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 3 「市民大会があるんです。春と秋の年二回」  あるとき、平木が地元の広報紙からその情報を得てからは、私たちは具体的な目標ができて、ますます週に二度の練習に熱を入れた。  考えてみれば、アラフォー世代の男二人が、スポーツセンターでバドミントンに打ち込んでいる姿は、世間から見ればあまり見栄えの良いものではなかったろう。が、私達は他人眼をはばからず、汗を流した。 「二部でもいけると思いますが、まずは三部で優勝を狙ってみたらどうです?」  平木のアドバイスで三部に挑戦すると、私は三度目の挑戦で準優勝を果たした。  私は次第にランクを上げていくことに喜びを覚えた。  平木はといえば最もレベルの高い一部で常に常にベスト8に残った。が、そこから上の壁は厚かった。  バドミントンは明らかに私の心の中心的な位置を占めるようになっていた。平木も同様で、いつの間にか度の厚い眼鏡をコンタクトに代え、陰気な中年男はどこかへ吹き飛び、颯爽とした壮年スポーツマンに変わっていた。  三年後、私は店を大きくした。  バドミントンを始めてからというもの、身体に起爆剤が投じられたかのようになった。自然と喫茶店の経営にも力が入った。  新しい店はカウンター十一席に、四人掛けのテーブル席が四つという、「一人前」の喫茶店と呼べるものだった。  地元の情報誌からも取材を受け、『銀行マンからマスターへ、心機一転』という記事が載ったりした。もう銀行を辞めて陰鬱とした生活を送っていた私ではなかった。  平木と出会い、バドミントンを始めたおかげで、私の心はすっかり息を吹き返していた。  さらに私を喜ばせたのは、別居していた妻と娘たちも、すっかり立ち直った私に再び声をかけてくるようになり、週末は四人で食事をするようになったことだった。  秋となり、私は店の前の銀杏の木から落ちる実を掃除するのが日課となった。今季の市民大会が始まる。  そのころ私は二部で上位を狙えるだけの実力をつけていた。平木の方は、前回、一部でベスト四まで残っている。市内ナンバーワンの座にもう少しで手の届くところだ。  しかし、その大会で私はクジ運に見放され、二回戦で早々に敗退した。平木は順調に勝ちあがり、明日はベスト八が勢ぞろいして決勝トーナメントが行われるという日だった。  夜、私の携帯がなった。平木からだった。 「実は、娘が熱を出しまして…」  すでに娘は四年生になっていた。医者に連れて行ったのだが、引き付けや痙攣をおこすかもしれないので、眼を放さないようにと言われたという。 「そんな訳で明日は棄権します…」  物静かな平木が、電話の向こうで失望している姿が眼に浮かぶ。しかし、一人娘が高熱でうなされているというのであれば、やむを得ない。  と、私は思わず口にした。 「ミーちゃんは私が看ていましょう。明日は大事な試合です。棄権するなんて相手にも失礼です」
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