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2  平木と私は毎週二回、閉店後、近くのスポーツセンターでシャトルを打ち合うようになった。  平木は娘を図書コーナーで宿題をさせながら、私達はおよそ一時間、汗を流した。  平木の実力は私を数段上回っていたが、それでも私は昔の経験から、なんとか私は平木の相手を務めることができた。  ラケットを握った平木は別人であった。短パン姿で前後左右に機敏に動き、眼にも止まらぬ速さでラケットを振りぬく。猫背で店に入ってくる平木と同じ人間とは思えなかった。  汗をかくことなど学生時代からまったく遠のいていた私は、週二回のシャトルに集中する時間が待ち遠しくなった。  それは、単調な喫茶店経営の生活に投与された一抹の清涼剤であった。  その日も、いつものように平木が物静かにモーニングを頬張っていた。  私が洗いものにむかっていると、エフエム横浜が証券会社の不祥事を伝えていた。コンピューターへの不正侵入により大量の顧客の個人情報が漏れたという。  私は思わず、十年前に発生した銀行時代の辛い経験を思い出した。  それは、新しい管理システムが稼動してから一週間がたった日であった。私はシステム開発部の部長を務めていた。夜中、携帯電話がなり、技術を担当する部下に起こされた。 「部長、KMエンジニアリングから連絡がありました」  うわずった声が、重篤な事件であることを知らせていた。KMエンジニアリングは当行の新システムを開発した企業だ。 このような急な連絡は年に何度かはあり、大抵は大事にならずに済むのが常であった。 「落ち着いて状況を説明しなさい」  私は、眼を擦りながら部下を落ち着かせた。システムが何者かに攻撃されているらしく、このまま朝を迎えると顧客情報や当行の資金運用に関する機密情報が全て漏洩してしまうという。  最悪の場合は明日のシステム運用を全て止めなければならないと、部下は声を震わせた。  私はKMエンジニアリングの担当者と連絡をとり、朝までに対応する指示を出した。  さすがに私も心配になり、車で職場に駆けつけた。職場では三人の若い担当者が青白い顔で画面を見つめていた。  電話越しに、担当者は「何とかしろ!」とKMエンジニアリングの社員を怒鳴りつけている。 「大変です。KMエンジニアリングの担当者と…」  もっともこのシステムに精通している担当者と連絡がとれないという。次々と入ってくるのは悪い情報ばかりだった。  私は脂汗を流しながら、未明の四時、本社と連絡をとった。  いよいよその日のシステムの運用を中止にすることも覚悟する段になった。そうなれば、顧客や銀行の運営に与える影響は計り知れない。  午前六時、事態は好転しない。本社の判断で「システム中断」の決断が下された。  が、それはまだ悲劇の幕開けであった。  KMエンジニアリングから連絡が入り、システムが中断できないと言う。未だに最も詳しい担当者と連絡がとれないらしい。 「くそっ、KMの奴ら、こんな緊急事態で連絡がとれないなんて。どうなってるんだ!」若い部下がキーボードを叩いて、頭を抱えた。  私は、直接電話をとり、KMの担当者を怒鳴りつけた。なんとしてもシステムを中断しなければ機密情報や個人情報が漏洩してしまう………。  それは忘れもしない平成十×年十一月十一日のことだ。「三・一一」や「九・一一」と同じ「一」が並んだ忌まわしい日だった。 翌朝の新聞はこの話題でもちきりだった。 『○○銀行、七万人分漏洩』  私の部下達は次々と会社を去っていった。私はポストをはずされ、漏洩した顧客へ謝罪の文書を送る担当の統括を命じられた。  当日、ついに連絡のとれなかったKMエンジニアリングの担当者は妻の出産に立ち会っていたという情報ももたらされた。事件が取り返しのつかないことになったのだ。  どうでもよい情報であった。それから、私は正月が明けてまもなく会社を去った。  喫茶店で流れるラジオのニュースから、思わず辛い過去を振り返り、もの思いに耽ってしまった。洗いものに向かいながらどれくらいの時間が経ったのだろう。  額から脂汗がひとつ落ちた。いつの間にか店から平木の姿は消えていた。
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