所で並んで歯を磨いていると、タオルを渡してくれながら成一が言った。 「客用の布団、昨日の雨漏りでびしょびしょになってですね、まだ使えないんです」  眉を下げ、申し訳なさそうな顔で奥の部屋のベッドを指さす。 「ふつう、お客様が来たら新しいシーツや布団でおもてなしすべきだと思うんだけど、おれのベッドで我慢してくれる?シーツは新しいのに変えてあるから」  明日の朝、何時に起こせばいいか確認してくれた成一が、「それじゃまた明日」と言って毛布を持ってソファのほうへと歩いていく。 「待て。お前まさか自分はソファで寝るとか言いだすの?紳士か。女子じゃねーんだから一緒に寝ればいいじゃん!」  いや、お前が嫌なら、おれがソファで寝るけど…、と最後の声は小さくなってしまったが伝え終えると、成一は顔をしかめ、顎に手をあてて「うーん」と考えこんでしまった。 「……ちょっと、自信がなくて」 「え、なにが」  嫌そうにされたことに少なからずショックを受けていると、成一がまあいいや、と言っておれの肩を抱き、「じゃあ壁側に一保さんが寝てね、落ちちゃうといけないから」と笑って誘導した。  寝室になっている奥の部屋は、畳ではあったけれども間接照明のふしぎな形をしたランプが美しく、オレンジ色のくらい光のおかげでとても雰囲気がある。雰囲気が……あるのがいいことなのかはさておいて……(早く寝ないと襲ってしまいそう)、ベッドもクイーンかそれ以上の大きさだ。部屋の半分はベッドで埋まっている。 「こういう身長だから、足がはみ出さないベッドは必然的に大きくなっちゃうんだよね」  本当にそれだけなんだろうか。かつて結婚も考えた彼女、とかがいたんじゃないだろうか。  やり直す前と、少しずつ違う今の成一。もう考え出すとキリがないので、もぞもぞとベッドに上がりこみ、壁沿いに横になって目を閉じた。ややあって、やわらかい生地のTシャツとスウェットを着た成一が布団に入ってきてこちらを向き、「おやすみ」と囁いた。それはどこか淫靡な、熱のようなものを感じさせる声だった。  おれは閉じていた眼をひらいて、身体ごと成一に向き直った。10センチの距離で、成一と眼が合って、恥ずかしくて目をそらす。 ――やばい。好きな男とこの距離で、しかもベッドの中って。変な気持ちにならないほうが難しい。 「一保さん」 「なんだよ」  名前を呼ばれて、視線を上げる。  成一のほうが身長が高いから、寝ころんでいても自然、見上げるような体勢になってしまうのがくやしい。  名前を呼んでおいて、何も言おうとしない成一の心を探りたくなって、おれは身体をもう少し成一に近づけた。お互い横を向いて見つめ合っているから、近づくと手や足が当たって体温を感じる。ふれた手が、おどろくほど熱くてびっくりして、「なに、ねむいの?」と尋ねた。 「いや、どっちかっていうと、逆かな」 「え?どういうこと」  質問には答えないまま、成一の腕が伸びてきた。声を出す暇もない速さで抱き寄せられ、成一の胸にすっぽりとおさまってしまう。 「一保さん」 「な、な、なに」  身体が戦慄く。混乱していた。同時にものすごく興奮もしていた。  成一の匂いがして、背中を抱いている手のひらはとてつもなく優しくおれの背中を撫でている。 「もう一回、しようか」  いつの間にか髪をなでていた手のひらが頬をつつみ、顔を上げさせられる。  唇が重なり、さきほどよりももっと性的で、直接的なキスに意識が奪われていく。眠気が一億光年先に吹っ飛んで、にわかに身体が覚醒した。髪をやさしく梳かれ、指が頭皮にふれてそのまま項をたどり、覆いかぶさりながら深く口づけられる。  息苦しくて顔をそらすと、咎めるように甘く舌を噛まれた。  右手の指は項をとおりこして、シャツの中にもぐりこんできた。けれど成一らしく、むりやり自分の方を向かせようとはしなかった。そらした首筋に唇の冷たい感触があって、ややすると、舌があたり、きつく吸い上げられる。  手のひらがシャツの中に入ってこようとしたとき、はっとして成一を見た。彼も伺うようにじっとおれをみつめていた。視線で火傷するとしたら、いまのようなときだろう。真剣な顔だった。 「止めなくていいの?」と問われていた。声ではなく、視線でだ。  多分正解は、意図を問うか、思いを伝えるか、どちらかだったと思う。好きだって伝えればこの行為は正当化される。