弐 朝餉はごゆるりと

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※  地下鉄の改札を抜け地上に出ればまもなく、たまゆら屋が見えてきた。 「ビャク、これからも璃子の見守りを頼む」 「え〜、私一人では怖いですよお」  背後から、伊吹とビャクの会話が耳に入る。璃子にすれば、かなりスリリングな体験だったのに、二人のやりとりはどこかゆるかった。  ――アレは、なんだったのだろう。  黒い霧の正体は謎であるが、恐ろしいことが自分の身に降り掛かったのは現実だ。そして、また襲われないとも限らない。  なにかあれば直ちに伊吹に助けを求めるよう言われているものの、それには一応ルールがあるらしく。 「お供え物をしたり祝詞を捧げたりすると、神様へ人々のお願いごとが届くのです」  ビャクの説明を、璃子なりに噛み砕いて理解する。  ――お供え物って、今朝の『鯛めし』のことかな。  また、神様は、供物や祝詞と同等程度の願いしか叶えられない、さらに、願いが聞き届けられた場合――。 「ふふん。五円でよいぞ」  璃子は財布から五円玉を取り出し、守銭奴のような表情を浮かべる伊吹へと渡す。  ――お賽銭って、神様への謝礼だったの?  やはり、世の中お金なのだろうか。璃子はため息をつく。 「お賽銭は、米の代わりになるお供え物であり、日頃の感謝ですよ。さきほどの伊吹様は、そこそこの神通力をお使いになったので、五円は破格の値段。まさにブラックフライデーです」 「ええ、意外とプチプラ……」  璃子は次第にお得感を……。  ――感じない!  どうにも、最初から二人に丸め込まれているだけのような気がしてならないのだった。  そこへ、唐突にクラクション。いかにも高級車という黒塗りのセダンが三人を追い越し、たまゆら屋の地下駐車場へと降りていった。 「伊吹様、あれは!」  ビャクの声に、伊吹が険しい顔つきになる。 「予定よりずいぶん帰りが早いな」  極々自然に、伊吹が璃子の手を握りしめる。 「璃子よ、これより軽々しく真名(まな)を明かすでないぞ」  ――真名?  伊吹の神妙な面持ちに、璃子も緊張する。 「呪われるんですね」  真名とは仮名に対して漢字を指す、または真実の名を指す。真名を知られると呪術によって縛られる、という知識はアニメや漫画で仕入れたものだ。璃子は、ゴクリとつばを飲む。 「最近の若者はSNSで真名を晒すことに危機感がないようであるが、せめて公開範囲は友達までに設定すべきだな」  璃子から顔を背け、伊吹はボソボソと言った。 「いったいなんの話ですか?」  璃子はわけが分からず訊き返す。 「おそらく伊吹様は、璃子さんと手をつなぎたかっただけじゃないでしょうか? そして少し照れておられます」  ビャクは訳知り顔でそう言い、ふふふ、と笑った。  
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