壱 花笑む縁組み

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「そういうことか」  伊吹は璃子のそばまでやってくると、するり、帯を解く。さらに、裾よけ、肌襦袢を、手際よく着付ける。伊吹の手によって、あっという間に仲居の出来上がりだ。  ――わたし、裸……。 「よし、申し分ないな」  呆然とする璃子をながめて、伊吹は満足そうに言った。 「若旦那様、お見事です」  雪は淡々と言った。 「嫌っ!」  正面に立つ伊吹を押しやろうと伸ばした、璃子の手首が掴まれる。 「浅はかな。何度も同じ手を」  伊吹は勝ち誇ったような表情をした。 「勝手に女性の着替えを……裸を見るなんてひどい」 「勝手にもなにも、ここは私の宿だ。それに女の裸なぞ見慣れておるし、ましてや璃子は私の妻だ。気にするな」  ――気にするよ!  嫁入り前なのに、という言葉は飲み込んだ。璃子は伊吹と一応は婚姻を結んだのだ。しかし、なんだかもやっとする。 「仕事のために、形だけの結婚だと思って契約しました。お金に困っているんです。わたしには、他に頼れるひともいません。それに、このホテルで働くことは憧れでした。だけど、あなたの妻としての務めは果たせません。クビにしていただいてけっこうです」 「妻としての務め?」  伊吹は着物の袖口に手を入れ腕を組み、首を捻った。 「床入りのことでは?」  雪が伊吹に耳打ちする。  伊吹は「そうか」と頷く。 「そなたには、森羅万象に耳を澄ます力がある。その力を使って、旅人の疲れを癒やしてほしい。とにかくプレオープンも近い。人手がいる」 「森羅万象?」  ――どちらかと言えば、それって神様のお仕事でしょう? 「璃子、そなたならできるはずだ。早々に修行せよ」  森羅万象に耳を澄ますとはたとえで、つまり、旅人を『心からもてなせ』ということだろうか。  ――わたしに、できるのかな。 「時間がかかりそうだな」  伊吹はため息をついた。 「致し方ない。床入りは、璃子が宿の仕事に慣れてからでかまわん」 「えっ!」  璃子は慌てて後ずさりし、真っ赤になって首を振るのだった。
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