そうすれば、たとえ彼が失恋したあとの寂しさでなんとなくおれに手を出していたとしても、目が覚め、やめただろう。  でもおればバカなので、そのどちらもせずに成一がおれの服を脱がせようとするのを腰を上げて手伝い、あまつさえ彼のスウェットの結んだ紐を、指を伸ばして解きさえした。その手は震えていたが、多分気付かれなかっただろう。  成一は何も言わずに着ていた服を脱ぎ、やさしく丁寧におれの服を脱がせた。それから、閉じようとする足を有無を言わさず開かせ、正面から覆いかぶさってきた。手のひらが全身をまさぐり、背筋や、内腿をたどりながら、おれの反応を注意深く眺めた。あからさまな場所には触らずに。  全身にキスされて、とろとろに溶かされた。お互いの息が浅くて、興奮しているのが自分だけじゃないことに安心する。 指が胸を撫で回し、乳首をひっかいてから指でぎゅっとつままれて、とうとう声を上げてしまった。執拗に首筋を舐めていた舌が右側のそこに寄せられ、歯を立てられる。 「あ、…っ、噛むな…やだ」  身をよじって堪えきれずに声を出すと、見下ろしている成一の視線が、動物みたいにぎらりと光った。怒っているような顔。これは成一が欲情している顔だ。やり直す前、何度も寝たからしっている。とはいっても、日にするとたった1日のことだったけれど。 「ねえ、さわって」  腕を掴まれ、そこに導かれた。抱き合ったまま成一の肩に顔を預け、下着の上から彼のいきりたったものに触れる。熱くて、もう先を濡らしているそれ。  指でかたちを確認するようになぞり、下着をずらして直接さわる。大きくて硬いそれをゆっくり上下に擦ると、真上にある成一の顔が苦しそうに歪んだ。こらえるような、悔しそうな顔に興奮する。おれがこの顔をさせているのだ、と思うとたまらない。  濡れた音とお互いの吐息が静かな部屋に響く。身体が熱くて熱くて、発熱でもしてるんじゃないかと思うほどだ。  手のひらの中で育っていく成一のものは、腹に当たりそうなぐらいたちあがり、先走りが指に流れ落ちてくる。舐めたいな、と思った。口の中で、どんな味がしたか思い出したい。喉の奥まで入れてほしい。 「だめだ、いきそう」  身体を起こした成一が、ベッドサイドの棚から何かを取出し、てのひらに出した。よく見えなかったけれど、多分ローションのようなものを。それから、膝裏に手をいれ、ぐいと足を開かせた。膝が顔につきそうな、恥ずかしい恰好に顔が熱くなる。自分の興奮しているものも、もっと奥のほうも、全部成一に見られていた。 「ああっ、まって」  濡れた指が襞をぐるりとなぞってから、中に入ってきた。いまの身体はこういう行為をしたことがないので、指一本でも異物感と圧迫感が強くて息が止まる。は、と浅い息を苦しげにしていたせいか、成一が左手で髪を撫で、額にキスを落としてきた。 「痛い?だいじょうぶ?」 「うん……いたくない」  声が掠れる。ぬち、ぬちと音を立てて中をさぐられ、時間をかけて濡らされてから、指が増やされていく。その間もずっとキスをされていた。やわらかいくちびるの感触と、まるでおれの気持ちいい場所をはじめから知っていたみたいな官能的なキスに、この行為の意味だとか理由だとかは、考えられなくなっていく。間違った事だ、と頭のどこかでは分かっているのに、止められない。止めてほしくない、絶対に。  三本目の指が入ってきて、中を探られるうちに身体に電気が走った。背筋が浮くような、ぞわぞわとした強い快感に、持ち上げられた足がびくんと揺れた。 「ひ、や、やめろ、そこやだ、抜いてっ」  顔をそらしたおれの耳元で、成一が低い声でささやいた。 「どうしよう。もう、我慢できなくなってきた」  指が執拗にそこを弄ってきて、快感と底知れないおそろしさに、両足で成一の首をぎゅっとしめてしまう。  成一は「くるしい」と言って笑ってから、おれの濡れた穴に自分のものをひたりと当てた。いつのまにかゴムのついているそれが、入り口付近をゆっくり、出たり入ったりする。 「あ、あ、うう…」 「一保さん」  圧し掛かっている成一が、名前を呼んだ。圧迫感に目を閉じていたおれは、その声のひたむきな響きに目をひらく。  自分の開いた太腿と、その上に必死な顔をしている成一がみえた。額に汗をにじませた苦しげな顔をしていたのに、目が合った瞬間、安心させるように微笑んでくれた。 