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いくら睨まれたところで、そんなカルトめいた事柄に記憶はない──
そう断言しかけたところで、“カルト”というワードが、ふと、ある事に思いあたらせた。
そう言えば、あれも確か、ちょうどひと月ほど前だった。
些かおかしなアルバイトだとは思いながらも、依頼人が見知った人物だった事もあり、わたしはその仕事を引き受けた。
「ふむ、おかしなバイトとな?
どんな仕事だ?」
「それがね、声楽の発表会によく来てくれていた男性からで、わたしに歌を歌って欲しいって」
「ほほう、ファンを作るとはお前もなかなかやるではないか。
大学からの声楽は、今でも続けているのだな。
それで、どこぞの店や施設で歌ったわけか?」
「いや、それが違うのよ。
彼の自宅でね、わたしの歌を録音させて欲しいって言われて」
勿論、男性の自宅に招かれる事に、わたしが警戒しないはずがなかった。
けれどもその望月さんと言う男性は、穏やかな笑顔が印象的な、物腰の柔らかい人であり、何度か自分の歌声を褒められた事で、気を良くしていた部分もある。
何よりも、奨学金の返済に追われるわたしにとって、その破格の報酬の高さが魅力的だった──それが依頼を引き受けた一番の理由だろう。
「なるほど、個人で楽しむ趣向か。
それでも歌い手冥利に尽きる仕事ではないか。
お前の努力が誰かに通じた結果だ、別におかしくなどないぞ」
百子の言うように、確かに彼がわたしのファンなのだとしたら、有り得ない話ではないかもしれない。
けれども、わたしがおかしいと感じたのはその事ではなく、実際に歌わされた歌にあるのだ。
「それがね、メロディも断続的だし、歌詞なんかまるで呪文みたいなの。
日本語として何の意味もなさない文字の羅列っていうか……かと言って外国の言葉とも違うみたいだし」
なんだかまるで、怪しげなカルト教団の儀式みたいに思えたものだった。
望月さんは、30前後だと思う。
長身の痩せ型で、口調も優しく、その部屋も、必要最低限の物が、あるべき場所に行儀よく配置されていた。
下心で女を連れ込んだ素振りも最後まで見せることがなく、その好感の持てる誠実さに、終いにはわたしの方が、少しだけ彼に引かれていたくらいだ。
しかし最初にその歌詞と楽譜を見た時は、流石のわたしも面食らい、何の歌だと問わずにはいられなかったけれど、彼は曖昧な笑顔で言葉を濁すのだ。
それでも、訳のわからない歌詞では感情の入れようがないから、わたしにしたら随分と食い下がったほうだと思う。
説明があるまでわたしが歌わないとでも思ったのか、とうとう彼は根負けして、ほんの短く話してくれたものの、それもまた意味不明な答え。
「意味不明とは……
そいつは何と言ったのだ?」
「それがね百子、彼が言ったのは……
──“君の歌声には、妹の言えなかった言葉を代弁できる力がある”──と」
「はぁ?
それはいったい……」
“ビシッ!”
と、突然枯れ木を割ったような鋭い音が、部屋の中に鳴り響いた。
咄嗟に腰を浮かし、慌てて周りを見回すわたしに、百子は事も無げに言う。
「なぁに、ただのラップ音だよ。
どうやら霊が何かしらの反応を見せたらしいな。
その妙な歌とやら、麻由に起こった怪異と何か関係がありそうだな」
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