「痛かったら言ってね、ゆっくりするけど」 「いいから……はやく、きて」  ぐ、と太いところが入ってきて、想像していたよりも大きい苦しさに、おれは顎を上げてのけぞる。荒い息を吐きながら、成一は一気に奥まで入ってきてから、中を慣らすように、何度かゆっくりと出たり入ったりを繰り返した。 「大丈夫?」  苦しさにうまく返事ができなくて、おれはこくこくと頷いた。  正面から抱かれることは、記憶の上でも長い間なかった。千葉の暴力から圧し掛かられることが怖くなっていたころ、成一とセックスするときも、横からしたり後ろからしたり、おれが上に乗ったりしていた。だから今、すぐ近くで、お互いの顔を見つめながらできることが、ものすごく嬉しくて、同じぐらい恥ずかしい。 「ここだよね、一保さんのいいところ」 「んあっ!?…あっ、あっ…や、やめて、ああっ」  おれの両足を肩にのせ、ぐっと奥に突き込まれる。体の中、自分でも知らなかった気持ちのいい場所を成一のもので突かれて、全身から汗が噴き出すほど感じてしまう。 「かわいいな……」  ひとりごとのように言ってから突然、激しく腰を動かしはじめる。ベッドがギイギイ音を立て、隣に聞こえてしまうんじゃないかと思うほど、肌のぶつかる音がする。 「成一、となり、こえ…っ、あ、――ッ!」  もう上手く話すこともできない。汗にぬれたお互いの身体が重なり、その腹に自分のものが擦れて、おれは先にいってしまった。 「ん…、ふさぐ…?」  びくびくと震える身体を抱きしめてから、成一が言った。いってる最中も激しく突かれ、おれは理性なんか全部どこかへ投げやって、自分から口を開け舌を出してキスをせがんだ。 「ふさいで、せいいち、……キスして」  言い終わる前に口を塞がれ、舌が咥内を蹂躙する。余裕がないのか、さっきまでのようなやさしいキスではなく、全部奪いつくすみたいな、いやらしいキスだった。 「ん、んう」 「っは、だめだ、いく」  腰をつかまれ、激しく揺さぶられて、一番奥まではいってきていた成一のものが、びくりと痙攣する。荒い息を吐きながら、名前を呼ばれた。 「一保」  成一に呼び捨てにされたのははじめてだった。  心臓をぎゅっとつかまれたような欲情が爆発して、成一といっしょにまたしても達してしまう。目を閉じ、感じ入った表情に見惚れていたら、出し切った成一がそのままおれの上にずしんと重なってくる。かわいくて、その髪をやさしく撫でた。成一は達してからも、くびすじにキスをしながら長い時間つながったままでいた。 「抜くね」 「ん……」  出ていく感じに、背筋がふるえた。  繋がりがとかれてすぐ、恥ずかしさがこみあげてきて、おれは寝返りをうって成一に背中を向けてしまった。 「一保さん」   達して冷静になった今、どんな顔をしたらいいのか分からなかった。  どうして、という気持ちと、でもしたかった、という気持ちがせめぎあっていた。いい年をして、はっきりさせる前に寝てしまった。好きも付き合おうもないまま、身体だけつなげてしまった。  冷水をあびせられたように心が冷えるのは、成一がそんな人間じゃない、と知っているからだった。  成一は、愛するひとを心から大事にするやつだ。  だから、おれのことが好きなら、想いも伝えず、抱いたりしない。 「怒ってる?」 「いや……」  うなじに唇が押し当てられ、強く吸われた。痕がつきそうで身をよじると、後ろから抱き寄せられ、角度を変えてまた吸われる。 「やっぱり、ソファで寝ればよかったな。我慢できそうにないって、分かってたのに」  ひとりごとのような声に、おれはそっとうしろを振り返ったが、成一はもう寝息を立てていた。  整った優しげな顔立ちの、以前より濃くなったそばかす。起こさないように、そっとそこにキスをしてから、おれも目を閉じる。久しぶりで、はじめてのセックスに、身体も心もへとへとに疲れていた。  目の前にあった成一の手に自分のてのひらを重ねる。成一の寝顔をしばらく眺めていたかったけれど、今日はもう脳がパンクしそうだ。 「おやすみ」  考えるのを後回しにして、おれは眠った。  ――このときは、まさかこの行為が後々まで自分を苦しめることになるなんて、考えもしなかった。
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